オリンピック“影”の歴史 感動が生む“カネと利権”、そして“ジェンダー問題”

――パリ五輪の開幕まで1カ月となり、出場選手が続々と決まっている。今回のパリ五輪はよりミニマムな大会を目指しているようだが、そもそもなぜ五輪は拝金主義、そして利権化したのだろうか? 利権の歴史からジェンダー問題まで、多角的にスポーツの祭典を見てみたい。

(絵/管 弘志)

ノンフィクションが描く栄光なき五輪の肖像

7月26日に、パリ五輪が開幕する――。

1924年以来、100年ぶりとなるパリ開催の五輪となるが、今回は「街中にスポーツを」のコンセプトのもと、五輪史上初めて競技場ではなく、セーヌ川で開会式が行われるのをはじめ、フランス革命の際に処刑場となったことでも知られるコンコルド広場でのスケートボードなど、パリ中の観光名所が競技会場となる予定だという。

そんな華やかな話題もありながら、今回はウクライナとガザで戦争が続く中で行われる、「戦時五輪」となりそうな状況だ。近年も悲惨なテロがあったフランスだけに、テロ対策は深刻な課題となっている。それが理由というわけでもないのだが、(毎度のことながら)開幕1カ月前にしてはいまいち盛り上がりに欠けると感じる向きも多いのではないのだろうか。

思えば前回開催された東京五輪はコロナ・パンデミックの影響で1年延期され、2021年に開催されたものの、ほとんどの競技が無観客のまま開催。今となっては「競技そのものが印象に残っていない」という人も決して少なくないはずだ。開催直前には東京五輪中止論も盛んになったことからもわかるように、近年の五輪には否定的な見方をする人が多い。それというのも、本来はアマチュアの祭典であったはずの五輪が、あまりにも政財界にとって利権化してしまったことが原因として挙げられるだろう。

近代五輪の歴史は政治や権力との関わりの歴史であるとともに、さまざまな戦争やテロとも関係してきた。そんな五輪の裏側を深く知ることのできるノンフィクションには、どのような作品があるのだろうか。

1964東京五輪もひんしゅくを買っていた

1936年、ヒトラーのナチス政権下で行われたベルリン五輪の関係者に取材した『オリンピア1936 ナチスの森で』【1】によれば、1896年にアテネで行われた第1回近代五輪は、正式に参加する国も少なく、選手の数も300人に達しないものであったという。第2回パリ大会、第3回セントルイス大会も盛り上がりに欠け、1912年の第5回ストックホルム大会でようやく軌道に乗せたが、1916年に予定されていた第6回ベルリン大会は、第一次世界大戦の影響で中止。そんな五輪が現代の姿に近づいた大会こそ、1936年の第11回ベルリン大会だったのだ。現在も続く聖火リレーやラジオによる実況中継、選手村の設営などが初めて行われたのも、ナチスがこの五輪を重要な宣伝の場と捉えていたからであり、国家意識の発揚の場としての五輪がここに始まったともいえるのである。

続く1940年の五輪は東京での開催が予定されていたが、第二次世界大戦により中止。1945年に敗戦を経験した日本にとって1964年の東京五輪は、焦土から見事に復興した姿を世界にアピールする歴史的なイベントだった。

2021年の東京五輪(大会名は2020年東京オリンピック)と比べようもないほど、美しい思い出として語られることの多い1964年の東京五輪であるが、開催にあたって東京の大改造が行われ、それに対する否定的な意見も多かった。その当時の雰囲気がうかがえるのが、『ずばり東京』【2】である。

「この本は東京五輪の前年の1963年から『週刊朝日』(朝日新聞社・当時)の連載をまとめたもので、五輪を前にして猛烈な勢いで変貌する東京を活写したルポルタージュになっています。冒頭で扱われるのは、五輪を契機に建設された首都高速によって頭上を覆われてしまった日本橋の情景で、『空も水も詩もない日本橋』というタイトルがつけられています。そういう手法を採らなければ、五輪までに首都高速を完成できなかったわけです。著者の開高健はそのことに対し、疑義を表明しているわけですが、当時の東京都民がそのような東京大改造を黙って受け入れてしまったのもまた事実でした」

こう話すのは、専修大学教授でジャーナリスト、評論家の武田徹氏。武田氏は、五輪には人を熱狂させ、五輪を開催することで生じるさまざまな犠牲を受け入れさせてしまう精神的な麻痺作用があると分析する。政財界の権力者にとって、五輪は工事反対の声を封じ込めて大工事を敢行できる絶好の契機となったのである。

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