【アントニオ猪木】燃える闘魂は南米産?!

――人類とは旅する動物である――あの著名人を生み出したファミリーツリーの紆余曲折、ホモ・サピエンスのクレイジージャーニーを追う!

アントニオ猪木

(絵/濱口健)

レスラー出身の国会議員は日本史上初だった。2010年に果たしたWWE殿堂入りも、これまた日本人としては初めて。なお、現役時代にWWWFのNY興行に参加した際、ルーサー・ヴァンドロスから声をかけられたことがある。

すでにプールでタトゥーを見せることが御法度となりかけていた時期にも、北関東のある地域のプールは例外で、むしろ「タトゥーがひとつも入っていない者は少数派」だったとか。そこには多数の日系ブラジル人が住んでいたからだ! そういえば、ウチの遠縁の日系ブラジル人ファミリー(在サンパウロ)もタトゥーだらけ、それどころか2人はタトゥーイストだっけ。

トロピカル・トランプことボルソナーロ大統領の暴政もここ日本ではたいして話題にならないが、私の心から離れないのがブラジルだ。それは我が親族が住んでいるから、だけではない。

『プロレススーパースター列伝』を読んだ人なら、脳裏にトラウマのごとく刻み込まれているはずだ。ブラジルのコーヒー農園で、朝早くから夜まで、手に血豆を作りながら働いていた少年の姿が。

彼の名は猪木寛至。1943年、神奈川県横浜市鶴見区に生を受けるも、5歳のときに父を亡くし、極貧の環境で育つ。苦境から抜け出すチャンスを求めて一家はブラジル・サンパウロ近郊に移住した。56年、寛至が13歳のときだ。その後、陸上競技選手としてアスリートたる才能を発揮していたら、ブラジル興行でサンパウロを訪れていた力道山にスカウトされて、彼が主宰する「日本プロレス」入りすることになる。それが60年4月11日。つまり、ブラジルにいたのはわずか4年ほどでしかない。とはいえ、ティーンエイジ突入直後からの4年だから、大人として過ごす十数年の重みがあったのか。

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