――現在、グーグルが日本の出版業界を震撼させている――。周知の通り、同社は書物の全文が検索できる「グーグルブック・サーチ」なるサービスの展開を、アメリカでは2004年、日本では07年に開始、拡大を進めている。これに対して05年、米作家協会などが著作権侵害だとしてグーグルを提訴するも、昨年両者の間で和解が成立した。かつて大手出版社で電子出版事業に携わっていた弁護士の村瀬拓男氏は、この和解には出版業界のあり方を根底から覆す問題提起が含まれていると指摘する。利用者にとってのメリットと著作権の問題から、ジャーナリスト武田徹氏とともに同サービスの意義を鑑みてみたい。
【今月のゲスト】
村瀬拓男(弁護士)
武田 6月12日、改正著作権法が成立しました。著作権に対する関心が高まる中、日本国内でも2月ごろから問題になっているのが、「グーグルブック・サーチ」です。今回は、ビジネス情報サイト「ダイヤモンド・オンライン」で『「黒船」グーグルが日本に迫るデジタル開国』を連載されている弁護士の村瀬拓男氏を招き、同サービスにまつわるさまざまな問題について議論を進めたいと思います。
本論に入る前にグーグルの歴史を振り返ると、同社は98年に設立。検索サイトを展開し、08年1月時点では、日米欧で2億人が利用しています。
宮台 初めてグーグルを使ったとき、シンプルなデザインで、アクセス数順などで検索結果が出るのに驚きました。キャッシュデータにもリンクしているので、一時的に目当てのウェブサイトがアクセスできなくても、キャッシュが見られる。非常に画期的でした。
武田 これが話題を呼び、ユーザーの信頼を勝ち得て、グーグルは急成長を遂げてきました。同社は「世界中の情報を整理し、すべての人々がアクセスできるようにすること」を使命として掲げており、これまで画像検索や、航空写真を利用した「グーグルマップ」など、さまざまなサービスを展開。街中を写真に収めて回った「ストリートビュー」では肖像権侵害が問題になるなど、物議も醸してきました。さっそくですが、アメリカ本国では04年から、日本では07年から開始された「グーグルブック・サーチ」について、村瀬さんからご説明ください。
村瀬 書籍をスキャンし、データベース化することで、利用者がページの画像をネット上で閲覧できるサービスです。また、本の全文がテキスト化されているため、キーワード検索でその言葉を含むすべての本をリストアップすることが可能になっています。現状では、著作権切れの書籍は本文がそのまま画面上に表示され、著作権があるものに関しては、権利者の許諾の下に内容を部分的に閲覧することができるようになっています。本を購入するためのリンクが張られているケースもあり、マーケティングツールとして位置づけられるような機能も持っています。
武田 出版社が書籍の販売促進に利用しているケースもあるそうですね。
村瀬 「パートナープログラム」と名付けられたサービスがあり、日本においては、グーグル自身が各出版社に協力を求める交渉をしています。出版社は権利者の承諾を適宜取り、グーグルに対してデータを提供する。そこで得られたデータが、「グーグルブック・サーチ」のデータベースに反映されていくのです。
武田 グーグルは出版社だけではなく、図書館との協力関係も構築しています。
村瀬 日本では慶應義塾大学の図書館が協力し、12万冊ほどのデータを提供したといわれていますが、権利上の問題もあり、大々的には行われていません。アメリカ本国においては、グーグルが大学図書館と提携し、蔵書を片っ端からスキャンして、データベース化していきました。これが04年に始まった「ライブラリープロジェクト」と呼ばれるものです。しかし、このプロジェクトは著作権者の許諾を得ずに進められたため、翌05年には米作家協会などがグーグルを提訴し、大問題に発展しました。
武田 そこでグーグル側は、どんな主張をしたのですか?
村瀬 米著作権法が定めるフェアユース(公正な利用)に基づいている、と主張しました。図書館の蔵書はパブリックなもの、つまり本来的に誰もが利用できるものであり、それをデジタルの力でより利用しやすくしている、という認識でしょう。これに対して、原告側は「スキャンは無許可の複製であり、著作権の侵害に当たる」と主張しましたが、昨年、両者の間で和解が成立しています。
武田 この和解は日本の著作物にも及び、著作権者には出版社からアナウンスがありました。「異議があるようであれば、何日までに申し立てるように」という、一方的な内容だったと記憶していますが、そもそも、アメリカでの和解が日本の著作物にも適用されたのはなぜでしょうか?
