ーーバラエティ番組のみならずニュースから情報番組、ワイドショーにドラマまで、お笑い芸人がテレビの中で占める比重は増大し続けてきた。なぜそれが当たり前の風景になったのか。今後もお笑いの中心地はテレビであり続けるのか? 批評ユニット「TVOD」のコメカ氏が、戦後日本のメディアとお笑いの関係を批評的視座から読み解く。
TVODの著書『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)
──芸人が“テレビスター”になったのは歴史的にはいつ頃からでしょう?
コメカ 現代的な意味でのテレビスター芸人のフォーマットは、1970年代に萩本欽一が土台を作り、80年代にビートたけしが完成させたのではないでしょうか。萩本欽一は、コント55号で世に出てピンになっていくプロセスの中で、テレビというメディア環境そのものを使って笑いを作るスターキャラクターになっていきました。『欽ドン!』はラジオ番組(『欽ちゃんのドンといってみよう!』)から始まってフジテレビの番組(『〜〜やってみよう!』)になっていますが、そこでの萩本欽一は放送作家的な裏方と表に出るプレーヤーを兼ねていたようなところがあります。ラジオを使ったメディア遊び的なものをテレビに持ってきたわけで、メディアに対して非常に自覚的だったのだと思います。
──芸人であると同時にテレビでどう振る舞うかという意識が生まれてきた。
コメカ 一方で70年代の芸人はまだ、芸能界の刺身のツマのような存在でした。そして80年代にビートたけしの登場によって、芸人は賑やかし要員ではなく、ほかのタレントを喰うようなマルチプレーヤーになっていきました。ツービートは漫才ブームの時点ではトップではなかったけれど、ピンになったビートたけしは、現代的な意味で「天下を獲った」初めての芸人だったのではないでしょうか。たけし以降、それ以前の林家三平や植木等らとは異なる形で、「国民的テレビスター」というキャラクターをお笑い芸人が引き受ける時代になったと思います。
──そこから現在のようにバラエティ以外でも活躍する下地ができた?
コメカ ほかにもいろんな理由がありますが、芸人がなぜ今のようにテレビの中心に存在しているかというと、タレントと呼ばれる人々の中で客観の目線やセルフコントロールに最も長けているからだと思います。テレビで活躍する芸人は、常にメディアプレーヤーとしての自分の位置を自覚しながら仕事をしている。逆に、俳優やミュージシャンには、客観目線ではなく主観を強く打ち出した在り方が基本的には求められます。そして主観の人たちをゲストに招き、客観の芸人が場を回すという構図をうまく成立させていたのが、ダウンタウンの『HEY!HEY!HEY!』だったのではないかと思います。
──ダウンタウンはその流れの中ではどう位置付けられますか?
コメカ 『HEY!HEY!HEY!』でやっていたのは主観の人であるアーティストに客観からツッコミを入れるという、それまでは「やってはいけない」とされていたことでした。ビートたけしは良識を挑発するような芸風であらゆるものを茶化しましたが、学問やスポーツなど異分野に対するある意味で保守的なほどの敬意が彼には実はあります。敬意や知識を前提に、その上で既存秩序にツッコミを入れて笑いを生んでいた。それが90年代のダウンタウンになると、敬意も知識も抜きにツッコミを入れることそのものが自己目的化していくわけです。
大雑把な言い方ですが、80年代の「あらゆるものは等価である」という相対主義的な感覚が、90年代になるとバブル崩壊や社会不安などさまざまな要因が重なって、「あらゆるものを馬鹿にして無価値にする」というようなエクストリームな感覚に育っていってしまったようなところがあると思います。ダウンタウンの芸風はそうした状況と噛み合ってしまったとみることができるかもしれません。