──白洲次郎を好きなのは、何も一般人だけではない。各界の著名人をも惑わせる(?)、白洲次郎の圧倒的な魅力について話を聞いた。
「次郎は人間としては冷たかった」
辛酸なめ子(マンガ家・コラムニスト)
1974年、東京都生まれ。漫画家、コラムニスト。毒のある漫画やコラムで人気を博し、新聞、雑誌等で幅広く活躍。著書に『ヨコモレ通信』(文藝春秋)、『消費セラピー』(集英社)、『女修行』(インフォバーン) など。
世の中には「カリスマ」と呼ばれる人がさまざまいますが、本物を求める人、自分の審美眼に自信がある人が「白洲好き」のイメージです。現代において、白洲次郎は自分をアピールするツールのひとつなのではないでしょうか。
しかし私は、白洲次郎は人間としては冷たかったのではないかと考えています。正子は長男を出産後、病気がちで大病を患ったこともあったのですが、正子が「ジロちゃん、おなかが痛いんだけど」と言うと「またか」と一言言い放ったそうです。そんなこともあって、正子は次郎に頼ることはあきらめ、中性的になり、青山二郎や小林秀雄と親しく付き合うようになったのではないでしょうか。
外見は、まあ、そうですね、けっこうカッコいい......ですよね。正子も確か一目惚れでした。でも、男性として、いえ人間としてどうか、疑問です。
昨年、武相荘を見学に行ったのですが、正子ワールド一色で、次郎の雰囲気はあまり感じませんでした。もともと随筆家として正子のほうが有名でしたし、人々に慕われていましたから、正子に比べると次郎の存在感は薄いような気がします。(談)
「ぜひトゥルースを知りたい」
ルー大柴(タレント)
1954年、東京都生まれ。英単語を織り交ぜたブログが人気。近年は「MOTTAI NAIプロジェクト」にも賛同し、マイ箸を持ち歩くなど信念を貫いている。また、旧白洲邸のある多摩近辺の自然にも親しみ、ドジョウを飼育している。
シティースクール(都会派)の方ですよね。あの時代ですごくフォーリンカントリー(外国)ナイズされていて、イングリッシュが堪能っていうところがグレイト。先端を行っていた人なんだなと思います。
私も18歳からアバウトワンイヤー(約1年間)、ヨーロッパを放浪して、ビギニング(最初)はすごく抵抗がありました。井の中のフロッグ(蛙)オーシャン(大海)を知らずじゃないけど、イエスorノーをちゃんと言えないんです。そういうマイセルフ(自分)がイヤだったので、その後はハッキリとセイする(言う)ようにしました。そういう意味では今のジャパニーズが見習うべき方ではないでしょうか?
白洲さんはベリーハンサム、ジャパニーズ離れしてますね。私もあちらで「ジャパニーズ(日本人)」ってあんまりセイされ(言われ)ずに「アラブ人か」ってよく聞かれました。
ひとつだけ気になるのは、最近マスコミが白洲さんを偶像化してるかな?ということ。本当は身長175センチくらいしかなかったって言う説もありますよね。それが今は185センチ。もう亡くなっているから、あとのフェスティバル(祭り)なんだけど、伝記やヒストリーが好きなんで、ぜひトゥルース(真実)を知りたいですね。(談)
「白洲次郎は"初代抱かれたい男"ですね」
ますい志保(「ふたご屋」ママ)
北鎌倉生まれ。1994年、会員制クラブ「ふたご屋」開店。03年、子宮がんに倒れるが無事復帰を果たす。近著に『男を虜にする作法』(朝日新聞出版)、『銀座ママが明かす「お金に好かれる人、嫌われる人」』(廣済堂出版)など。
現代の経済的・政治的混迷の時代に欲しい人材こそ、白洲次郎でしょう。日本人が最も苦手とするネゴシエーションのできる政治家が、今の日本にはいません。白洲次郎のような人がいたら......と思うからこそ、クローズアップされるのでしょう。
しかも、「日本一カッコいい男」と呼ばれ、その振る舞いは英国仕込みでスマート。顔を埋めて抱かれたいって思うよね、女なら。初代抱かれたい男ですね。今は、ブチャイクな政治家が多すぎます(笑)。
今のサラリーマンはみんな「上司が、部下が」と顔色をうかがってばかり。自分が「なんとかするんだ」と動かそうとする、白洲次郎のような人がいない。
