──作家のことは、作家が一番よくわかる……というわけで、本誌連載でもおなじみの女流作家・岩井志麻子先生に、「モテる男性作家」のなんたるかを聞いてみた!
「ザ・ハードボイルドないい男」の北方謙三。
かっこいい男性作家といえばね、以前、とある大御所男性作家さんと、某誌で対談企画があって。私は勝手に彼のことを、酸いも甘いも噛み分けた大人の渋いおじさまと思い込んで、ちょっとくらいバカなことを言ったって、笑って許してくださると思っていたんですよ。それで調子こいちゃって、対談中に「若い男はいいですよ!」って言いまくったら、後日「あの対談はなかったことに」って。雑誌の編集部から謝られました。そのときは反省しましたねぇ。だって私も、テレビなんかでは「おばはんがね……」とか言うてますけど、若い男に面と向かっておばはんって言われたら、やっぱり傷つきますもの。いくつになってもナイーブな男心をわからず、ほんまに申し訳なかったと思ってます。
まぁそれは余談として、「かっこいい作家像」を体現している人というと、やっぱり北方謙三さんや大沢在昌さんといった方々でしょうか。夜な夜な銀座で美女たちと豪遊したり、かっこよく外車を乗り回したり、クルーザーを所有したり……というイメージですね。おふたりとはタイプは違いますけど、浅田次郎さんも容姿からしていかにも作家って感じがするし、お茶目なエッセイを書いたりして、あの方も憧れの対象になるでしょうね。彼らのようなタイプが、一般に「かっこいい」とされるんでしょう。私自身は、花村萬月さんなんかすごくセクシーだと思うんですけど、大多数の人からすれば「ちょっとヤバい」と言われてしまうんでしょうねぇ。
あとは、OLなんかには石田衣良さんがモテて、オタク女子には京極夏彦さんあたりが人気でしょう。確かにカッコイイけど、石田さんは身長、京極さんは着物にかなり助けられてると思いますけどねぇ。男性作家は、雰囲気と自意識でいい男、に持っていけますよ。
「モテる作家」というのは難しい問題です。作家のモテも細分化されていて、男の子の取り巻きがとても多い、いかにも文化系らしい雰囲気の評論家と作家がいるんですが、大沢さんや北方さんの取り巻きと彼らの取り巻きとでは、同じほ乳類でもライオンとヤギぐらいタイプが違うんです。文化系2人の取り巻きは、口を揃えて彼らのモテっぷりを語ります。ところが、正直言ってそんなにモテてないんですよ。取り巻きたちは、自分たちの属性からモテ男が出ていると信じたいんです。彼らは、北方さんや大沢さんにはなれないことを知っているけど、2人のようにはなれると信じている。
さらに、この2人は一緒になって"モテ組合"を作っています。お互いがいかにモテモテでやり放題か、あちこちで言ったり書いたりするんです。そうすると、一応自分ではないほかの人が言っているから、信憑性が増すわけですね。そうやって、いつのまにかできあがったのが"モテ共同幻想"。さらにそれを取り巻きたちがどんどん吹聴して、小さな北朝鮮ができあがっているんです。うまいやりかたですよ、これ。大沢さん、北方さんになるためには、クルーザーも買わなきゃいけないし、銀座で豪遊しなきゃいけない。だけど、例の2人のような文化系的モテ世界だったら、その気になったら作れるんです。北方さんや大沢さんがイタリアやスペインのモテ男だとしたら、2人は北朝鮮のモテ世界を作ってしまったというわけ。イタリアやスペインは誰から見ても羨ましいけど、北朝鮮はほかの国から見たら、どこが地上の楽園やねん! ってなるんですけど(笑)。「場所と人を選んだら誰だってモテる」というのは私の持論ですけど、文芸業界っていうのは、似た者同士で小さな地上の楽園を建設しやすいところなんです。
作家にイケメンがいないのは、仕方のないことです。イケメンは小説なんて書きません。書く暇がありませんから。いつも人の輪の真ん中にいたような人ではなくて、輪から外れて壁際に立っていて、全体がよく見えていた人が作家になるんです。それから、どうでもいいことを針小棒大にして、物語を作れる人。棚から荷物を取ってもらっただけで、自分に気があると思い込む女性がいますけど、あれと同じです。しかも、ミュージシャンだったら楽器ができなきゃいけないし、画家だったら絵が描けなきゃいけないけど、作家はとりあえず日本語が書けたら、明日にでもなれそうな気がしますよね。となると、作家は本当に行き詰まったモテない男が夢見る最後の楽園なのかもしれません。ヤクザになるのもいまやしんどい時代ですし、危険性もないし元手もいらない作家は、モテたい男のための最後の救済措置。日本語が書けるってことで、一次審査は全員合格できるわけですから、"全プレ"みたいなもんですよ。
(談)
岩井志麻子(いわい・しまこ)
本誌連載「愛のズルむけい地」でもおなじみの女流作家。エロから芸能までタブーなき発言の数々を雑誌やテレビを通じて発信し、お茶の間と一部関係者たちを震撼させている。