何年か前の話だが、私の先輩が所属するサークルで、ちょっとしたストーカー騒ぎがあった。彼らは江戸川区を中心に活動する、フットサルのサークルだった。そこにMさんという40歳くらいの独身中年男性がいた。彼の職業はマッサージ師で、いつもニコニコ、まるでお地蔵さんのような笑顔を絶やさない人だった。私はその1年ほど前に一度だけ会ったことがあったが、そんな彼が当時少しはやっていたあるポルノゲームの大ファンだと知ったときは、結構驚いたものだ。
そのゲームは当時の純愛ブームの影響下にあり、オタクたちに「泣ける」ゲームとして話題になっていたが、要は「主人公が難病の女の子の不安に付け込んでセックスする」という内容で、「マッサージ師がこんなゲーム好きって、あんまり公言しないほうがいいんじゃないか」と内心思ったものだった。しかし、彼の人畜無害なキャラはまったく性的アピールを持たず、サークルの女性陣とも仲良くやっていたようだった。まるで解脱しきった仙人のような、あるいは羊のような存在感で、Mさんはサークルにマイナスイオンを振りまき、人々を癒していた。はずなのだが......その1年後、彼は私の先輩の彼女にストーカー行為を働いて、サークルを追い出されていった。先輩からその話を聞いたときに、「まさかあのMさんが」と言葉を失ったものだった。Mさんは解脱していたわけでもなければ、欲望が薄いわけでもなかったのだ。「草食系」男子などではなく、ただ、臆病なだけの「弱めの肉食系」だったのだ。今思えば、草食系が「難病の女の子の不安に付け込んでセックスする」なんてゲームにハマるわけがないのだ。Mさんはよく、「僕は自分の男性性に嫌悪感しか抱けないんだ、だから二次元に撤退したんだよ」みたいなことを言っていたという。Mさんは「自分が女性に積極的になれないのは、自分にその種の欲望が薄い『草食系』だからだ」という物語で自己正当化を図っていたのだろうが、その実、自分の性的/人間的魅力に自信がなかっただけなのだろう。つまり「草食系男子」を気取っていたが、実はバリバリの肉食だったわけだ。
しかし、私は世の中にホンモノの「草食系」がいないかというと、そうでもないと思う。たとえば研究室にこもって何週間も出てこないような理系の研究オタクや、田舎でひたすらガンプラと車をいじっているオタクとヤンキーの中間連中には、本当に恋愛欲求自体が薄いとしか思えない、熱量の低い男子がたまに混じっていたりする。こういう連中は少なくとも草食「状態」にはあるはずだ。そして、この種の「ホンモノ」たちは決してポルノゲームに入れ込んだり、何年か前にはやったようにブログでキモい恋愛論をブチ上げて社会を糾弾したりはしない。そもそも「異性」に対する欲求自体が低いからだ。
「自分は男性性に嫌悪感があるから恋愛に積極的になれない」とか「恋愛至上主義社会は間違っている」とか訴えて噴き上がるタイプは、間違いなく「草食系」ではない。恋愛への憧れを「酸っぱい葡萄」的に表現しているだけの「弱めの肉食系」にすぎない。
に、してもこうした造語が一人歩きする現象の背景には、必ずしも恋愛(そして結婚)しなくても生きていける「おひとりさま」社会が実現されたその一方で、「恋愛」くらいしか生きがいがない連中が時代に取り残されつつある現実があるのだろう。最近の若いオタクには器用な人が増えているようだが、それだけに「彼女がいない、その一点で人生崩壊」な世界観に生きる「弱めの肉食系」は追い詰められやすいのかもしれない。
<使用例>
(キャンパスのベンチで、女子大生2人の会話)
「○○くんなら哲学概論のノート取ってるんじゃないの? 借りてこようか?」
「いいけど、よくあの人と話せるよね。勘違いしそうじゃん」
「大丈夫だよ、あの人、草食系だから」
「そうかなぁ、私には弱めの肉食系に思えるけど」
<関連キーワード>
『ガンスリンガー・ガール』
「弱めの肉食系」のバイブル。サイボーグ少女兵士を見守る中年上司の「援交セックス後に少女の未来を心配」的な勘違いナイーブが全面展開!
『はてなダイアリー』
本田透の『電波男』が話題の頃、触発された「弱めの肉食系」たちが頭悪いパフォーマンスをブログ論壇で連発。反面教師に要チェック。
『鏡』
弱めの肉食系男子の83.4%は、鏡に映った自分の姿を見るとそのまま悶絶死します(惑星開発委員会調べ)。全国の女子は、ぜひ護身用に!
宇野常寛(うの・つねひろ)
1978年生まれ。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。ミニコミ誌「PLANETS」の発行と、雑誌媒体でのサブ・カルチャー批評を主軸に幅広い評論活動を展開する。著書に、『ゼロ年代の想像力』(早川書房)がある。本誌連載中から各所で自爆・誤爆を引き起こした「サブ・カルチャー最終審判」は、今秋書籍で刊行予定。