──"映画業界を守る機関"を自認する映倫だが、映倫の審査を受ける側である映画製作者からの不満の声は今も多い。映画業界が自主規制のために設けた映倫が、同業者からの反感を買っているのはなぜなのか?
銀座の雑居ビルに入った映倫。
今年のアカデミー賞外国語映画部門には、滝田洋二郎監督の『おくりびと』が日本映画としては5年ぶりにノミネートされ、ハリウッドで行われる授賞式には日本からも熱いまなざしが送られている。また、昨年の邦画の総興収は『崖の上のポニョ』の大ヒットもあり、邦画史上最高となる1158億円を突破。邦画の製作本数を見ても00年には282本だったのに対し、06年以降は400本を連続して超えている。
近年、非常に活気づいている日本映画ビジネスだが、映画製作者および洋画配給業者が作品を劇場公開するにあたって必要不可欠なのが、映倫管理委員会(以下、映倫)の審査。この審査によって一般、R-18、R-15、PG-12の4段階にレイティングされる。また、全国の映画館のほとんどが全国興行生活衛生同業組合連合会(以下、全興連)に加盟しており、全興連には「映倫の審査を終了した作品しか上映しない」という自主規制があり、映倫マークの付いた映画でなくては、全国規模での公開はできない仕組みとなっている。
だが、映倫はあくまでも映画業界が自主規制するために設けた任意団体であり、未審査の作品を上映しても法的なペナルティーが科されるわけではないことは、一般にはあまり知られていない。日本の映画業界の目付け役である映倫とは、一体どんな存在なのか?
まず簡単に、その成り立ちを振り返っておこう。戦後、民主政策を進めるGHQの後押しで、49年に映画業界の自主規制団体として誕生したのが映画倫理規程管理委員会(旧映倫)。その後、『太陽の季節』(56)をはじめとする若者の風俗を赤裸々に描いた太陽族映画が社会問題となり、56年に客観性を持つ第三者機関として映倫管理委員会(新映倫)と改まり、現在に至っている。作家、大学教授といった識者が映倫管理委員会を構成し、それからさらに審査などの業務は契約職員に委託している形だ。旧映倫時代は大手映画会社が共同で運営費を賄っていたが、新映倫になってからは独立性を保つため、申請者(主に映画製作者や配給業者)から審査料を取ることで運営している。
これまで大島渚監督『愛のコリーダ』(76)ほか多くの作品で、映画監督と映倫は"表現の自由"か"わいせつシーンの修正"かで火花を散らしてきた。だが、92年にはヘアヌードが見直され、以後は映倫が規制する問題点は暴力や薬物注射などの描写に比重が移っている。97年の神戸連続児童殺傷事件以後は、少年犯罪の描き方に対して特に厳しい。
もうひとつの記事に、近年、映倫絡みで新聞やテレビのニュース番組などをにぎわした作品を挙げてみた。この中で特に問題となったのが、南アフリカ・英国合作の『ツォツィ』(05)。第78回アカデミー賞外国語映画部門を受賞した感動作だが、貧困街で育った少年たちがアイスピックで殺傷事件を犯すシーンなどを理由に、映倫はR-15指定とした。配給元の日活は「子どもにこそ観てほしい」と再審査を求めたが、映倫は受け付けなかったとされている。
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映倫と日活側との間で、具体的にどのようなやりとりがあったのだろうか。現在は日活を退職しているが、07年の日本公開時に同作の宣伝プロデューサーを務めた村田敦子さんが振り返った。
「試写に映倫から男性審査員が2人来られ、試写終了後に呼ばれて、『少年犯罪の場面があり、15歳以下に観せるのはふさわしくない。R-15でお願いします』と言われました。私は『困ります。せめてPG-12にしてください』と頼んだのですが、『まぁ、社に戻って検討してください』と言われ、仕方なくその場は引き下がったんです。でも、それがダメだったようですね。その後、映倫からR-15指定を伝える通知書が届き、一度諦めたんです。でも映画評論家やジャーナリストの方たちが『不良少年が更生する内容なのに、R-15はおかしい』と励ましてくださり、みなさんの連名書を持って、映倫に再審査をお願いしました。しかし、映倫は『いったん通知書を受け取ったら、もう覆せない』という説明の一点張り。とてもお役所的な対応でした」