村瀬 アメリカで行われた訴訟は、集団訴訟(クラス・アクション)という形を取っています。そのため、ここで得られた和解や判決は、原告のみならず、その被害を受けた人、今回の場合は著作権者全員に効力を持つのです。さらに、出版に関しては、日本はベルヌ条約という国際条約に加盟しています。この条約は、加盟国間で「他国の著作物も、自国の著作物と同様に保護する」というものです。つまり、アメリカにおいて著作物すべてを対象にした和解が成立したことで、日本の著作権者も当事者となり、その内容が自動的に適用された、という理屈です。
武田 その結果として、日本の著作権者にも「和解に参加するか決定しろ」という手紙が届くことになったわけですね。宮台さんにも、多くの手紙が届いたのでは?
宮台 各出版社から十数通届きました。長い手紙で、最初に読んだ際は理解するのに30分かかりました。実際にウェブサイトにアクセスしてみると、僕の著作はすでに100冊ほどスキャンされている。「とんでもないことになっている」と焦りましたが、最終的に和解に応じる決断をしました。事情を知らない者にとっては青天の霹靂でしょう。ネガティブな意思を表明しない限り同意したと見なされる「オプト・アウト」方式であることも、困惑を広げました。
武田 現状では、意思表示の期限が9月4日に設定されています。その後は、どういった動きがあるのでしょうか?
村瀬 この和解案は、あくまでグーグルと米原告団の間で、とりあえずの合意内容として成立したものなので、担当裁判所が認めて初めて効力を発揮します。現状では、10月7日に公聴会が開かれ、その結果を見て、あらためて判断される予定になっています。アメリカ国内では、和解案が認められるだろうと見られてきましたが、最近では、独禁法上の疑義が持ち上がるなど、少し局面が変わっているようです。また、日本、フランス、ドイツなど、アメリカの図書館が多くの書籍を抱えている諸外国の著作権者の意思表示が、裁判所の判断要素になるのでは、とする識者もいます。
収益の分配と著作権、そして60ドルという和解金の意味
武田 ここまでで大きな流れは把握できたと思います。出版社や著作権者にとって何が問題なのか、グーグルはこのサービスで何を得ようとしているのか、について話を進めましょう。まず、「グーグルブック・サーチ」というサービスを突き付けられた、出版界の現状についてご説明ください。
村瀬 ここ20年のデジタル化の流れの中で、本の制作現場も、ほぼフルデジタル化されています。ネットのアクセス環境も向上し、多くのものがデジタルコンテンツとして流通しています。文字の著作物に関しても、一定の部分がデジタルに取って代わられるようになりました。紙の著作物に関しては、一度出版されたら未来永劫、本屋さんにあるわけではなく、絶版になるなど、入手困難になっていく。デジタル化により、そうした物理的な制約がなくなった時に、紙の本を流通させることで食べてきた出版社は、どう対応しなければいけないのか。そして、入手困難な書籍を蔵書する受け皿になっていた図書館は、住民に対してどのようなサービスをすべきなのか。また、ユーザーにとって、紙で読むか、データで受け取るか、という選択の自由はどこまで保障されるべきなのか。そういった問題は、すでに待ったなしの状況で動いています。これはグーグル問題とは関係なく存在していた客観的な状況ですが、これまで出版界はこのような問題に積極的に取り組んできたとはいえません。今回の問題は、見て見ぬ振りをしてきた問題に、あらためて向き合わざるを得なくなった、ということだと思います。
武田 本が売れなくなって困る権利者はいるでしょうが、ユーザーにとってはどうでしょうか。デメリットはないようにも思えますが。
宮台 利便性は高い。図書館よりも幅広い検索性を持ち、そもそも足を運ぶ必要がなくなります。ユーザーにとっての不利益は、短期的には見当たりません。
村瀬 図書館は非営利の団体ですが、一方で出版界は、出版社、書店、著作者と、物が動いてお金が流れることで食べている人に支えられてきたという側面があります。流通の構造を変えることによって、従来の有料モデルで食べてきたプレイヤーたちが対応不能になり、潰れてしまってもいいのか、ということが大きな問題です。いずれは変わっていかなければいけないと思いますが、ハードランディングで生き残った者だけが出版界を支えることになるのか、それとも緩やかな変化を求めるのか、という問題なのかもしれません。
宮台 著作権法の立法意思は、オリジナル情報をクリエイトする人々の生活の保障を通じ、情報の源流が絶えないように確保することです。著作権法に基づいて考えれば「ユーザーを保護する、しない」という判断は関係ありません。
武田 そうしたことも踏まえた判断が、和解条件にも盛り込まれたという判断でしょうか? ここで和解案の内容を見てみると、まず、許諾なしにスキャンした書籍については1作品当たり、グーグルが60ドルを支払うことが決まっています。
宮台 「60ドル」の算定根拠が見えないので、どう理解していいのか(笑)。これも、和解に応じるべきなのかどうかの判断に迷うポイントです。
村瀬 少なくとも、権利使用という理念を背景にした金額ではないようです。ある種の迷惑料だといえるでしょう。
武田 また、このサービスから得られる収益の63%を権利者に分配する、という内容も盛り込まれました。この場合の収益というものは、どう考えればいいのでしょうか?
