――クリエイティブを学び取れ! 気鋭のDTM女子による音楽道場破り
(写真/宇佐美 亮)
[今月のゲスト]
ケンモチヒデフミ
日本を代表するサウンド・プロデューサー。現在もなお世界的に支持されるプロデューサー/DJである故・Nujabesに見出され頭角を現す。ソロ活動に加え、楽曲提供なども積極的に行い、現在は3人組の音楽ユニット〈水曜日のカンパネラ〉のメンバーとして広く知られている。
Twitter〈@h_kenmochi〉
今月は連載を始めてからずっとお会いしたかったプロデューサーで、水曜日のカンパネラのメンバーとしても活躍されているケンモチヒデフミさんにお越しいただきました。ケンモチさんがどんなスタイルで制作に臨まれてきたのか、早速お聞きしたいと思います!
AmamiyaMaako(以下、A) 音楽を始められたきっかけから教えていただけますか?
ケンモチヒデフミ(以下、K) 中学3年のときに幼なじみが始めたエレキギターの影響でギターを弾くようになりました。当時はL'Arc-en-CielさんやGLAYさん、LUNA SEAさんなどのビジュアル系が全盛期だったので、高校に進学してからはベースも始めて、バンドを組んで文化祭で演奏したりしました。
A きっかけはビジュアル系なんですね!
K ちょうどその頃にBUCK-TICKさんやLUNA SEAさんがバックトラックにダンスミュージック的な打ち込みの音を入れ始めてきたんですね。ロックを扱う音楽誌なんかもケミカル・ブラザーズやアンダーワールド、プロディジー、オービタルの4組を“テクノ四天王”と特集したり、ロックとダンスミュージックの垣根がなくなり始めた。その2つのジャンルがリンクし、いろんなジャンルに興味を持つようになりました。
A トラックメイキングを始めたのは?
K デモテープをライブハウスに持ち込むための制作環境がきっかけです。ギターやベース、ボーカルはなんとかなっても、ドラムの録音が難しい。そこでYAMAHAのQY70を購入して、ドラムは打ち込みにしたんですが……そこで打ち込みのほうが楽しくなっちゃって(笑)。それからBOSSやKORGのリズムマシンやMTRでRolandのVS-840を購入しまして、ハードディスクレコーダーが民生機として販売されるようになって感動したのを覚えていますね。
A 実機からPCに移行されたのは?
K VS-840とQY70でバックトラックばかり作り続ける日々だったんですけど、ボーカリストと出会えたら歌ものも作ってみたいと思っていたんです。その頃、クラブジャズやフューチャージャズと呼ばれるシーンが盛り上がっていて、僕もその分野で活動していたんですが、そこでNujabesと出会うことで僕の名前を知ってくれる人が増えまして。20代はハードウェアメインで制作していたんですが、30歳を迎えて歌ものもプロデュースするようになってからは、物理的にメモリが不足するようになってしまい。そこからPCに移行するんですが……快適すぎてびっくりしました。「手で叩いてこそ生まれるグルーヴがある!」とか言ってたんですけど、ハードウェアは全部すぐ売りました(笑)。
A PC移行後の転換期はありましたか?
K 移行したのが2011年くらいなんですが、そのときに東日本大震災が起きて、音楽を作るモチベーションが一気に低下してしまったんです。音楽を作る気も聴く気も起きなかった。そんなときにももいろクローバーZの「ココ☆ナツ」のMVを見るタイミングがあって衝撃を受けたんです。それまで日本語のポップスを意識して聴いてこなかったんですが、歌を聴いて元気づけられる、背中を押してもらえることをリアルに体感したといいますか。インストばかり作ってきたんですが、力を合わせてポップスを作ることは面白いんじゃないか? と考えるようになり、それが水曜日のカンパネラの結成につながっていきました。