でも、白洲次郎自身も、苦労はしたと思う。白人社会においてアジア人が生きるのは、とても難しいことですから。でも、その苦労を楽しみながら、自分で人生を切り開いています。ポジティブですよね。
彼のように骨太で、強いリーダーシップのある日本人が、この国に必要だと思います。(談)
「白洲さんの信念に共感しています」
秋山成勲(格闘家)
1975年、大阪府生まれ。柔道の選手を経て、04年からプロ格闘家に転身。06年、HERO'Sライトヘビー級チャンピオンに。3月、モデルのSHIHOと入籍を発表。4月、自叙伝『ふたつの魂 HEEL or HERO』(ベストセラーズ)発売。
白洲さんは憧れる人、目標とできる人です。なぜなら、白洲さんの根底には「プリンシプル」があるから。白洲さんはそれを最後まで貫き通しました。今、白洲次郎のようにプリンシプルを持っている人は少なくなっていると思います。
マッカーサーを叱ったという話の真偽は不明だという説もありますが、いろんな人たちが証言するのを読み、イギリスの文化を学んだ白洲さんなら、アメリカに対してちゃんとものを言えたはず、このエピソードは嘘ではない、と自分では思っています。
白洲さんの言葉で最も印象的なのは、「戦争に負けたけれども、奴隷になったわけではない」です。試合に挑むときや負けたときに、その言葉をよく思い出します。試合に負けても、何か得るものはちゃんとある。たとえ負けても、自分を曲げたわけではない。そんな気持ちです。
白洲さんが「夫婦円満の秘訣は一緒にいないこと」と言ったそうですが、それだけは反対ですね(笑)。まだ白洲さんのように長年連れ添ったわけではないのでわかりませんが、僕は夫婦は一緒にいることが大事だと思います。(談)
「次郎サンってイケメンよね〜。時代を超えたイケメン」「あたし、次郎サン(のポスター)と一緒に写真撮りたいわぁ。こんなに足長くないから同じポーズはできないけど。ガハハ」
とある日の午後、東京・町田にある武相荘は、カメラ片手のツアー客でごった返していた。客の多くは60〜70代。7〜8割は女性である。みんな「ヨン様、ジウ姫」とでも言うように「次郎サン、正子サン」とウキウキしている。
今、白洲次郎バスツアーが人気だという。関東近郊を出発し、有名ホテルのバイキングで昼食を取り、白洲次郎が「カントリー・ジェントルマン」として暮らした家「武相荘」を見学するというツアーである。旅行会社や出発地によって、国会議事堂や新宿御苑、東京タワーなどの見学が組み込まれていることもある。料金は、おおよそ1万円前後。
「ツアー自体はけっこう前からあったんですが、参加者はそれほど多くありませんでした。NHKのドラマが放映されてからは、ほぼ満席になっています」(ツアー添乗員)
実際、「あのドラマを見るまで、ここにこんなところがあるって知らなかった」(60代女性)という人もいた。地元の人も、あまりのにぎわいぶりに驚く。
記者が来訪したこの日は、2〜3のツアー団体が重なり、母屋に入るのに50〜60人待ち。ショップでは、プリントTシャツや関連書籍が飛ぶように売れていた。
しかし、もともとただひなびた田舎家を開放しただけ。たいした広さもなければ、"農家"以上の庭や眺めもない。正子趣味という以外にさして珍しい展示品もないのに(もちろん、正子ファンにはこたえられないと思いますが)、入館料1000円! 学割、団体割引、シルバー割引一切なし!! 一般客、ツアー客も含め、来館者数は一日平均500〜600人というから......次郎さんち、また儲かっちゃうよ。
門の横にあるトイレも、ここまでのブームを予期していなかったのか、数が足りていないようで、母屋並みに長蛇の列ができていた。
「ちょっとー、近くにコンビニないのぉ? トイレ借りに行きたい」
と、オバさま方の不満もチラホラ......。「すみません、ここでお待ちください。お客様が終わるまで出発しませんから」と添乗員がなだめていた。これから行かれる方は、おトイレは事前に済ませてからのほうがよろしいようです。
旧白洲邸 武相荘
住所/東京都町田市能ヶ谷町1284 TEL/042-735-5732 オープン/10時〜17時(入館は16時半まで) 休館日/月曜・火曜(祝日・振替休日は開館)
公式サイト