これまで、ハイコンテクスチュアルな論調で熱狂的な支持を得てきた社会学者の宮台真司氏だが、発売後1カ月で10万部を突破した近著『日本の難点』では「大学の講義でいつも語っている内容」と自身が語る。 同書出版の経緯、現在の若手論壇への見解、個々の論点についての読み方など、宮台氏に聞いた──。
社会学者の宮台真司氏。(写真=早船ケン)
──宮台さんにとって、『日本の難点』は初めての新書となりましたが、まずは出版の経緯をお聞かせください。
宮台 今回の本の内容は、僕がいつも講義で学生相手に喋っていることです。繰り返し喋ってきたことで、眠っていても喋れるほど自動化された内容です。なので、当初はそうした内容を『日本の論点』的な文章にまとめるのは、気が進みませんでした。でも、編集者から「宮台さん自身には当たり前でも、まさに読者が求めている内容だ」と説得されました。僕の講義では、社会理論や政治思想の抽象的な話の中に、豊富な時事的なネタを入れ込みます。とりわけそこを活かして本にしようと提案していただきました。その意味で、本書は僕の講義そのものです。また、僕の本には複数の系列があるので、現時点でのトータルな"宮台イメージ"をつかんでいただく絶好のチャンスだ、と思ったんです。
もうひとつ、最近の若い論者が、いささか内向きに見える、あるいは「立ち位置」系に見えることへの、違和感も理由です。社会的発言をしているようで、しょせん自分の安全地帯を守るための私的発言にすぎない場合が目立ちます。むろん、どんな社会的発言にも論者の実存が色濃く反映して当たり前。むしろ実存的な切り口こそが読者を引きつけます。それでも「実存から社会へ」という回路をたどるべきなのに、「実存から実存へ」と社会に突き抜けない傾向が最近の若い論者に目立ちます。そのことも強く意識しました。
──それは例えば、フリーターの立場から評論活動を行う赤木智弘氏など、いわゆるロスジェネ論壇での格差社会批判のようなものでしょうか?
宮台 そうです。格差がいけないという批判はまずい。どんな格差がまずいのかを特定しない限り、本気の議論だとは聞こえない。どのみち格差自体はなくならないからです。
そういう例は多いですよ。沖縄基地返還闘争なども僕には本気に感じられません。本気で基地を返還させたいなら、本書で書いたように「軽武装+依存」から「重武装+中立」にシフトするほかない。軽武装を目指すからこそ米国に依存し、沖縄基地が不可欠になるからです。「米軍基地返還」と「軍備拡張反対」は両立しない。両立しない主張をする以上、本気じゃないと受け取るほかない。実際一部の官僚や政治家がそう言います(苦笑)。
似たことは、前号のサイゾー版マル激で論じた北朝鮮の拉致問題など、多数あります。「こうすればこうなる、ああすればああなる」という具合に、相手の他者性を踏まえた条件分岐的アクションプログラムを考えるべきなのに、単に叫ぶだけ。これでは「本気じゃない」と相手にも周囲にも思われる。現に何も実現できずに終わっています。
──こうした主張が政策担当者等に受け入れられやすくなっているか、旧態依然か、という感触はいかがですか?
宮台 受け入れられやすくなっていますが、危惧があります。というのは、受け入れ方が、目的に従った手段的合理性を臨機応変に指向するというより、やはり主張自体が自己目的化していて「気持ちをスッキリさせたいだけなのかな」と思わせる面があることです。先日、ラジオで「宮台が主張する重武装中立化論=敵基地攻撃能力論、是か非か」をリスナーに問うたら、大半が大反発するかと思いきや、七割が賛成で、三割が「これで宮台を見限った」という類でした。賛成が多すぎるからこそ、僕はこれが合理的計算に基づく賛成だとは思えないんです。この賛成率を聞いて、ディベートの訓練を受けてきた僕は反対立論側に立場を変えようかとマジで思ったほどです(笑)。重武装論だけをほかから切り離して論じることはできません。アメリカや中国やロシアとの関係の作り方についてどんなビジョンを持つかを聞いて初めて、その人の重武装中立化論を真に受けることができます。
柳田国男と振り込め詐欺時事問題から思想を読む
──印象的だったのは、日本の世直しの手順論として国土保全というところから道筋を立てられた件。著作でその点に踏み込んだのは、初めてですね?
