──昨秋の景気失速以降、やたらとメディアに引っぱりだこの"経済評論家"なる人々。しかし一口に経済評論家といっても、その立場や発言は多種多様で、誰がどんな主張をしているのか、いまいち不明瞭。はたしてこの不況を打破する論を説くのは誰なのか?
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「アメリカがくしゃみをしたら日本が風邪をひく」──ビジネスにおけるこの常套句は、日本経済には通じても、どうやら経済評論家には当てはまらないようだ。昨年のリーマン・ショック以降、経済評論家たちに"不況特需"が訪れている。連日メディアに講演に引っぱりだこで、金融危機関連本はベストセラーを連発。出版数も昨年12月には関連本だけで15冊以上と、2日に1冊の超ハイペースで刊行されている。
だがその内容はというと、構造改革の旗振り役だった中谷巌が『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社)で急に転向し、改革批判を行い始めるなど、世界経済と同様に評論家業界もどうやら混乱中らしい。こんな状況の中で、ではどの経済評論家を信用したらいいのか? 「確かに見極めが難しい状況ではありますね」とは、駒澤大学経済学部准教授で、経済論壇へ向けても積極的に発言を行っている飯田泰之氏。
「リーマン・ショック以後に主張を変えた、ヌエのような人も多いですから。中谷さんなんて、僕には世論に合わせて転向したようにしか思えない(笑)」
飯田氏によれば現在、経済評論家業界の主張のポイントは大きく5つに分けられるという。
「まず財政問題は、〈再建派(公共事業削減)/出動派(政府支出を通じて景気向上)〉で分かれます。次に政府による規制で〈緩和/強化〉。格差問題については、〈分配/制度〉のどちらで是正するか。それから、最近論戦になるのが景気問題で、〈"いずれ回復"派/"資本主義の崩壊"派〉で分かれます。それから金融政策、これは〈有効派/無効派〉という構図ですね」
わかりやすくいえば、「/」で分けた前者寄りが構造改革やリフレ派といった従来の経済論壇での対立、後者寄りが時流に乗った構造改革反対ということになるだろうか。
「もちろんそれぞれ細かい差異はありますが、大ざっぱにとらえるならそうなりますね。でもリーマンショック以降、これが一気に揺らいだのが問題なんですよ」(同)
1年前の状況を振り返ってみよう。経済評論のメインストリームは、財政は再建派の声が大きく、規制と格差の是正方法は小泉改革の揺り戻しでニュートラル気味、景気に関しては「資本主義の崩壊」という声はほとんどなく、金融政策は無効派が多数。これがリーマン・ショック以後、先の構図でいうと一気に後者に振れたことになる。
その「日和った」代表格は、やはり中谷巌。そして金子勝や佐高信など、もともと規制強化を主張していた評論家たちにも追い風が吹いている状態だ。
「2人とも、主張はすべて後者ですね。マルクス経済学がベースの学者や、思想的に左翼寄りな人に多いタイプ。今はメディアも不安を煽るためか、彼らにばかり話を聞きに行くので、自ずと『資本主義は終わりだ!』という主張が大きく聞こえてしまっている状況なんです」(同)
とはいえ、金子勝は「ダメ出しばかりで何も生まない」と猪瀬直樹に批判されたり、討論番組で竹中に振り回されるなど、露出が増えた分アラも目立つ。この機会に世間の心をつかむには、もう少し洗練が必要ではあるようだ。
そして、今や劣勢に見えるのが構造改革派。小泉改革を推し進めてきた竹中平蔵などはいまだに強気の発言を続けているが、厳しい批判の矢面に立たされている感は否めない。だが同じく小泉改革のブレーンだった高橋洋一、現役で企業の実務に関わる勝間和代や藤巻健史など、一部論点に関して前者寄りの発言を続けている論客は少なくない。また、細かな差異はあるものの、昨今活発化しているブログ経済論壇では、池田信夫や切込隊長・山本一郎、霞ヶ関の現役官僚と言われるbewaadなども比較的前者寄りだ。
「勝間さんやbewaad氏のように、実際に政策やビジネスの現場にかかわってると、厳しい規制が企業の海外流出を生むことを実感するんでしょう。逆に現場を知らない学者系の先生は、比較的企業を甘く見てる。自社の雑誌で使いたいのは、やっぱり実務を知ってる人ですね」(ビジネス誌編集者)