村瀬 はっきりとはわかりません。和解案の中には同サービスの運用パターンがいくつも例示されていますが、どの程度の販売見込みがあるかは明らかではありませんし、やってみなければわからない、という部分も大きいかと思います。
宮台 デジタルの世界では、書籍の世界よりもクリエイターの取り分が大きい。アップルのiTMS(iTunes Music Store)ですと、iPhoneのアプリケーション提供者は販売価格の7割を取ります。こうしたビジネスモデルを参照して、著作権者に6割以上の収益が還元されるようになったんでしょう。書籍の世界で生きてきた者には「大盤振る舞い」の印象を与える数字です。
武田 我々がグーグル側を心配しても仕方がありませんが、それでビジネスとして成り立つのか、と思ってしまいますね。もちろん、勝算はあるのでしょうが。またグーグルは、和解金4500万ドル、和解管理費用3450万ドルの支払いも決定しています。
村瀬 和解金は「1作品あたり60ドル」に関して用意された予算です。一方、和解管理費用は、主に「収益の63%を分配する」にあたって、グーグルから独立した版権登録機関を設立するために立てられた予算になります。また、この和解を全世界に告知するための費用も、こちらから出ています。
武田 一方で、著作権者には「データベースからの削除を請求できる」という権利が与えられています。和解成立後は、絶版、市販されていない本については「表示使用」がグーグル側に認められ、原則としてページ画像を表示。市販されている本については、中身を読むことができない「非表示使用」の形で使われていますが、この表示/非表示を著作権者が選べるようになるということです。
宮台 ストリートビューを含めた一連のグーグル騒動は、「大きな流れ」の中にある個別の話という気がします。問題は「大きな流れ」です。ITの発達で「これまでなかった新しいサービス」が次々提供されるようになる中、グーグルのような提供者側はフェアユース、つまり「これまで許されてきた枠の中に入るじゃないか」と主張する。他方「これまでなかった新しいサービス」なので、今後どんな波及効果をもたらすのかを見通すのが難しい。その段階で、享受者である我々に「クリアな判断をしろ」というのは無理です。副作用というとネガティブな意味になりますが、グーグルも想定していないところで、単なるビジネスモデルを超えたユーザビリティ(利用可能性)が生まれる可能性さえあります。
武田 さて、日本には和解を拒否した権利団体もあることが報じられていますが、オプト・アウトを選択するとどうなるのですか?
