――2019年、韓国映画『パラサイト』が成し遂げた快挙をはじめ、近年ではアジアン・ムービーが全世界的に評価されている。そんななか、ここ日本でも注目を集めているのがタイの映画作品だ。アクション・ホラー・アート・BL・そしてニューウェイブ……多岐にわたるジャンルで今、世界のシネフィルたちを魅了するタイ映画のオリジナリティに迫りたい。
映画ファンから一般的に“第一次タイ映画ブーム”と称されるのは、1990年後半〜00年代前半にかけての時期のこと。当時その興隆を支えたのは、ホラー、そしてアクションだった。
01年に公開されたホラー映画『ナンナーク』は、本国タイにおいて『タイタニック』(97)の興行収入を超え、当時のタイ映画史上最高の動員数を記録。国内の映画として初めて国際映画祭のコンペティション作として選出された同作は、タイ映画を世界に周知させるきっかけとなった。
パルムドールを受賞するなど世界では評価を受けているアピチャッポン監督(写真/GettyImagesより)
また当時は、新世代の国内クリエイターによってクオリティの高いアクション映画も続々と誕生。なかでも04年公開の『マッハ!!!!!!!!』は、ムエタイやラウェイが採用される格闘シーンや、トゥクトゥクが登場するカーアクションシーンが大きな話題となり、海外から配給権を求める声が続出した。トニー・ジャーやジージャー・ヤーニンなど、ビッグスターを輩出したのもこの時期である。
こうしてタイのメジャー作品が勢いを見せた同時期、長編映画監督デビューを果たしたのが、日本でも根強いファンが多いことで知られるアピチャッポン・ウィーラセタクンだ。
アメリカ・シカゴの大学院で実験映像制作を学んだアピチャッポンは、帰国後アート志向の強い作品を発信し、タイにおけるインディペンデント映画シーンの旗手となった。02年には2作目の長編作『ブリスフリー・ユアーズ』がカンヌ国際映画祭「ある視点部門」でグランプリを受賞、10年には『ブンミおじさんの森』で同映画祭最高賞となるパルムドールを獲得した。タイ映画史上最高の国際評価を受けるフィルムメーカーとなったアピチャッポンだが、意外なことにタイ国内での知名度はそう高くなく、むしろ非常にマイナーだという。
この奇妙な事実の背景には、1930年代半ばに生まれた映画の検閲法がある。タイでは、国王をはじめとする権威者に対し不敬と見なされる表現が検閲の対象となる。アピチャッポンの作品も例外ではない。06年『世紀の光』では4シーンの削除が命じられたこともあり、彼の作品は国内で積極的に上映されてこなかった。しかしこうした状況があるからこそ、アピチャッポン作品はタイ映画を捉える上で欠かせない存在であると、映像・映画理論研究者の中村紀彦氏は語る。
「もともとアメリカで個人性の強い映像制作を学んでいたアピチャッポンは、そこで「映画が自由である」と啓発されたとともに、自国での表現規制や政治についての関心やフラストレーションを抱きました。アピチャッポン作品は、インディペンデントゆえに体現できるタイの政治的側面への批判や疑問符を投げかけており、その視点こそタイ映画がこれまで持ち得なかった特色を表しています」