やくみつる氏による4コママンガ『マナ板紳士録』は、91年の連載スタートから30年以上にわたり継続している(画像は1995年に発売された約4年分をまとめた単行本)。
――なんの気なしに気軽に読め、新聞や雑誌、一時は4コマ専門マンガ誌が活況を呈すなど、日本のマンガ文化とは切っても切れない存在の4コママンガ。本稿では図書館や書店、デジタルメディアを駆使して捜索し、「誰もが知る」ものではなく、「意外と知られていない長寿連載」の4コママンガに焦点を当て、その裏側も探ってみた。
新聞や雑誌の一部に掲載され、昔から何かと目にする機会が多い4コママンガ。『コボちゃん』(植田まさし/読売新聞)や『地球防衛家のヒトビト』(しりあがり寿/朝日新聞)といった著名な作品は数あれど、知る人ぞ知る長寿4コママンガも数多く存在する。そもそも4コママンガとは、言うまでもなく“4つのコマ”で構成されたマンガを指す。非常にシンプルな表現だが、起承転結をベースとした短いコマ数だからこそ、作家の巧みな構成や表現力も際立つ。今回はそんな数ある4コママンガの中でも、マンガ誌を除き、全国紙から地方紙、雑誌や機関誌などに掲載されているマニアックな長寿連載を大調査。また、作家本人にも直撃し、創作の源泉や知られざる裏側について話を聞いた。
まず、掲載媒体によって形式はもちろん、その立ち位置も大きく変わる。4コママンガと聞いて多くの人が思い浮かべるであろう新聞。この分野では、全国・地方問わず縦にきれいに並ぶ4つのコマで完結する、いわゆる“純正4コマ”が多く見受けられる。描かれる内容はほのぼのとした日常系だけにとどまらず、現代社会や政治問題への風刺まで多岐にわたる。その一方で雑誌や機関誌では、例えば「4コマ×2」といった複数の4コマを用いてひとつのストーリーを描く、いわば“ストーリー4コマ”が描かれるケースが多い。さらに女性向けファッション誌になると、コラム・エッセイに4コマや1~3コマで構成されるマンガが添えられ、それは挿絵的な役割を果たしているようだった。また、伝えたいことを素早く簡潔に表現できる4コママンガの特性上、商品やサービスをPRする広告4コマ、生活情報雑誌に至っては料理レシピなどのハウツー解説としても機能していた。
そんな4コママンガの歴史を辿れる「四コマ漫画―北斎から『萌え』まで 」(清水勲/岩波新書/09年)によると、葛飾北斎による絵手本『北斎漫画』収録の「芸競べ図」という作品が4コママンガの源流だと推測されている。その後、大正末期にかけて新聞を中心に発展し、社会・政治風刺はもちろん、物語性のある作品が続々と登場。第二次世界大戦後は言論検閲によってマンガ文化そのものが縮小傾向にあったが、後に日常系4コマの代表格となる『サザエさん』(長谷川町子)の登場(1946年)によって新たな局面へ。高度経済成長期を迎えると、各新聞ではサラリーマンが主役の4コマが勢力を増し、雑誌では『伝染るんです。』(吉田戦車)に代表されるような“不条理ギャグ”など新しいジャンルも生まれていく。
(2010年11月30日「高知新聞」夕刊掲載)当時、高知県民が楽しみにしていたNHK大河ドラマ『龍馬伝』の最終回放送時に起きた“テロップ事件”をパロディにし、とても反響があったと話した村岡氏。SNSでも拡散され、『きんこん土佐日記』が県外にも知られるきかっけになったのだとか。
そんな4コママンガの歴史や魅力に照らした上で紹介したい長寿4コマが、やくみつる氏の『マナ板紳士録』だ。1991年より「週刊ポスト」(小学館)で連載が始まった同作は、旬な時事ネタを氏独自の視点で風刺し、現在は通算1400回を超える長寿連載になっている。1コマ目を主題となる人物のプロフィールに使い、以降の3コマでは軽やかな皮肉と共に対象の人物を紹介するという構成だ。取りあげられる人物はスポーツから芸能、政治まで多岐にわたるが、毎週渦中の人をピックアップしているので、読み返したときに良くも悪くも歴史人物図鑑のような役割を果たす作品といえる。
そして4コママンガの発展を支えた新聞界では、「高知新聞」夕刊で04年からスタートし、すでに連載は5000回を超えた村岡マサヒロ氏の『きんこん土佐日記』なるユニークなマンガもある。主人公であるおじいとおばあ、孫は方言である土佐弁を用い、高知県の日常や県民性を皮肉や自虐を交えながら描いている。そんな同作の着想のきっかけについて村岡氏本人に話を聞いた。
「地元紙なので方言バリバリのマンガが載っていたら面白いかなと思い、新聞社主催のマンガ賞にセリフがすべて土佐弁のショートマンガで応募しまして、そこで受賞したのをきっかけに連載が決まりました。『まずは1年間お試しで』みたいな感じで始まったので、まさかここまで続くとは思っていませんでした。予想外だったのは、連載が長期化したことで高知県内での認知度が上がり、イラスト作画やイベント参加、小学校でのマンガ教室などのお仕事をいただくようになったこと。マンガ家デビューしたときは、いわゆる“ガロ系”と言われる前衛的な表現に憧れていたんですけどね(笑)」