大阪万博、開催への意義と異議 【対論】大﨑洋×本間龍

――大阪・関西万博の開催まで、あと1年。事業予算は膨らみ続け、海外パビリオンなどの準備は遅れまくり、多くの国民からは不満の声が噴出……そんな逆風が吹き荒れる中、「万博の旗振り役」かのように扱われているのが、吉本興業元会長の大﨑洋氏。もちろん今も万博の準備に邁進中だ。そんな大﨑氏のもとを訪ねたのが、「万博反対派の急先鋒」である作家の本間龍氏。2人の対話から生じるものは火花か、それとも……。

大﨑洋氏(写真右)と本間龍氏(写真左)。(写真/二瓶 彩)

万博に賛成!
元 吉本興業会長
大﨑 洋
おおさき・ひろし 1953年生まれ。78年、吉本興業入社。ダウンタウンほか、タレントのマネージャーを担当した後、さまざまな新規事業立ち上げに奔走。09年、代表取締役社長、18年、共同代表取締役社長CEO、19年、代表取締役会長に就任。23年4月、同会長を退任し、大阪・関西万博催事検討会議共同座長に就任。近著『居場所。』(サンマーク出版)も話題を呼んでいる。

万博に反対!
作家
本間 龍
ほんま・りゅう 1962年生まれ。89年、博報堂に入社。06年に退社するまで営業を担当。福島第一原発事故を機に、原発安全神話を作った広告を調査し、原発推進勢力とメディアの癒着を追及。憲法改正国民投票や東京五輪など、さまざまな角度から、大手広告代理店のメディアへの影響力の実態を発信。著書に『東京五輪の大罪 ――政府・電通・メディア・IOC』(ちくま新書)、『ブラックボランティア』(角川新書)など多数。

大﨑洋(以下、大﨑) (本間氏の著書『東京五輪の大罪』のページを開きながら)読ませていただきました。東京オリンピックは、第二次大戦、福島原発事故に続く、「第3の敗戦」か。まあ、その通りやもんね。

本間龍(以下、本間) 国が舵取りを間違ったおかげで、その大きなツケが国民に来る。恐ろしい話ですよ。私は、今回の万博も同じだと思っているんです。

大﨑 そうかもしれない。僕が2025年日本国際博覧会(通称「大阪・関西万博」)の「中の人」で舵取り役だったら、本間さんと丁々発止のやりとりになって面白いかもしれないけど、そうじゃない。僕には万博関連で二つ肩書がついています。ひとつは「シニアアドバイザー」。4年くらい前に声をかけていただいて。これは年に1~2回、事務方の説明を受けて、自分なりの意見を述べるのが主な役割です。

本間 なるほど。

大﨑 もうひとつの肩書が「万博催事検討会議共同座長」。とはいうものの、籍は万博協会(2025年日本国際博覧会協会)にありません。立場上、「みなし公務員」でもない。協会の中に机や椅子があるのかと思ってたら、これもないんです。

本間 ただ、民間人でありながらも、万博に対しては人一倍強い思いを持っておられますよね。「万博を代表する顔」として、週刊誌の標的にされたりもしている。

大﨑 立場的に、ネタになりやすいですからね。僕、吉本興業に45年間いたんですけど、その間、「FRIDAY」(講談社)に15回載りましたから。万博協会の人たちの大半は公務員か民間から出向したみなし公務員。言いたくても言えないこともあるやろう。その分、自分が前に出て、万博の意義は話していきたいなと思ってます。どっちにしたって叩かれるんやから、僕はこんなキャラやし、「まあ、ええかな」と。

本間 大﨑さんが熱い思いを持って取り組んでおられることは伝わってきます。

大﨑 「税金を無駄に使って」と言われたら、それまでかもしれません。でも、これから先の評価はまだわからない。せっかく与えられたお役目なんやし、とりあえず全力でやって、あとは世間が判断しはるやろうと。

本間 座長としての大﨑さんのお仕事は、どういうものなんでしょうか?