さらに、政策だけではなく、世代間の違いもある。堺屋太一や長谷川慶太郎など古株の評論家は、先の構図ならほとんど全項目においてニュートラルにあたり、あまり特徴は見られない。一世代前の評論家である彼らは、何か具体的な政策を主張するのではなく、政界や論壇の人間関係評論を語ってきた、"事情通"タイプ。しかし2000年を境に、理論的な裏付けから政策提案をする、ロビイスト的な評論家が主流になってきた。その代表が、良きにつけ悪しきにつけ竹中平蔵ということになるだろう。
この新世代の評論家たちは「経済評論家」ではなく、「エコノミスト」や「アナリスト」を名乗ることが多いのも特徴だ。メディア露出が多い(多かった)森永卓郎や植草一秀などがその代表格で、両者とも金融系企業シンクタンク出身である。現在ビジネス誌界隈を中心に、急速に注目度が高まっているドイツ証券シニアエコノミストの安達誠司や、三菱UFJ主任研究員の片岡剛士もこのタイプにあたる。
ではこれほど主張が錯綜する中で、信用できる評論家を判断するポイントは結局どこなのか。飯田氏は「格差問題がキーになるのでは」と言う。
「派遣云々の問題を本気で解決したいなら、正社員の待遇を下げるしかないんです。だけどこれは僕も含めてですが、大っぴらに発言しにくい。メディアではっきり主張しているのは、八代尚宏さんや城繁幸さんぐらいですね」
正社員の待遇引き下げは、同時に大企業批判を意味する。それをやってしまうと、経済評論家の重要な飯のタネである、企業周辺のファンを失うことになりかねない。また評論家といえども、金融系シンクタンク勤務だったり証券会社の研究員だったりと、正社員として雇用されている人は意外と多い。それゆえ正社員の待遇引き下げは、自らの首を絞めることと直結している。
ならば、自身の身を削っても言うべきことを言う人が、信用できる評論家ということだろうか。だがそんな時こそ、しがらみのない学者系の評論家であれば、はっきり主張できるのでは?
「そうなんですけど......これまた僕を含めて『学者は話がつまらない』っていう致命的な欠点がありまして、メディア受けが難しいんです(笑)」(同)
......どうやら主張の論旨だけでなく、懐事情から人間性まで見て判断する必要がありそうだ。
(取材・文/鈴木ユーリ)
(絵/河合 寛)
「いわゆる経済評論家を専業でやっている人だったら、メディアに露出して知名度を上げ、講演で稼ぐのが常道ですね。これが外資系企業のチーフアナリストあたりだと、リーマン・ショック以前は、1人3万円の参加料を徴収する講演パーティーで、100人以上が参加、なんていうケースも珍しくなかった。でもこれは、彼らがビジネスの現場の人間だからできたこと。単なる評論家だったら、いくら有名でもその3割掛けがせいぜいです」
だが、このような企業側に足場を置いての活動だと、本文でも述べたように、自由な発言ができなくなりがち。それを回避するために、大学に入って安定収入を得たうえで、評論活動を行うという手もひとつだ。
「モリタクさんがこのパターンですね。植草さんは、名古屋商科大の籍がゲットできただけでもすごくラッキーだったのに、着任した途端にまた例の事件を起こしちゃって、もったいなさすぎですよ(笑)。でも客員教授ならば結局は契約社員みたいなものだから、大学経営の状況が変われば契約を切られやすいというデメリットもあります」(同)
では最初から安定している、生え抜きの学者たちはどうなのか。「経済学者が稼ぎを上げる方法は大きく分けて4つある」と経済学会関係者は言う。
「王道は、群を抜いた学術的な功績を挙げること。でもこれは当然ながら、一握りにしかできない。そうすると次の道として、トップにはなれないけど優秀ではあるという人が、政府系のシンクタンクで仕事をすることが多い。税制調査会会長をやった石弘光なんかはこの典型。そういった、各省庁のお抱え学者になると、好き勝手に発言はできなくなるけど、法外なギャラを稼げるようになるから。それもできない、政府とのコネもないし学術的業績も特にない、という人は、やっぱりこまめにメディアに露出して講演で稼いでいくしかない」
そして最後にもうひとつ、経済学者の生き方には、ある裏道があるという。
「全然無名の学者でも、一流の学者や評論家と同じレベルの講演料を稼いでて、羽振りのいい人間がたまにいる。実はこの手の学者は、特殊法人や業界団体などに食い込んでることが多い。専門家が少ない団体で、職員の代わりに簡単な研究レポートなどを書いてあげて、子飼いの学者になれば法人から法外な報酬をもらえて、『研究』のための大名旅行もし放題、という人も。それもひとつの生きる道なんだよね」(同関係者)
テレビで見かける面々も、実は収入確保に必死なのかも。大局を論じてる場合じゃない人もいたりして!?