村田さんは、映倫の審査システムの不透明さが問題だと指摘する。
「私がR-15指定に抗議した時点で再審査制度のことを教えてくれれば、スムーズに再審査の手続きをしていました。業界でも映倫規程や再審査制度をきちんと把握している人は、ごくわずかだと思います。結局、公開日が迫っていたこともあり、このときはR-15を甘んじて受けましたが、映倫側には『再審査制度や審査基準をわかりやすくしてほしい。審査する人数を増やしてほしい。男性審査員だけでなく、女性審査員も導入してほしい』などの意見書を渡しました。上司には『あまり映倫とトラブルを起こしてくれるな』と小言を言われましたけどね(苦笑)」
また、インディペンデント系の映画スタッフにも話を聞くと、なかなか辛辣な声が上がってきた。
「映倫の審査員は、大手映画会社の天下りなんですよ。1作品ごとに2人1組で審査するのですが、年配の男性ばかり。観終わっての第一声は、いつも『結構な作品でした』と決まっています。若い監督の作品など、本当に理解できているのかと思いますよ。問題のありそうな作品の場合はさすがにしっかり観ているようですが、なんでもない作品の場合は試写中に寝ていることもあるようです。それで、高額な審査料を払わなくちゃいけないわけでしょ。大手の映画会社ならともかく、低予算の作品にとっては大きな負担ですよ。邦画がヒットしているといっても、潤っているのは大手だけですから」
問題視された映倫の審査料だが、フィルム1mにつき100円、時間に換算すると1分間で2740円。2時間の作品なら約32万円の審査料が請求されるという。予告編2500円のほか、ポスター、チラシといった宣伝材料についても別途審査料が発生する。邦画洋画合わせ年間約600本の長編映画を映倫は審査しているので、単純に2時間32万円で計算してみると、映倫は年間で2億円近い審査料を得ている計算になる。映倫の常駐職員は審査部9名、事務局4名、試写室1名の計14名。そんな小さな組織で、かつ利益を求めることを目的としないはずの団体に2億円前後の大金が流れていることから、映画関係者からの風当たりは強い。
92年に映倫の経理担当の女性職員が審査料7000万円以上を横領していた事件が発覚したことも、映倫に対する不信感につながっているようだ。
映画『ポチの告白』で警察権力の横暴を暴いた高橋玄監督は、映倫に対してさらに厳しいコメントを発している。
「『ドラえもん』のような、誰がどう観ても害のない映画からも映倫は審査料を取っているわけです。事実上、映倫の審査を通さないと全国公開できない。これでは、審査料というより通行料です。レイティングの妥当性以前に、1m100円という審査料の法的な正当性や基準自体も疑問。僕の監督デビュー作は16㎜フィルムの映画だったけど、映倫は『16㎜の場合は、35㎜にしたときのメートル数に換算します』と審査料を請求してきた。同じ上映時間でも16㎜だと35㎜よりメートルが短くなるから、審査料は安くなるはずなのに。単館公開と全国公開作が同じ審査料というのも不当。つまり、映倫の目的は『集金』であって内容の審査ではない。映倫ができた50年前は大手映画会社が映画を製作していたから、審査料という名目の身内のカネ回しが成立したのだろうが、いまはインディペンデント系製作会社が主流。映画業界全体の振興のためにも、映倫審査に関する根本的な改正が急務です」
高橋監督は、映倫がなくても映画業界は困らないとも言う。
「映倫が映画業界のために公益性に基づいて活動しているというのなら、映倫の年間予算や決算の内訳を公表するべき。審査員の名前と審査した作品名も、HP上でデータベース化しろと言いたいですね。映倫があってもなくても、国家権力は映画表現にすぐに介入してきますよ」
映倫への不満の声を取材する中、映倫が今春大きく変わるという情報が入った。そこで映倫を訪ねたところ、事務局長の児玉清俊氏が対応してくれた。
「情報公開という昨今の時流もあり、春からは映倫規程などをHP上で部分的にオープンにしていく方向性で考えています。審査作品のレイティングの理由も、これまでは月間で映画業界内や各都道府県の青少年課に情報提供していたものを、HP上で公表していくことを検討しています。映倫管理委員会を管理している映倫維持委員会の4月下旬の総会で承認されれば、5月には公表していく予定です」
審査員の名前や職歴を公表することは、考えていないのだろうか?