大﨑 万博協会の中に催事局が置かれています。大阪万博におけるすべての催事を管轄する部局です。催事に関する決定権は協会にある。これが前提。ただ、協会とは別組織として、万博への理解と卓越した専門知識を有する方々を委員として作ったのが催事検討会議です。この検討会議の「承認」がなければ、協会も決定はできない。そんな建て付けになっています。「その範囲内で大﨑さん、ご自由に」ということでオファーを受けました。

本間 大﨑さんご自身が「今度の万博でこれをやりたい」とお考えのアイデアはあるんですか?

大﨑 こういうと語弊があるかもしれませんが、僕個人としては音楽ライブに代表されるような「ザ・芸能界」みたいなエンタテインメントをやる腹は全くありません。そもそも僕が座長に就任した時点で、開催まで2年を切っていました。ご承知の通り、国内外の有名アーティストのスケジュールは大体3年先まで埋まっている。どだい無理な話なんです。そういうイベントなら、大阪城ホールでやってもろたらいい(笑)。

本間 それはそうですよね。

大﨑 とはいえ、国家的なプロジェクトです。僕のできる範囲で何かせないかん。僕も夢中になった1970年の万博では「お祭り広場」があった。「これはええな」と思いついたんです。祭りとは日本人の美意識の塊みたいなもんでしょう。当然、そこには人々の暮らしぶりや伝統的な技術も投影されている。祭りの光景を思い浮かべてみてください。お年寄りが提灯を持って、山車の先頭を歩いて先導している。お神輿を担いでるのは青年たち。列を見ると、子どもたちが笛吹いたり、太鼓を叩いたり、鐘を鳴らしたりしている。行列全体を見守るのは壮年の人たちの役割です。さまざまな年代の住民が関わっている。近所の人や親戚も集まって、地産地消で季節の食材を使ったお寿司などの料理も供される。器もその土地のものです。そう考えると、祭りは共同体を維持する装置だったともいえる。今なくなりつつある共同体を再生させる道具立てとしても有効なんやないか。ただ、国内の祭りを集めるだけでは、「国際」博覧会の催事としてはどうかとか、考えなければいけないけど。

本間 そうですね。そうした試み自体は悪いとは思わない。

大﨑 だったら、日本各地の祭りに加え、世界各地の民族のお祭りにも来てもらったらいい。例えば、太鼓。いろいろな国や地域の太鼓を20とか30とか並べて一斉に叩いてもらう。太鼓の演奏にも戦闘に向けた鼓舞や豊饒への感謝など、いろいろな意味があるでしょう。海外から万博にやってきた子どもたちにも一緒に叩いてほしい。多様性を感じてもらう貴重な体験になるかもしれません。まあ、そもそも予算はどないするねんっちゅう話なんですけど(苦笑)。70年の万博は「世界の国からこんにちは」が合言葉でした。戦後、復興を遂げた日本が世界の先進国の仲間入りをし、「どうぞ、私たちの国へ来てください」と呼びかけた。今度は日本から世界に何かを発信し、伝える万博にしたい。そんなことを勝手に思っています。

本間 わざわざ万博で何を発信する必要があるんですか?

大﨑 普通に考えれば、マンガやゲーム、アニメとなるんでしょうけど、それとは違うやろうと。先進国である日本が直面する諸課題を、万博の舞台で世界中に提示したらどうか。その上で各国の賢人たちから英知を集めて解決していったらいい。僕が偉そうにこんなことを言うのもおかしいんですが、例えば、東北地方の山間部に住んでいる高齢者。厳寒期には近くの坂道が凍ってしまう。そんな思いに寄り添えるかどうかも社会課題のひとつだと思うんです。万博で国内の課題を発見し、解決し、事業化・プロジェクト化していく。みんなでどうすればいいか考えようやと。70年万博の「太陽の塔」とはだいぶ違いますが、こうした経験が今度の万博の「レガシー」と呼ばれたらいい。そうなっていけば、少なくとも万博で催事をやる意味はあると思っています。

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