バックラッシュによって停滞した日本の性教育

――近年、性加害問題や性的マイノリティの存在に関連して、性教育の重要性が説かれる機会が増えている。そして日本で性教育が行われてこなかった(ように見える)のは、これまでに繰り返されてきたフェミニズムへのバッシングによるところが大きい。これからの性教育のために、バッシングの歴史を知ることの重要性についてライターで一般社団法人fair代表理事の松岡宗嗣と『「日本に性教育はなかった」と言う前に』(柏書房)の著者・堀川修平が語り合った。

松岡 堀川修平さんの著書『「日本に性教育はなかった」と言う前に』(柏書房)には、日本でどのような性教育が行われていたのか、そしてそれに対するバックラッシュがどのようなものだったのかが書かれています。まずは、そもそも性教育とは何かということをお話しいただいてもいいですか?

堀川 国際的な状況を踏まえて言うのであれば、性教育は人間関係をより良くするための学びだと思っています。「性」という言葉を英訳する場合、大きく3つに分けることができます。ひとつがセックス、もうひとつがジェンダー、そしてもうひとつはセクシュアリティです。特にセクシュアリティは、ジェンダーアイデンティティ(性自認)や、どんな性を好きになるか、あるいはならないかといった性的指向、どのような人やモノ、コトに魅力を感じるかなどを意味する性嗜好など、性という言葉の中でも、一番包括的に捉えられる概念です。セックス、ジェンダー、セクシュアリティ、3つの概念を含む性教育は、医学的・生物学的なものだけではなく、それらを取り巻く経済学や法学、教育学などを含めた非常に幅広い分野の内容を取り扱うものなんですね。

『「日本に性教育はなかった」と言う前に』 堀川修平 著/柏書房/23年

大学で教えていると、多くの学生さんが「日本では性教育がされてこなかった」と言いますし、きっと多くの人が同じような理解をしていると思います。でも日本でも性教育が行われてきた歴史があるんですね。たとえば私が今所属している“人間と性”教育研究協議会という、性教育を研究する団体は1980年代に設立されました。もっとさかのぼっていくと、日本性教育協会という団体はそれより前の1970年代に設立されている。どちらの団体も、自然科学だけではなく社会科学も含めた科学的な性教育を実践してきました。しかし、そのようなことを学ぶ機会が学校教育の中で保障されていないのです。松岡さんご自身は、性教育の歴史を学んできましたか?

松岡 私も学んでこなかった感じがしますね。

堀川 それは性教育がまったくなかったということではなくて、性教育を行いづらくなってしまった社会状況で生きてきたということなんです。そこに着目をすると、学生たちがどうして「性教育はなかった」とコメントするのかがよくわかってきます。

バックラッシュが生んだ「性教育はなかった」

松岡 性教育が行いづらくなった要因のひとつとして、バックラッシュはやはり大きかったのでしょうか?

堀川 最初に少し補足すると、バックラッシュのほかに、バッシングという言葉もよく使われます。バックラッシュは日本語で「揺り戻し」と訳されて、バッシングは「叩く」という表現をされますよね。ここではバッシングと統一します。

性教育は人権がベースに置かれるのですが、世の中には人権侵害、つまり暴力や差別に加担することで利益を得ている人もいます。そういう人たちが、私たち市民が、人権保障されている主体であることを自覚できるような学びや政策をさせないように動くことをバッシングといいます。松岡さんがおっしゃる通り、日本で性教育ができなくなった背景には、このバッシングが大きく関わっています。ところで、松岡さんは日本で性教育に対するバッシングは何回起きていると思いますか?

故・安倍晋三元首相が座長を務めた「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」では、性教育やジェンダーフリー教育への批判が展開されていた。(写真/Getty Images)

松岡 2022年の安倍晋三元首相の銃撃事件以降、政治と宗教右派と呼ばれる団体との繋がりが明るみになって、実は1990年代後半から2000年代前半にかけて、ジェンダーやセクシュアリティに関しての政策が止められていたことが知られるようになりましたよね。安倍元首相は2005年に自民党で発足した「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」の座長を務めていて、そこでは文字通り性教育やジェンダーフリー教育への批判が展開されていたんですね。それを大きなバックラッシュだったと捉えている人は多いんじゃないかなと思っています。

堀川 皆さんが最初に思い浮かべるのは、その時代ですよね。2000年代のバッシングを研究者の多くはジェンダーフリーバッシングや性教育バッシングという点で着目してきました。その時代のバッシングでは、都立七生養護学校(現・七生特別支援学校)で行われていた性教育に対して、公権力の介入も起こりました。同校では、歌や人形などを使ったさまざまな工夫を凝らした非常に評価の高い性教育が行われていたのですが、一部の都議会議員や新聞記者がやってきて、性教育実践をさせないように動いたという有名な事件です。背景には一部の宗教団体や、その宗教団体から支援を受けた国会議員らもいたことは既に明らかにされています。

しかし日本で性教育のバッシングが起きたのは、その時が初めてではありません。性教育史研究者の田代美江子さんなどが指摘していますが、1930年代に日本で医学的な根拠に基づいた性教育が必要だという議論が高まった当初から、性教育へのバッシングはあったんです。そして「官製性教育元年」とされる1990年代の性教育ブームの時にも、性教育バッシングが起こりました。それからいまお話しした2000年代のバッシング、そして2018年に足立区の中学校で行われていた性教育実践に対するバッシング。大きく見て、これら4回のバッシングがあったというふうに見てもいいのかなと。

松岡 これまで幾度となく性教育バッシングがあったということを押さえるのは、重要ですよね。

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