宮台 著作では初めてですが、講義では10年以上前から言ってきました。国土の概念は僕の世代や少し上の世代には馴染みです。吉本隆明の影響もあり、マルクスを読むように柳田国男を読んできたからです。ただ、柳田の文学的な側面が注目されすぎ、政策学的な側面が忌避されがちなのは問題です。農政学者としての柳田の考え方を理解するのに一番いい例が、振り込め詐欺。「こんな初歩的詐欺に引っ掛かる側も問題だ。これからは自己責任の時代だから、何が信じられて何が信じられないかを自分で決定できる力を身につけるべきだ」という意見が溢れていますが、二つ問題があります。第一に、騙されるような爺さん婆さんが、今さら自己決定的存在になれるのかという問題。第二に、日本全国が爺さん婆さんに至るまで自己決定的存在だらけになるのが、果たして良いことかという問題。それは日本が日本じゃなくなることと同じじゃありませんか。柳田はそれがわかっていたので、日本の近代化とは全国民を近代人にすることではないと考えました。自己決定以前に、息子なり近所の若い衆が爺さん婆さんを守ってやればいいだけの話です。
日本人の多くが近代人としての資格に欠けていても、個々が不幸に陷ることなく、国家の安全保障が保たれる仕組もあり得るんじゃないか。そこから柳田は農政学的な思考を開始します。それはエリート主義的です。柳田に従えば、日本の場合「いい社会を作ること」は「いいエリートを生み出せる社会にすること」と同義です。そこでは、エリートという言葉がイメージさせる不遜さよりも、「全国民が近代人として目覚めるべきだ」という"ないものねだり"をする輩の不遜さを、排することが目指されているんです。
──では同書への反響で、特に印象的だった反応はなんですか?
宮台 後書きで「全体を通読して実存的・文学的な受け取り方をしてほしい」と逆説的な言い方──実際にはそんな受け取り方をする人はいないという想定での言い方──をしたのですが、フタを開けると、希望通りの読み方をしてくれる人が大半だったこと。むろん個々の社会的論点についてを深く読み取っていただけることもありがたいのですが、僕がこの本を書く際の美学的な立ち位置を大半の読者が受け取ってくれたことが、喜びでした。
加えて、特に女性たちが早期教育や幼児教育が無意味だというところに強く反応してくれたのも喜びでした。「何かおかしいと思ってたけど、これではっきりした」という反響です。僕の本は多くが、そうした意味での「気づき」を目標としているんです。
──これからの文筆活動についてお聞かせください。
宮台 まず『終わりなき日常を生きろ』『サイファ』に続く第三の宗教本が最終段階で、「宗教的世直しの不可能性と不可避性」をテーマとした新書です。次に、沖縄の性愛ルポや、エロ本での連載のまとめなど、性愛本を4冊出します。性愛については若い男女が多くの問題に直面していて、それを解決せずに少子化対策もクソもない状況です。共通して「なぜ性がこんなにもつまらないものになったのか」が主題です。結論は「ダメな社会になったから」ですが、どんな理由でダメな社会になったのかを性を切り口に論じます。
(中川大地)
宮台真司(みやだい・しんじ)
1959年生まれ。社会学者。評論家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。近著に『14歳からの社会学』(世界文化社)など。
社会学者として、または論客として広く知られる著者による初の新書。メディア論、教育論、幸福論など、濃厚な"宮台版・日本の論点"が論じられている。