「審査員の公表は難しいでしょう。HP上に個人名を出すと、誹謗中傷につながりかねませんから。『映倫は大手映画会社の天下り先』という批判があるとのことですが、審査員のほとんどが映画会社のOBであることは事実です。平均年齢は60代。映画のことに精通し、社会経験も積んでいる人間でないと審査員は務まらないので、どうしてもある程度の年齢になる。だから、映画会社の天下り先と思われがちなのは、仕方ない一面もあるんです。でも、審査員が年配であることは、審査になんら支障はないと思っています。審査員は2年契約で更新可能ですが、68歳までと規程で決めています。過去に一度だけ、女性審査員が決まりかけたこともあるのですが、諸事情で実現しませんでした。審査員は常にプレッシャーを感じながら、長編映画だけでも年間約150本も審査しなくてはいけないのですが、それに対して年間で支払う契約金があまりよくない上に、朝から成人映画なども観なくてはいけないなど、決して楽な業務ではないのです」
警察からの天下りを受け入れていたAVの自主規制団体である日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)のように、映倫が警察からの天下りを受け入れていることはないのだろうか?
「映倫には警察OBはいません。警察から天下りの話が来ても、お断りします。警察OBを受け入れては、中立公正が保てません。今春の改正も07年のビデ倫事件の影響ではなく、06年の50周年を機に、業界内でプレゼンを繰り返して練ったものなんです」
終始穏やかに説明する児玉氏だが、業界に苦言を呈するくだりもあった。
「映倫がいちばん嫌うのは、映倫を使って映画の宣伝に利用しようとすること。『映倫とトラブルが起きた』なんてネタは、マスコミが大きく取り上げるわけです。私たち映倫も映画会社も、映画産業、映画文化の発展のためにお互い業務に励んでいるんですから、マナーを破るような行為はやめてほしいと思いますね」
最後に、審査料をめぐる業界内の不満も伝えた。
「映倫はお金を儲けるための団体ではないため、収支はとんとんです。得た審査料は、すべて人件費や家賃などの運営費に当てています。毎年、映倫維持委員会にきちんと決算報告しており、使途不明金などはありません。審査員を含め、映倫の職員が一流企業同等の高給を得ていることもないです。もし審査料の使い道に疑問を感じている方がおられれば、こちらに来ていただければ納得できるよう説明いたします。その上で『一度、審査員になってみませんか?』とお声を掛けたいですね。経験されれば、キツい業務だとご理解できるのではないかと(苦笑)。いずれにしろ、映画製作者と映倫との間に多少の緊張感があるくらいのほうが、お互いにとって良いのではないでしょうか。映倫がなくなったら、事あるごとに行政が介入してきて大変なことになりますよ」
一方、都内では未審査作品を映画館が自主的レイティングを設けて上映するケースも出てきている。こうした現状に対して、ある劇場支配人が語った。
「映倫の審査は、強制的なものではないわけです。90年代に中野武蔵野ホール(04年閉館)が映倫を通していないインディペンデント映画の特集上映を組んでにぎわっていたんですが、興行関係者から全興連に通報があり、劇場支配人が1カ月の停職処分を食らったことがあります。でも、これは武蔵野ホールを経営していた武蔵野興業のオーナーが当時全興連の会長だったことから、示しがつかないという理由で内部的に処分された例外的なものです。全国の映画館のほとんどが全興連に加盟しているのは、入っていないと作品を回してもらえなくなるかもしれない、業界内で村八分にされるかもしれないという恐れから。いわば日本人特有の横並び意識なんです。映画を上映する、映画を観るということは、もっと自発的なものだと思います。映画館の支配人が『これは面白い映画だ』と思えば、映倫を通していない作品でも自主的な判断で上映すればいいんです。観客も観るべきかどうか、自分の責任の上で決めればいいんですよ」
最近の日本映画の好況は、映倫審査に引っかかることのない人畜無害なメジャー大作で支えられているが、映倫とバトルが勃発するような問題作が現れてこそ、映画業界のさらなる発展につながるのではないだろうか。
(文/長野辰次)