──世界の競技人口は1000万人以上。1996年のアトランタ五輪から正式種目(92年バルセロナ五輪では公開競技)として採用されるなど、世界的なスポーツとして親しまれているビーチバレー。だが、国内のビーチバレーといえば、一部選手のアイドル的な人気に特化した報道がほとんどで、競技としての魅力があまり伝わってこないのが現状だ。はたして、ビーチバレーとはいかなる競技なのだろうか?
そもそも、ビーチバレーの誕生は、約90年前にさかのぼる。
「諸説ありますが、1920年代にアメリカ・カリフォルニア州サンタモニカビーチを発祥とするのが一般的です。当初は、競技ではなく、あくまでサーファーたちが波待ちなどの際に興じるビーチ・アクティビティの一環でしたが、徐々に浸透し、83年に『AVP(Association of Volleyball Professionals)』と呼ばれる団体が発足し、プロツアーが開催されるようになり、今でも高い人気を誇っています。89年からは国際バレーボール連盟(FIVB)主催による『ビーチバレー・ワールドツアー』(女子ワールドツアーは93年から)も始まり、30カ国以上もの男女の選手たちが世界各地を転戦しています。
現在、アメリカと並ぶ強豪国の一角を成すのが"ビーチ天国"のブラジル。リオの浜辺を歩くと、至るところで多数の老若男女がビーチバレーをしているのを目にすることができます。また、ヨーロッパ諸国にもプロリーグが存在しています」(「ビーチバレースタイル」編集長の吉田亜衣氏)
一方、日本にビーチバレーが伝わったのは、意外にも古く、戦後間もなくの頃だという。
「終戦直後の46年頃より、神奈川県の鵠沼海岸周辺に暮らす子どもたちの遊びとして発展。ちなみに、その当時はビーチバレーではなく、〝ハダカバレー〟という呼び名だったそうです。
これがスポーツ競技として行われるようになったのは87年のこと。湘南・江の島で『第1回ビーチバレージャパン』が開催されました(優勝者は川合俊一/熊田康則ペア)。90年代前半までの同大会は、バレーボール日本リーグ(現プレミアリーグ)に所属する全日本代表のスター選手も多数出場するなど、大盛況を収めました。ですが、真剣勝負の戦いというよりはお祭りムードに包まれたものでしたね」(同)
しかし、96年に開催されたアトランタ五輪での正式種目採用決定を受けて、国内のビーチバレーを取り巻く環境は変わり始めたという。
「それまではお遊び感覚でやっていたのが、世界を見据えて真剣に競技に取り組む選手たちが増えていきました」(日本ビーチバレー連盟・川合俊一会長)
アトランタ五輪から昨年の北京五輪まで、日本チームは4大会連続出場(シドニー五輪、アテネ五輪は女子チームのみ出場)を果たしているが、最近までビーチバレーは世間の注目度は決して高くないマイナースポーツのひとつだった。こうした状況を打ち破る、大きな起爆剤になったのが"ビーチの妖精"こと浅尾美和の出現だ。
04年、浅尾はバレー部で活躍した高校卒業後ビーチに転向。モデルやタレント業もこなすルックスから、07年に発売となった写真集は6万部、DVDも3万枚を突破するなど、人気グラビアアイドル級の売り上げを記録。大手企業からも続々とCMオファーが殺到し、大ブレイクを果たしたのだ。
「彼女の存在がなければ、今のビーチバレー人気はなかったでしょう。それは誰もが認めるところです」(前出の吉田氏)
だが、浅尾の出現はビーチバレー界にとって"諸刃の剣"でもあった。
「我々としては、国内において『ビーチバレーをメジャー・スポーツにする』という大きな目標がある。そのためには、選手の育成も大切なのですが、浅尾のような世間の注目を集められる選手が必要だった。現在、国内ツアーの賞金は1位50万円、2位30万円、3位25万円......となっていますが、これはほかのプロスポーツやアメリカのツアーなどに比べると、格段に低い。ですが、浅尾が現れたことによって、大会スポンサーに名乗り出る企業は確実に増えました。(彼女を前面に押し出す)その戦略は、決して間違いではなかったと確信しています。
しかし、浅尾への反響は我々の予想をはるかに上回るものだった。週刊誌や男性誌による男性目線の際どい写真など、競技から大きく逸脱した報道につながったことも認めざるを得ません」(ビーチバレー連盟・川合俊一会長)
