──政権の座を下りることが確実な自由民主党。そんな自民党へのサヨナラ企画を敢行!! 沈みゆく政党がまだ元気だった頃、下半身スキャンダルで一足お先に沈んじゃった政治家さんたち、だ〜れだ!!(あれ? 沈まなかった人たちも結構いました!!)
主党、98議席増で衆院第1党、129議席増で単独過半数──。前ページでも取り上げたが、気の早い各メディアで、すでに決定事項のように語られている政権交代。しかし、その程度の優劣など、一撃でひっくり返しかねない威力をもつ炸裂弾がある。そう、"下半身スキャンダル"だ。
思い起こせば、竹下登内閣のあとを受けて首相に就任した宇野宗佑が、愛人スキャンダルの発覚により失脚したのは、今からちょうど20年前のこと。
「サンデー毎日」(89年6月18日号)が、就任3日後という絶妙のタイミングで、宇野の愛人だった芸者の告発記事を掲載し、直後の参院選で、自民党は大敗を喫したのだ。当時、リクルート事件や消費税導入等、問題が山積していたとはいえ、首相のスキャンダルがダメ押しとなったのは明らかで、宇野内閣は、発足からわずか69日で退陣を余儀なくされた。これは、男女スキャンダルが政治を動かした端的な例だが、このほかにも、あまたの政治家たちが、大小さまざまな男女スキャンダルによって、辞任や落選などの憂き目に遭っている。
では、日本において、政治家の男女スキャンダルに対する世論が昔から厳しかったのかというと、実はそうでもない。伊藤博文を始めとする明治の元勲たちや、吉田茂や池田勇人、田中角栄ら、戦後の歴代首相など、明治から昭和にかけての政治家の中で、愛人の存在の露見した者は非常に多いが、そのこと自体が問題視されたケースは、ほとんどなかった。政治家に愛人がいることについて、国民やメディアは、歓迎こそしないまでも当然と見なし、知らぬふりをするのが一般的だったのだ。中には、自民党結党による保守合同の立役者、三木武吉(1884〜1956、衆院当選9回)のように、対立候補から愛人が4人いると攻撃された際、「事実は5人であります」と訂正し、逆に聴衆の喝采を浴びたケースもあったほどである。そうした風潮が一変したのは、一般的に、先述の宇野内閣退陣劇の前後とされている。
ただし、政治家の男女スキャンダルに対する有権者の目が厳しくなった現代においても、そのすべてが、政治生命を脅かす大問題に発展するとは限らない。大バッシングされる場合もあれば、軽くスルーされるケースもあるのだ。ことに、元愛人の告白によってコトが露見するという、最もありがちなケースにおいては、告白者が告発対象に対してどのような感情を抱いているかで、世論に及ぼす影響やその後の展開は大きく変わってくる。つまり、政治家たるもの、危機管理の一環として、相手のケアに十分な注意を払う必要がある、というわけだ。
とはいえ、人間というのは忘れやすい生き物。世を大いに騒がせた政治家の男女スキャンダルであっても、その詳細を思い出せるものは、誰しもそう多くないのではないか。事実、男女スキャンダルによって、一時は窮地に立たされたものの、いつの間にか復活を遂げている政治家の、なんと多いことか。そこで、衆院選を間近に控えた今回、復習と"サヨナラ"の意味を込めて、自民党の現役衆議院議員の代表的な男女スキャンダルをピックアップしてみた。
これらを読む際に注意してもらいたいポイントは、各スキャンダルが、「政治家として本当に許されざる行為であったか、それほどでもなかったか」だ。65ページの橋爪氏インタビューでも指摘されている通り、男女の問題は、たとえ不倫であっても、基本的に個人の領域に属するもの。どんなにハレンチな行為であっても、本来、当事者とその周囲以外には無関係なはずだ。そうした観点から、今一度、センセイたちの"ご乱行ぶり"をおさらいしていただきたい。
◉SCANDALIST 1
山崎 拓(72)
1936年生まれ。早稲田大学商学部を卒業し、59年、ブリヂストンタイヤ(現ブリヂストン)入社。その後、福岡県議会議員などを経て、72年に衆院選初当選。防衛庁長官や建設大臣、党政調会長、党幹事長、党副総裁等を歴任。当選12回(福岡2区)。
