【椎名純平】人から学ぶことも、息抜きで料理することも大事!

――クリエイティブを学び取れ! 気鋭のDTM女子による音楽道場破り

(写真/河本悠貴)

[今月のゲスト]

椎名純平(しいな・じゅんぺい)
1997年、千葉県生まれのシンガー・ソングライター/コンポーザー。2018年にアルバム『ぺっとぼとリテラシー』でメジャーデビュー。独創的な音楽性を武器にソロ活動に加え、スリーピースバンド〈WOLVEs GROOVY〉のメンバーとしても活躍。
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Instagram〈@junpei417

新曲「バズりたガール」リリースしました!と、CMからスタートしてしまいましたが、今月は憧れのシンガー・ソングライターである椎名純平さんにお越しいただきました。ふぅー……緊張する! 早速、幼少期の話からお聞きしてみました。

椎名純平(以下、S) 普通のサラリーマン家庭で育ち、親が転勤族だったので、埼玉で生まれて静岡、福岡へと引っ越しが続きました。あ、それと幼稚園の年長くらいから、(同学年の)誰よりも早くメガネをかけてましたね。クラスでも限りなくおとなしい側で、運動も苦手なのび太寄りのキャラでした。

AmamiyaMaako(以下、M) 実は私の両親が福岡の高校に通っていて、純平さんが通われていた高校と同じだったみたいなんです。

S え、そうなの!? それはすごい。

M 母が感激していました(笑)。ちなみに音楽的な環境というのは?

S 母はピアノやバレエに親しんでいて、父はアナログを収集するのが好きだったり、音楽好きな両親のもとで育ったので、環境的には恵まれていたかもしれませんね。大学に入ってから昔のソウルをディグるようになって、ターンテーブルを購入し、渋谷とかにアナログを買いに行ってましたね。若気の至りでスクラッチとか練習しちゃったり。

M 鍵盤など楽器のイメージだったんですけど、スクラッチは意外!

S センスないなー、と思いながら続けてたんですけど、情熱を持って練習を重ねれば、もっとうまくなってたかもしれません(笑)。

M 妹の(椎名)林檎さんも純平さんの音楽性に影響されたのでしょうか?

S 年が4つ違うんで、そんな絡んだ記憶がないんですけど、むしろ大人になってから絡むことが増えました。でも、僕が借りてきていたCD――ザ・ブルーハーツやサザンオールスターズ、久保田利伸、バービーボーイズとか――を聴かせてましたね。その頃からソウルやヒップホップも並行して聴いていて、とにかくいろんな音楽と出会いました。

M 借りてきたCDはアルバムですよね? 今はアルバムという形態があまり時代にフィットしない空気もありますけど……アルバムっていいですよね。頭から最後まで物語的に聴きたい。

S わかります。僕も世代的にアルバムというアートフォームから抜け切れていない人間なので、「この人はアルバムを出さないのかな?」と落ち着かなくなるときありますもん。

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