――戦後、急速に発展を遂げた日本経済の"裏面史"ともいえる、ヤクザへの就職状況を解説!
労働者集団をまとめた"牧歌的"な時代
戦前期(1930~40年代)
[当時の世相]世界恐慌による大不況時代が幕を開け、日本では軍事主義傾向に。
差別と貧困が、犯罪の原因のほぼすべてであった時代。みんなが食うために必死ではあったが、バクチも覚せい剤も合法で、なんとなくのんびり感も漂っていた。
そんな中で特に貧しい階層が中心になって徒党を組み、アウトロー集団を形成していった。ケンカに明け暮れ、窃盗も繰り返していたが、単なる犯罪集団というよりは、社会からドロップアウトした(させられた)者たちが肩を寄せ合って生きる「共同体」的な意味合いもあったと思われる。同じように貧しい者が多い港湾や炭鉱関連の労働者の労務管理は、こうしたヤクザが担当していた。
貧困が闇社会拡大を生んだ黎明期
戦後期(1950~60年代)
[当時の世相]終戦直後の大混乱と貧困から徐々に立ち直った日本は高度成長へ
闇市の繁栄、「不良外国人」の跋扈に伴って、自然発生的に愚連隊やヤクザ集団が増えていく。米兵や戦勝国民として暴れる朝鮮・台湾系の人々を警察に代わって叩きのめすのも彼らの役割だった。当時の警察は、GHQにより拳銃所持を禁じられていたのである。一方でカッパライや傷害騒ぎを繰り返す戦災孤児たちの面倒をみるアウトローも多く、「生まれて初めてカツ丼を食わせてくれた人」に一生ついていくと決めた子どもたちが、いっぱしのヤクザになるのに時間はかからなかった。当時の浮浪児たちには蚤や虱がたかり、髪もぼさぼさ。ヤクザは着流しに角刈りが目立った。
ヤンキーや暴走族が羨望した絶頂期
高度成長時代(1970~90年代)
[当時の世相]オイルショックなどを経て、バブル経済へ。闇組織の経済犯罪も増加。
終戦直後の極貧時代とは対照的な好景気が続き、ヤクザ映画も全盛期を迎える。「太陽族」のような退廃的な若者も、全共闘などの暴力学生も、みんなヤクザにあこがれた。もちろん実際に稼業入りするのは貧困層出身者が中心だったが、警察は昭和40年代の「頂上作戦」でヤクザの取り締まりを強化していった。バイクも普及して暴走族も増えていき、ヤクザ予備軍となる。続いて発生したバブル経済期は地上げ屋など不動産関係を中心にヤクザが表舞台で活躍、パンチパーマ、黒スーツに大きな携帯電話というのがヤクザファッションの定番に。
暴対法が施行、業界変遷が進む過渡期
バブル崩壊後(90年代後半~00年代)
[当時の世相]業界別ミニバブルが起こり裏社会にも業界再編の波が押し寄せた。
92年に暴力団対策法が施行され、これまでのシノギに対する風当たりが強くなってきた。そのため、株取引や不動産売買などをフロント企業が請け負うようになっていった。また、少子化の影響もあり、若年者で稼業入りするケースは減少傾向にあるようだが、リストラされた広告マンや銀行マンが構成員や協力者として「共生者」となるケースは目立っており、今や大卒のヤクザは珍しくない。
また、"共生者"はかなりの数が存在するといわれ、暴対法によってヤクザが地下化・マフィア化し、実態が見えにくくなっているということも浮き彫りに。
(イラスト/河合 寛)