――人類とは旅する動物である――あの著名人を生み出したファミリーツリーの紆余曲折、ホモ・サピエンスのクレイジージャーニーを追う!
ショーン・コムズ
(絵/濱口健)1999年、ナズ曲に参加した彼は、MVが当初版のままオンエアされたことに立腹、ナズのマネージャーをシャンパン瓶で殴打! だが事情通は「あのマネージャーは殴りたくなる人物」とのことで、どんな話にも2つ(以上)の面があるのだ……。
徒弟時代を含めて長い時間を音楽雑誌編集者として過ごした私。同じ立場に戻りたいとは思わないが、さまざまなアーティストと会えたのは一生の財産だ。
私家版「感じが悪い人たちリスト」に掲載されているのは、リュダクリス、フィリップ・ベイリー、LVあたりだが、予想に反して印象が悪くなかったのは2000年あたりに対面したショーン・コムズ。ただし、「あなたのビジネス上の好敵手とも言えるマスター・Pがプロレスに進出しましたが、どう思いますか?」と問うたところ、鼻で笑われたのは覚えている。傲慢ヴァイブを発していなかったと証言したら嘘になるだろうな……。
コムズは1969年11月4日、ニューヨークはハーレムに生まれた。父はアメリカ空軍退役軍人だが、悪名高いドラッグ王フランク・ルーカスの関係者。そんなコムズ父は72年、33歳にして殺されている。ドラッグ取引中に「相手がコムズ父を囮捜査中の警官と疑ったから」とか。元軍人ゆえ、ギャングスタ道に入っても折り目正しい振る舞いが目立ったのかもしれない。2歳にして父を亡くしたショーンは、ブロンクスに隣接した郊外であるマウントヴァーノンで補助教員の母に育てられることになる。やがて近隣の優秀カトリック男子高校・マウント・セント・マイケル・アカデミーでフットボール選手としても鳴らした彼は、名門黒人校ハワード大学に進学するも2年でドロップアウト。すでに音楽業界で忙しくなってきたからだ。
書いておかねばならないことがひとつ。在学中から1000人規模の客を集めるオーガナイザーだったコムズは、退学直後の91年にパーティを開催、3000人収容の会場に5000人近くを入れて9人の死者を出す惨事を招いた。それがエイズ関連チャリティだったのが、どうにもやりきれない。
とにかく、当時流行っていたニュー・ジャック・スウィングの本家本元のようなレーベル〈アップタウン・レコーズ〉でインターンとして働き始めた彼は、アンドレ・ハレル社長の指導で頭角を現し、ジョデシやメアリー・J・ブライジのキャリア形成を助けることとなる。怒ると鼻息が荒くなる(huff and puff)ことから幼少期についたニックネーム「パフ」の変形版「パフィ」として知られるようになったのはこの頃だ。