変態度の高さにおいてはこれを超えるものなし、と断言できるのが、2002~03年に報じられた 複数の"エロ拓"愛人騒動だ。「週刊文春」が、「元愛人の赤裸々手記 山崎拓『変態行為』懇願テープとおぞましい写真」などと題し、02年3月28日号から継続して、飲尿プレーやコスプレセックス、女医レイプ未遂など、変態エピソードを次々に暴露。元愛人の告白により、「俺は議員じゃなかったら、絶対AV男優になるんだ」と常々語っていたことや、「死ぬまでに一度、どうしても親子でやってみたい」と元愛人に母娘3Pを懇願し、「俺はメガネを取ったら知的に見える」からと、母親へのアピール用に裸眼&裸体写真を撮影したことなど、異常な性癖の数々が白日の下に晒された。
人の噂も七十五日というが、これらの痴態のインパクトはさすがに強かったようで、第一報から約1年半後(03年11月9日)、党副総裁として臨んだ第43回衆院選では、民主党の新人、古賀潤一郎氏に敗れ落選。「週刊文春」を相手に起こしていた民事訴訟も取り下げた。議員でなくなった以上、ホントにAV男優を目指すかと期待(?)させたが、古賀氏が学歴詐称疑惑により議員を辞職、それに伴う補欠選挙で国政復帰するという悪運の強さを示した。
現在、同氏の公式サイトには、初当選までの前半生を描いた『ひらく 山崎拓青春ストーリー』(第1部)なる全66ページの漫画(93年発刊)が掲載されている。激動の第2部以降の漫画化が待たれる。
淡白セックスで機密漏洩!?
32歳で衆院選に初当選して以降、2度の落選こそ経験したものの、第2次森内閣で内閣官房長官に就任するまで、順調な2世政治家の出世コースを歩んできた中川氏。しかし、00年に発覚した愛人スキャンダルによって、予想外の足踏みを強いられることになった。 第一報を伝えたのは「週刊ポスト」(00年10月6日号)で、愛人関係にあった銀座のクラブホステスの暴露話を、ベッドイン写真とともに掲載。セックス前にはシャワーを欠かさない、自ら部屋をまめに掃除するなどなど、潔癖性でセックスにも淡白という、意外な一面が明かされた。 その後、騒動は単なる愛人問題から、機密漏洩疑惑へと発展。警察の覚醒剤の捜査情報を愛人に漏らした(とされる)録音テープが、複数のテレビ局で放送されるに至り、内閣官房長官を辞任。以後、将来の首相候補と目されながら、いまだに大臣の地位には就かず、政調会長や幹事長といった党内ポストにとどまっているのは、ひとえにスキャンダルの再燃を警戒してのこと、との指摘もある。◉SCANDALIST 2
中川秀直(65)
1944年生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後の66年、日本経済新聞社に入社。76年、岳父・中川俊思氏の地盤を引き継いで衆院選初当選。科学技術庁長官や内閣官房長官、党政調会長、党幹事長等を歴任。当選9回(旧広島2区→広島4区)。
不倫政治家の鑑!!
◉SCANDALIST 3
古賀 誠(69)
1940年生まれ。日本大学商学部卒。80年、2度目の立候補で衆院選初当選を果たして以降、連続9回当選(福岡7区)。運輸大臣や党幹事長、選挙対策委員長などを歴任。道路族の有力議員で、宏池会(古賀派)会長も務める。
古賀氏といえば、政界きっての武闘派として知られ、その外見とも相まってコワモテなイメージが強い。公式サイトには「至誠通天」「夢誠愛」などの文字が躍り、伝記のタイトルも『古賀誠の新政界 花と龍』(07年、ビースト)と、どこを取っても"任侠系"という言葉がピッタリだ。
しかしながら、不倫相手の前ではかなりの紳士であったご様子。「現代」(06年10月号)に掲載された元愛人の銀座有名クラブママの手記には、「デートのときは必ず先生が荷物を持ってくれてました」「私の子どもを我が子のように可愛がってくれた」などなど、フェミニスト&イイ人エピソードが満載。さらには、「先生とは来世に生まれて来ても、もう一度恋愛したい」などと、とにかくベタ褒めされている。
前述の中川氏もそうだが、別れ際の不人情ぶりが、不倫相手に悪意ある暴露を決意させるケースは多い。その点、古賀氏の気配りは、別れた後に至るまで、物心両面で実にこまやかだったようだ。政治家としては"模範的な"不倫スタイルといえよう。
小泉総理にお手製弁当!!
