【大崎洋】70歳で吉本興業から万博へ 度胸は『緋牡丹博徒』譲り!?

――たった1本の映画が人生に影響を与えた、あるいは人生を変えた、という人は少なからずいるだろう。では、各界で活躍するあの人物は、どのような作品から影響を受けたのだろうか? あらゆる業界の賢人に登場いただき、至極の1本を聞いた――。

(写真/石田 寛)

大阪・関西万博催事検討会議共同座長
大崎洋
(崎は「たつさき」)

おおさき・ひろし 1978年、吉本興業に入社後、同社一筋45年も、今年6月、吉本興業ホールディングス会長を退任し、大阪・関西万博催事検討会議共同座長に就任。万博成功に向けて奔走中。


僕の世代はやっぱり映画への憧れが強くて、学生時代は名画座で3本立てを観たり、友達となんや語り合ういうたら映画のことだったりしました。それもあって、吉本にいたときはいろいろと映画に関することを立ち上げました。沖縄国際映画祭や京都国際映画祭を手がけて、製作・配給もやった。ただ、儲かった! といえるのは、松本(人志)が最初に撮った『大日本人』(07)、岡村(隆史)くん主演の『無問題』(99)、あとは品川(ヒロシ)くんの『ドロップ』(09)くらいかな。ほかはみ~んな、アカンかった。

僕自身が影響を受けた作品といったら、まず思い出すのは『緋牡丹博徒 お竜参上』(70)。藤純子さん主演の女渡世人シリーズの6作目。この作品見て、「なんや言うても『男は度胸、女は愛嬌』やなぁ」と。今でこそ吉本の社員や芸人の子は、東大やら慶應やら優秀な子がいっぱいいてますけど、僕らのときはアホばっかりやった。だからお竜さんのように、度胸というか、ウソつかんとブレずに信じたことをやったらええんやという部分で、自分らに重なるところがあったと思います。その気持ちは、70歳になって吉本を辞めて、大阪万博の催事検討会議の共同座長になって大変なことがたくさんあるだろう今後も変わらないと思います。

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