村瀬 例えば、詩人の谷川俊太郎さんなどが参加している日本ビジュアル著作権協会が、和解を拒否しています。その結果として何が起こるかと言うと、和解が成立した場合でも、同案で得られる利益は、一切保障されなくなります。さらに、グーグルは従来の主張であるフェアユースという立場も捨てていませんから、和解から離脱したグループの著作物に関しては、無許可でデータ化を進めていく可能性があります。権利者がそれに対抗するためには、アメリカで訴訟を起こす必要があります。
宮台 和解に参加するかどうかは、著作権者にとって分岐点になりました。各出版社から送られてきたアナウンスも、文言こそ違え「和解を拒否してもグーグルのデータ化作業は従前通りで、異議を唱えるには個別に訴訟を提起して著作権侵害を訴えるしかない」とあります。「そんな暇はないし、60ドル/63%でいい」と思う著作権者が大半でしょう。
問題の本質は、価値コミットメントです。一連のグーグル問題が悩ましいのは、取材して物を書く仕事をしていれば、検索エンジンやストリートビューを利用するのが当たり前。存分に受益しつつ、グーグルに対し「自分だけ検索対象から外せ」と主張するのが倫理的に正しいのかどうか。
YouTubeにも言えますが、「現に皆が使っているぞ」と言われると大きな口を叩きにくくなる一方、「著作権者が生活できなくなる? 知ったことか」という発想はフリーライダー的です。というのは、皆がそうした態度を取れば、出版や映像や音楽を含めた表現文化の一部が衰退するからです。「既に皆が長い間使ってきた」ことから来るフェアユース枠を確保しつつ、同時に「表現文化を守ろう」というコミットメントを確保する、といった両面が必要です。コミットメントは人々の価値観が絡むので、メカニズムと違って「この制度を作ればどうなる」といった先験的なことは言えません。
日本語スキャン認識率は間違いだらけの80%?
武田 そこでしばしば問題になるのは、グーグルが私企業であることだと思います。国がやるべきことだ、という議論もありますが、村瀬さんはどうお考えですか?
村瀬 冒頭で言いましたように、グーグルは「世界的な情報共有」に関する高邁な使命を掲げています。しかし、これは創業者たちが発想したことで、彼らが実権を持っている間はともかく、同社が営利企業として存在している以上、世代が変わっていく中でその使命が存続するかどうかについては、誰も保証することはできないでしょう。一方で、図書館や国家機関で運営を担当する者は、当初の目的を離れて自由に利益を求めることはできません。その意味で、使命というものが守られやすいのです。私企業がダメで公的機関なら良い、とは一概に言えませんが、50年100年という時間の流れを考えた時には、公的な枠組みのほうが存続させやすいといえるでしょう。
宮台 村瀬さんは「変化の是非よりも、ハードランディングかソフトランディングかが問題」とおっしゃっりましたが、重要です。人間には適応速度の限界があり、急速な変化だと副作用に対処できなくなります。経済学者ジョセフ・E・スティグリッツが「グローバライゼーションは良いことだが、速度によってはネガティブな副作用が大きくなって人々の同意が得られなくなる」と言いました。私企業のグーグルも、事業を一気に拡大するビジネス的メリットがある一方、パブリックな信頼を勝ち得るべく時間をかけなければなりません。グーグルは慎重に行動しないと、自分たちの首を絞めます。古くは、グノーシズム(ユダヤ・キリスト教に対抗する全能知獲得信仰)の研究でも有名な哲学者ハンス・ヨナスも「進歩や近代化の是非は速度に依存する」と述べています。
武田 私企業が運営することで生じる可能性がある問題と、あと日本語というか、アルファベット系文字以外を使っていることの問題もあるようですね。
村瀬 「コンテンツ」とひとくくりにしてしまった時点で、世界的に流通させることができるようなイメージもあると思いますが、現実には、言葉の壁が極めて大きい。中でも、日本語という壁の高さは、日本人であれば誰もが理解できると思います。また、コンピュータは英語の1バイト文字をベースに作られていますから、2バイト文字に多種多様な読みがつく日本語を表記することは、基本的に不得手なはずです。グーグルはアメリカの企業であるがゆえに、日本語のことをきちんと理解してデジタル処理しているのか、という不安は当然あります。「グーグルブック・サーチ」においては、本のページのイメージをスキャンすると同時に、そこに書かれた文字をOCR(光学式文字認識)で読み取ってテキスト化するのですが、その精度に関しても、なんら検証がなされていません。一説には85%程度しか認識率がない、という話もあります。
武田 残りの15%は、人が見て正しい言葉に直さなければいけないと。