◉SCANDALIST 4
小池百合子(57)
1952年生まれ。カイロ大学文学部卒。テレビキャスター等を務めた後、92年に参院選で日本新党から出馬し初当選。翌93年には衆院選で当選。当選5回(兵庫2区→6区→東京10区)。環境大臣や防衛大臣等を歴任。
日本新党、新進党、自由党、保守党、自民党と渡り歩いた経歴から、「政界の風見鶏」などとも呼ばれる小池氏。細川護煕元首相や小泉純一郎元首相ら、大物政治家との男女関係もたびたび噂された。
中でも、小泉氏の首相在任中には、休日にお手製弁当を抱えて首相官邸に赴く小池氏の姿が目撃され、一時は結婚説まで流れたほど。「権力と寝る女」などと揶揄されることも多い。
不倫を貫いた政界プリンス
◉SCANDALIST 5
船田 元(55)
1953年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。79年、25歳で衆院選初当選。新生党などを経て、97年、自民党に復党。00年総選挙で落選するも、03年に国政復帰。当選9回(栃木1区)。
「政界のプリンス」と呼ばれた彼の政治家人生は、新進党時代の96年夏、「FRIDAY」(96年8月2日)に同党の畑恵議員とのデート写真をスッパ抜かれたことで暗転する。98年、「彼女抜きで生きていくことは難しい」と不倫交際を認め、前妻と離婚して畑氏と再婚。「政界失楽園」と大バッシングを受け、00年衆院選で落選。03年に国政復帰したものの、エリート路線からは完全にドロップアウトしてしまった。
マスコミ幹部にラブラブメール
◉SCANDALIST 6
佐藤ゆかり(47)
1961年生まれ。ニューヨーク大学大学院経済学博士過程卒。日興シティグループ証券などに勤務した後、05年、衆院選に出馬し、比例復活で初当選(比例東海ブロック)。当選1回。
"小泉チルドレン"の1人として野田元郵政大臣の地元・岐阜1区から立候補。その選挙期間中、「週刊文春」(05年9月8日号)が「佐藤ゆかり『不倫メール』500通」なる暴露記事を掲載。妻子ある大手マスコミ幹部と不倫関係になり、「愛しています! Aさん(仮名)と毎日ベッドにいたい」「いつまでもいつまでも、あなたに抱かれていたい」といったラブメールを送りまくっていた、と報じられた(本人は否定)。
その後も、「週刊新潮」(06年6月22日号)に江崎洋一郎議員との不倫デートをスクープされる(これまた本人は否定)などし、スキャンダラスなキャラがすっかり定着してしまったようだ。
オタクだてらに軽く火遊び!?
◉SCANDALIST 7
石破 茂(52)
1957年生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、三井銀行(当時)入行。86年、父の地盤を継いで衆院選初当選。防衛庁長官、防衛大臣、農林水産大臣などを歴任。当選7回(鳥取1区)。
執務室に戦車や戦闘機のプラモデルを飾り、ブルートレイン廃止に際しては惜別のコメントを残す。そんなオタク的な側面ばかりが強調される石破氏。そんな彼でも女性スキャンダルを報じられたことがまったくないわけではない。
「週刊新潮」(07年11月1日号)によると、石破氏は防衛大臣在任中、ある美人秘書を異常に優遇し、愛人ではないかとも噂されていたという(本人は否定)。