――『進撃の巨人』『呪術廻戦』『チェンソーマン』……。近年の少年マンガには「カニバリズム・食人描写」が多い。しかも、それが“レベルアップの条件”になっている。古来から食人は「タブー」のはずだが、さすがに今のマンガではカジュアルに描かれ過ぎではないだろうか?
2023年11月4日、『「進撃の巨人」 The Final Season 完結編(後編)』(NHK)が放送され、10年に及ぶテレビアニメシリーズが完結した。
世界各国で人気のある日本の少年マンガ。アジア圏では性表現が厳しく、海苔(モザイク修正)が貼られることもあるが、食人描写は規制対象にはならないのだろうか?
原作『進撃の巨人』【1】は09年から「別冊少年マガジン」(講談社)にて連載が始まり、21年に完結している。連載開始当初は「巨人が人間を食べる」というシンプルかつ残酷な描写が賛否両論を巻き起こしたが、終わってみると全体的に「巨人化能力者(人)が、同様の能力者(人)を食べる」という、少年マンガでありながら「カニバリズム(食人)」色の強い作品だった。
同作のみならず、近年の人気少年マンガの中には食人をカジュアルに描くものが多い。例えば、現在「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載中の『呪術廻戦』【2】は、主人公が「両面宿儺」と呼ばれる異形の遺骸を食べることによって、呪術師となる力を獲得している。
また、マンガアプリ「少年ジャンプ+」で連載中の『チェンソーマン』【3】は、第1部のラストで、主人公がある人物の血や臓器、果ては髪の毛に至るまでのパーツを「調理」し、味噌汁や生姜焼き、もつ煮込みなどにして毎日「食べる」というインパクトのある描写が、読者に衝撃を与えた。
このように、近年の少年マンガでは人肉食の描写が、「敵を倒す」という目的のほか、「能力の吸収やパワーアップ」をもたらす文脈でカジュアルに描かれている。しかし、表現の自由とはいえ、カニバリズムは倫理的にタブー視されているテーマのひとつだ。一体、何が起きているのだろうか?
水木しげるに手塚治虫 巨匠たちの食人描写
「カニバリズム描写のあるマンガは続々と増えています。ウチでも把握しきれていない作品はまだまだありますが、それでも現時点で200作は超えていると思います」
そう語るのは、カニバリズムマンガのイベントを開催したこともある鳥取県米子市の「古書の店ギャラリー」店主。本稿の主題である「少年マンガにおける食人のカジュアル化」「パワーアップのための食人」を掘り下げる前に、まずは日本マンガ史における「カニバリズム・食人描写の歴史」を振り返りたい。
「食人描写は戦前の、伊藤正美の紙芝居『ハカバキタロー』の頃から見られ、キタロー(奇太郎)が殺された母親の屍肉を食らいながら生まれるという設定になっています。そして戦後になると、そういった“グロ紙芝居”を描いていた作家が貸本に移ったこともあり、貸本にはカニバリズムを扱う作品が結構あるようです。例えば1965年の水木しげるの『地獄』という作品では、人食いの鬼が人間を刺身にして食べたり、“人間コロッケ”を作る過程で人間の皮をむき、ひき肉にするなどの調理シーンが生々しく描かれています」(同)
その後、時代が貸本から週刊少年誌に移ってもカニバリズムは描かれ続け、手塚治虫や石森章太郎などトキワ荘メンバーをはじめとするレジェンド作家たちの作品にも数多く登場する。
「そんな中、火を付けたのは『アシュラ』【4】でした。当時の反響がいかにすごかったかというと、毎日新聞に掲載されていた、加藤芳郎の4コママンガ『まっぴら君』で同作の食人描写がネタにされるレベルです。新聞の4コマにそうした表現が登場するほど、世間へのインパクトは強く、実際にアシュラは一部地域で回収騒動に発展しています」(同)
そのようなこともあってか、少年マンガにおける食人描写は長らく“言及する”程度にとどまり、直接的な表現は避けられるようになったという。