村瀬 その通りです。日本のパソコンのOCRできれいにスキャンすると、97%くらいは認識することができます。しかし、それでも100文字のうち3文字間違えるということで、文庫本の1行40文字で考えると、3行の中に3カ所は赤字が入ることになる。文筆にかかわったことがある方なら理解できると思いますが、そんな初校が上がってきたら、その印刷所は終わりというひどいレベルです(笑)。出版社は、それを99・99%というレベルの精度にまで押し上げて、世の中に書籍を出しているのですが、「グーグルブック・サーチ」には、その保証がまったくないということです。書籍の内容を検索できることが、同サービスの大きな長所になっていますが、データベースの精度が低ければ、検索の網から抜け落ちて、存在しないのと同様の書籍も出てきてしまう。そうしたデータをブラッシュアップしていくコストは誰が払うのか、ということも考えなければなりません。
宮台 でも、これについても「オンラインの不正確性ゆえに、オフラインの書籍販売につながる」という見方や、「著者名から検索するのがもっぱらだから、そこさえ正確であれば機能する」との弁護が、ありえます。やはり先験的に黒白はっきりつけられません。様子を見ながら判断するしかない面があると思います。このあたりはカール・ポパーのいう「ピースミール・ソシアル・エンジニアリング」(部分的社会工学)の発想がいります。
村瀬 出版社側の立場から言えば、著作物を世に出す以上は最後まで責任を持ち、きちんとした精度のデジタルデータを作り、紙の本と合わせてデジタルのリリースもするような枠組みを作っていけば、そのような問題は起きないと思います。
宮台 実は、僕の最大の危惧は、これから述べることです。映像や音楽の分野では、デジタル化に伴うダウンサイジングで、流通段階の中抜き化が進みました。音楽や映像の場合、そのことで質が下がったとは必ずしもいえません。しかし活字においては、編集者と著者のコラボレーションのおかげで文化的水準が保たれてきたと断言できます。出版文化は、コンテンツが本という形を取ることからくる協業によって支えられてきたんです。それが放棄されてしまうのはマズイと思います。
武田 日本の編集者には、給料以上に働いている人がいます。そうした人たちが生活を犠牲にして頑張っているひとつの理由は、本というものが、それに値する文化だと考えているからでしょう。そういう面から考えると、デジタル化についても、ある種の制約は必要なのでしょうね。(本誌の連載陣でもある)ジャーナリストの佐々木俊尚さんは「検索できない情報は、死んだ情報も同然だ」と語っており、「グーグルブック・サーチ」を評価する声も聞かれます。こうした流れについて、村瀬さんはどうお考えですか?
村瀬 私自身、弁護士としてのキャリアが長くないので、すべての法律分野に通じているわけではありません。そのため、出版界以外の法律分野で相談を受けた際には、真っ先にパソコンを開き、グーグルの検索結果であたりをつけて、アマゾンで検索して出てきた本を片っ端から注文しています。そうしたことによって、20年前であればキャリアのある人が組織の中で行ってきたのと同じレベルの仕事が、個人でもできるようになっているということは事実だと思います。
武田 一方で、パソコンの検索エンジンは、情報に階層を設けず、平板に並べてしまいます。グーグルの手法は、出版社における編集者や、図書館における司書のように、情報の交通整理をしてくれる中間の人間の存在を認めない、という部分がありますね。専門のソフトが代替するのかもしれませんが、初期のヤフーのように、人が分類したカテゴリーから絞り込んでいくような情報との出会い方も残しておかないと、偏った文化になっていく気はしています。グーグルという黒船の来襲、つまり新たなサービスの誕生に危機感を持ち、拒否的になるだけではなくて、文化の設計について深く考える機会にできれば良いですね。
村瀬 私がダイヤモンド・オンラインの連載タイトルに「黒船」と付けたのも、あくまでも単なる脅威ではなく、日本でもこれをひとつのきっかけとして、出版のあり方について主体的に考えよう、という提言なのです。
宮台 その通りです。まず、機能分析を通じて何が変わってはいけないのかを評価し、次に、それを変えないために必要な価値コミットメントを調達し、さらに、それを前提にして制度を設計する。「便利なだけでは済まないぞ」ということです。
(構成/神谷弘一 blueprint)
『マル激トーク・オン・ディマンド』
神保哲生と宮台真司が毎週ゲストを招いて、ひとつのテーマを徹底的に掘り下げるインターネットテレビ局「ビデオニュース・ドットコム」内のトーク番組。スポンサーに頼らない番組ゆえ、既存メディアでは扱いにくいテーマも積極的に取り上げ、各所からの評価は高い。(月額525円/税込)
武田徹 ジャーナリスト、評論家。主な執筆対象はメディア社会論。主著に『デジタル社会論』(共同通信社)、『戦争報道』(ちくま書房)など。
村瀬拓男 弁護士。新潮社入社後、週刊新潮編集部、電子メディア事業室等を経て05年退社。06年弁護士登録。