さらに、スポーツ紙・ビーチバレー担当記者も、このように指摘する。
「浅尾が登場したことによって、確かにスポーツ紙でビーチバレーの記事の扱いは大きくなりましたが、社にいる大半の人間はスポーツ競技と見なしていません(苦笑)。もちろん、我々のような現場記者は、トップ選手のプレーを間近で見て、過酷なスポーツだということを十分理解し、その魅力を伝えたいと考えている。しかし、紙面割りの決定権を持つ上層部の中には、いまだに文化・芸能面の延長と考えている人もおり、決して週刊誌や男性誌のことは責められません。競技の本質的な魅力を伝えようとしないテレビに関しても同罪ですね」
ビーチバレーを色眼鏡で見ているのは、メディアだけではない。本来ならば共存共栄を目指すべきはずのバレーボール界にも偏見の目を持つ人間もいるという。
「川合氏と同年代のバレーボール関係者たちは、現役時代、実際にビーチバレーをプレーした経験があるなど、好意的に受け止めている人が少なくありません。先日、川合氏が木村沙織選手&狩野舞子選手にビーチ転向の"ラブコール"を送った際(インタビュー参照)も、バレーボール女子日本代表監督に就任したばかりの真鍋政義監督(川合氏の1年後輩)は、『それならこっちは(ビーチバレーの)浦田(聖子)をインドアに転向させたい』とリップサービスするなど、良好な関係を築けています。しかし、川合氏よりも上の世代の日本バレーボール協会の幹部や実業団や大学・高校の指導者たちの中には、『あんな裸でやるものをスポーツとは言えない。バレーボールと一緒にされては困る』と露骨なまでに拒否反応を示す人もいます」(前出・記者)
国内ビーチバレーのさらなる人気定着のためには、メディアやバレーボール界に根強く残る偏見を取り除くことも欠かせない。しかし、こうした偏見や軋轢は、12年のロンドン五輪の出場権争いによって、今後ますます助長されるかもしれない。
「北京五輪のビーチバレーの出場権は、男女ともにワールドツアーのポイント・ランキング上位(各国2チームまで出場可)と開催国枠(1チーム)による24チームに与えられていました。次回のロンドン五輪からは出場組数24チームは、そのままなのですが、方式が変更になることがほぼ決定。従来通りのワールドツアーのポイント・ランキング上位16チームと開催国枠(1チーム)に出場権が与えられるほか、残りの7枠については大陸間ごとのビーチバレーワールドカップ予選(開催日程等は未定)によって争われることになります。また、ワールドカップ予選の勝者に与えられる出場権は、各チームではなく、各国の連盟に渡り、連盟の意向で代表チームを選出できるという案も浮上。つまり、もし日本チームが出場権を獲得した場合、日本のどのチームも五輪に出場する可能性が出てくることになるのです」(前出の吉田氏)
この五輪出場決定方式の変更にいち早く目をつけたのが、不振を極める民放各局だという。
「高視聴率は期待できませんが、世界大会の競技中継は、サッカーであれ、野球であれテレビ局にとってはキラーコンテンツ。五輪出場を懸けたガチンコ勝負が見られるとなると、ビーチバレーを見たことのない人も興味を持つはず。そこで、民放各局によるワールドカップ予選の放送権争いが勃発していました。結局、『ワールドカップバレーボール』などの放送でも実績を残すフジテレビが獲得し、日本での開催も決定したようですね。大会の予選がテレビで放送されるのは、ビーチバレーの魅力を広く伝える上では非常に意義のあること。
しかし、フジテレビはあくまでビーチバレーを金儲けの手段としてとらえているのか、ワールドカップ予選の番宣のために複数の芸能事務所と結託し、お台場ビーチでグラビアアイドルにビーチバレーをやらせ、その模様を放送するとか(苦笑)。もちろんファンからはキッチリ入場料を徴収、その収益も見込んでのことですよ」(民放局員)
知名度を上げたい運営サイドと、視聴率とスポンサーを確保したいテレビ局の思惑が一致した試み......というのは邪推かもしれないが、いずれにせよ、テレビ局も週刊誌も男性誌も、同じ穴のムジナということだろう。
(大崎量平)