バブルを謳歌した20代、闇紳士との出会い

――あなたの知らない「夜の世界」をご案内します

5000億円企業・大王製紙創業家3代目の御曹司であり、東大法学部卒の超エリート。自ら起こした事件を受けて、会社を去ることになったが、自身が有する莫大な資産と華麗なる人脈、そして、その人柄に変化なし。そんな井川意高が、若き日から今に至るまで夜な夜な繰り出してきた「天上の宴」というべき夜の世界に大衆を誘う。実業家、資産家、芸能人、文化人、港区女子……そこには、どんな人々が集い、いかなる物語が奏でられてきたのか――。

前号で予告した、有名野球監督や大手芸能事務所の社長と取り合った女性の話の前に、バブル期に咲き、どこともなく消えた闇紳士に関するエピソードを少し。

1964年生まれの私が父に連れられ銀座デビューしたのは、高校最後の春休みだから1983年だった。

昭和の掉尾を飾ったバブル景気は、1986年末から始まり1991年初めまでといわれているので、まさにバブル前夜である。私は22歳から27歳という20代の大半をバブル期に過ごしたわけだ。

通常「バブル世代」とは、私よりも少し年下の65年から76年に生まれ、バブル期に就職した人間を指すが、私は彼らより一足先に父の資産管理会社にツケ回しするなどして、バブルを謳歌していたのだ。

チップとして、クラブの黒服やタクシードライバーの手にも一万円札がまるで千円札かのように飛び交った様子とか、当時でも1本10万円以上するピンドン(ドンペリニヨンのロゼ)のコルクが、まるでファンタグレープの栓を抜くかのように次々と開けられていくのを目の当たりにしている。

そんなバブル期には、今ほど反社勢力と表社会との線引きがくっきりとしていなかったので、有名企業の経営者や政権与党の大物政治家たちと、暴力団の幹部や右翼、フロント企業の人間との付き合いも緩やかだった。私がその頃、昼も夜も遊びの薫陶を受けた著名上場企業の経営者たちも然りである。

夜は24時前に必ず帰宅していた父の、ゴルフや銀座通いの仲間にもそんな交友関係を持つ経営者がいたが、その周辺の話である。

父の親しい飲み仲間は、茶道の若宗匠(次期家元)を囲む会のメンバーでもあった。

当時知らない者はいない人気劇画原作者K.K先生、映画会社のW副社長、有名下着メーカーのT副社長、独立系の製鉄会社で唯一高炉を持っていた企業グループの創業家の三代目YUさんなどなど。

なかでもT副社長とYUさんは、飲み方や散財の仕方も豪快だったが、年下の私をかわいがってくれて、関西の自宅にも事あるごとに呼んでくれていたものだ。

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2025.1.10 UP DATE

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