――性の多様性への理解は国際的な課題だが、日本では「男は……女は……こうあるべき」といった規範じみたものが、いまだにまかり通っていたりもする。無知に基づく偏見、または無関心は、人々の間に分断を呼ぶことにもなる。時代を映す鏡であり、人々に意識改革を促す役割も持つ「映画」において、これまで性的マイノリティはどのように描かれてきたのだろうか。
LGBTQなど性的マイノリティをテーマとした国内外の映画を上映する「レインボー・リール東京〜東京国際レズビアン&ゲイ映画祭〜」。今年で31年続く歴史あるイベントで、様々なSOGI(ソジ=性的指向・性自認)をもった人々が、映画を通してつながるコミュニティとなっている。今年の上映作品などは6月下旬に発表予定。
映画やテレビドラマなどの映像作品の中で、性的マイノリティがどのように描かれてきたのか。その変遷を知ることは、「性の多様性」を理解する上で手がかりにもなるはずだ。性的マイノリティをテーマにした国内外の映画を上映する『レインボー・リール東京~東京国際レズビアン&ゲイ映画祭~』の中心スタッフを長年務め、映画『エゴイスト』(23)などの宣伝も手掛ける、映画配給・宣伝プロデューサーの村井氏に語ってもらった。
「今回、邦画での変遷が主題なので作品が限られるのですが、日本でおそらく最初に同性愛を扱ったのは、戦前の無声映画『福寿草』(35)です。自身もレズビアンであった作家・吉屋信子の小説が原作で、直接的な描写はないものの、思春期の少女と兄のもとに嫁いできた義理の姉との間で芽生える、女性同士の温かくも切ない友愛が描かれています。09年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で活動弁士とピアノ伴奏付きで上映したところ、大いに盛り上がりました。
木下惠介監督の『惜春鳥』(59)も直接的な描写はありませんが、青年が友人に抱く友情以上の心情が見え隠れし、日本初のゲイ映画だと指摘する声があります。これらのように、当時はストレートに同性愛を描けるような時代ではなく、あくまで暗示的に秘めた演出がされていました。ゲイを初めて正面から取り上げたのは、ピーターこと池畑慎之介がゲイボーイを演じ、衝撃のデビューを飾った『薔薇の葬列』(69)と言われています。アメリカで“ストーンウォールの反乱”が起きた年であるとはいえ先駆的です」(村井氏)
日本で同性愛をテーマにした邦画が一般層に広まったのは、90年代になってから。薬師丸ひろ子主演の『きらきらひかる』(92)や、清水美砂主演の『おこげ』(92)に続き、橋口亮輔監督が『二十才の微熱』(93)でデビューした。
「マスメディアによる『ゲイブーム』が起きていた時代でした。あくまでマスメディア主導なので当事者にとって100%歓迎できるものであったかは別として、テレビや雑誌などでそのブームをよく目にした時代。邦画でも、人気急上昇中だった豊川悦司と筒井道隆が『きらきらひかる』でゲイカップルを演じたことは、当時の私にとってちょっとした事件でした(笑)。当時は選べるほど邦画がなかったので、出来とか、正しく描かれているかはどうでもよくて、そういった邦画が作られるだけで御の字。ズバリ描いている作品はもちろん、そういう匂いがするだけでも漁るように劇場に通っていました。かつて劇中の同性愛者は、精神異常者や犯罪者、変態として描かれ、悲惨な結末が待っていることも多く、劇場を悲しい気持ちで出ることもありました。
そんな中、橋口監督の『二十才の微熱』が封切られました。当事者が堂々とゲイ映画を制作できる時代が到来し、当事者目線の斬新な作風を目にし、重い扉が開いた感覚になりました。ただ残念だったのはその後、当事者であることを公言する監督や俳優が、日本のメジャーシーンにはかなり少ない状況が続いたことです。ここに来てようやく、自主制作で映画をコツコツと作り続けてきた当事者たちの中から、飯塚花笑監督が『フタリノセカイ』(22)や『世界は僕らに気づかない』(23)などで商業映画やテレビドラマを手がけるようになり、『片袖の魚』(21)や『老ナルキソス』(23)の東海林毅監督もインディペンデントからメジャーに今一番近いところにいる監督となっています。当事者により映画が正しく真の多様性を描けるようになってきたのです。
さらに次の候補となる当事者の監督も増えています。社会に実在する当事者の比率と同じように、映画業界全体の一割は当事者が担って当たり前という時代になるといいですね」(村井氏)