――次世代のラッパーを発掘するオーディション番組『ラップスタア』で、倍賞千恵子でシコろうが、劣等感の塊だろうが、間違いなく深い爪痕を残した。そんな台風の目となったアーティストが、TOKYO世界だ。
(写真/西村 満)
名前の由来
TOKYO世界 なんでも白と黒を付けたがる競争社会が嫌で、現実世界から逃れるような抽象的で自由になれる自分の世界を作りたかったんです。もともと東京や観光地が好きで、景色もきれいだし、どんな人間でも受け入れてくれるというか。逆に生まれ育った栃木が嫌いすぎて、18歳まで住んでたけど、嫌な思い出の大半が残ってる。そうした境遇を打破したくて音楽を始めたこともあって、「TOKYOランド」とか「TOKYOシティ」って名前を考えてたんですけど……テーマパーク感が強すぎる。ので、日本語とアルファベットをミックスして「TOKYO世界」にしました。
幼少期と家庭環境
TOKYO世界 身長も低かったし性格も変わり者とか言われてて、いじめられてましたね。相手はいじってるつもりなんでしょうけど、普通に殴られたりするんですよ。そこから脱するには肉体的な戦いを挑むのは無理だから、おちゃらけキャラを演じて言葉で言い負かすしかない。それで去っていった人もいましたけど、やっぱり劣等感は残る。それと運動も苦手だったので、学校の体力テストはいつもE判定。剣道を習っていたけど、全然勝てなかったし。親には「それでもいい。勉強と運動だけじゃない」って肯定してほしかったけど、特に母親はそうしたものさしでしか僕を測ってこなかった。なので「厳しい」というよりは、あきらめられてたと思います。すごく語彙力が高いんですよ、母が。僕がどんなに反抗したり、悪口を言ったところで基本ノーダメ。いじめに遭ってたときに相手を言葉で言い負かすことができたのは、もしかしたら母親の語彙力の影響かもしれません。一方で父は干渉はしてこないし、家族の中ではユーモア担当。父からは「ふざけてもいいんだ」みたいな影響は受けましたね。
ヒップホップとの出会い
TOKYO世界 世の中に抗っちゃいけない、僕は栃木の狭い部屋の中で暮らすと思ってたんですが、高校時代に友達からヒップホップを教えてもらったんです。反骨精神があって、言いたいことや伝えたいことをいろんなトラックの上で表現している。トラヴィス・スコットやリル・ウージー・ヴァート、ヤング・サグ、ポスト・マローン、ジョージ、日本だとPUNPEEやBIMとか、異世界に連れていってもらえるような音楽に聴こえました。その頃はまだ聴くだけだったけど、ラップをしようと思ったのは、大学時代にフラれたのがきっかけです。アカペラ・サークルに入ってたんですけど、僕が1年生のときに同期の女の子を好きになったんです。歌がうまくて人気も高かった。で、フラれて絶望。人生で一番好きになった人でした。もうやってられない。悔しくて悔しくて。ただでさえ大学はキラキラしてる人間が多いから、その群れが自分のコンプレックスを刺激してくるんです。この状況をひっくり返してやる、全員見返してやる、そして自分を治癒する意味でラップを始めました。初めてリリックを書いたのは20年の『ラップスタア』(ABEMA)に応募したときですね。