――日本でハスリング(ドラッグ・ディールを意味する俗語)ラップのムーヴメントを巻き起こした伝説的ヒップホップ・グループSCARSのリーダー、A-THUG。2021年春、新たな夢を求めて地元・川崎からニューヨーク(以下、NY)へ渡ったものの、いつしか厳しい生活を強いられていた――。そんな彼がどん底から再起していくさまを追った動画シリーズが、NYで活動する日本人プロデューサーDJ MUNARIのYouTubチャンネルで今夏から始まり、大きな注目を集めている。そして現在、その動画とも連動した「A-THUGニューアルバム特別セット」がサイゾーの特設ショップ独占で予約販売中だ。デジパック仕様のEP、フーディー、写真集(PHOTO ZINE)という内容で、間もなく予約受付が終了してしまうが、NY時間の11日16日午前8時、話題のラッパーにオンラインで話を聞いた。(取材・文/中矢俊一郎[サイゾー])
「A-THUGニューアルバム特別セット」の予約販売は11月30日まで!
刑務所に慣れていて寂しくなかった
――おはようございます。インタビューする約束の時間になったので、連絡しました。
A-THUG(以下、A) あぁ、そうだった。あと2時間くらい寝たかったんだけどな……。
――時間を改めましょうか?
A いや、今からやりましょう!
――今回のEP特別セット、実は内容をこちらも完全には把握していないので、今日はその詳細や背景などを伺っていきたいのですが、そう言えばA-THUGさんと最後に直接会ったのはNYに発つ前々日でしたね。その頃、STICKYさんの追悼Tシャツを一緒に作っていて、それに関する記事を作るために川崎でインタビューをさせてもらいました。
A おぉ、そうだったね!
「負けず嫌いなあいつはSCARSの功労者」A-THUGが激白する故STICKYとの“ヒップホップ”な絆
――その後、NYに渡って1年半以上経つわけですが、どん底の生活に陥っていたことをDJ MUNARIさんのYouTubeチャンネルで明かし、話題となりました。そのときは正直、しんどい状況でしたか?
A 自分、ちょっとしたドラッグ・プロブレムを抱えていまして……。日本だと警察はヤクザからおじいちゃんのジャンキーまでユーザーを全員パクっちゃうけど、アメリカってユーザーはパクられないんだよ。ハスラーが路上で100グラム以下のドラッグを持ってたとしても、大した罪にならないというか。とにかく、こっちは寛大で、やってる人もいっぱいいるし、コンビニの前でたむろしてるヤツが売ってたりする。特にNYには、すごい数のスモークショップ、ディスペンサリーがあって。要はウィードを売ってるところなんだけど、クラックパイプとかガラパイ(ガラスパイプ)とかも置いてあったりするし、頼んだら注射器くらい出てきたりもする。そんな感じだから、どのブロックにもドラッグが溢れているんだよ。
そういうモノを自分もつまむことがあったんだけど、クスリを買ってキメちゃってたときに携帯(電話)をなくしてね。それで、こっちで仲良かったヤツと連絡が取れなくなったし、カネもなくなった。自分の曲がApple Musicとかで聴かれた分のカネがTuneCoreから多少入るんだけど、携帯がないとそれを引き出すのに必要なナンバーとかがわからなくて……。カネはあるけど、手持ちがないっていうか。しかも、いろいろ良くない出来事も重なり、クスリの切れ目にもなって、「ヤベェ、俺どうしたらいいんだ?」と。そういう状態になってシェルターに行き着いたわけ。
――そうでしたか。シェルターはどんな環境でしたか?
A メキシコ、ジャマイカ、エルサルバドル、エクアドル、ベネズエラ、ブラジル、アフガニスタン……いろんな国の人がいたけど、スパニッシュ・ピープル、ブラック・ピープルがほとんどで、大体はカネがない人じゃないかな。家族がいない、何かしらの事情で働けないとか、弱者といわれるような人たちもいた。あと、evacuee(避難者)、refugee(難民)もね。そうやって国境を越えてきた人たちは「アメリカで働きたいんで、なんとかしてください」みたいな感じだった。
俺が入ったシェルターは、アメリカ国内からもやってくるんだよね。例えば、NYに住みたいからってマイアミから来たarmy(陸軍)出身のヤツがいてさ。そいつ、おばあちゃんがハーレムにいるドミニカ人で、NYで生まれたんだけど、その後はマイアミで育って、armyに入ったと。で、armyを卒業したんだけど、これから何をするのかはっきりしない感じで。そうやって何かがんばろうとしてるけど、生きていく上での選択肢がまだ決まってないような人もいたね。その若者、28歳くらいだったかな? よく覚えてないけど、しっかりしてるヤツだったよ。ほかには、お母さんに新しい彼氏ができて「家を出てけ」と言われたけど、行くところがないからシェルターにいるっていう、黒人の男の子なんかもいたな。
――生活に困っているだけではない、さまざまな事情を抱えた人々がいるんですね。
A そういう人たちと団体生活するんだけど、俺、刑務所に慣れてるから、意外と寂しくないんだよね。しかもシェルターの場合、NY Cityに出られるわけ。変な話、もちろんガンジャは吸えるし、クスリもキメられるし、クラブにも行ける。女とも遊べれば、hooker(売春婦)だって買える……カネがあればね。シェルターには寝るときだけ戻ってもいい。で、仕事が見つかると独居みたいなとこに行けるんだけど、俺みたいなヤツは大体、雑居にいたね。
そんなわけで友達もいっぱいできて、「俺、シェルターでもいいや」って思っちゃったりもしたんだけど、携帯をなんとかゲットして、最終的には2週間くらいで出たのかな。まぁ、自分のドラッグ・プロブレムから「ヤベェ、携帯もカネもねぇ」って状態になって、シェルターに入ったのは確かだよ。ここで告白しますけど、やってしまうときがある。でも、控えようとしてるし、やめたい。そこまで持っていきたい。今、この気持ちは俺の中で大事なんで。
DJ MUNARIとの最初の出会い
――そして、シェルターでの生活を経てMUNARIさんのYouTubeチャンネルに登場することになりましたが、それはどういう流れで?
A MUNARI君とは、あのYouTubeをやる前から音楽のつながりがあって。昔、NYに来たときにリンクして曲を作ったりして、結構前から知り合いなんだよ。で、NYでもMUNARI君のことを知ってる人は多くて、日本人たちはもちろん知ってるし、ブラックピープルとかも知ってたりする。「Tokyo Meets Brooklyn」っていうYouTubeチャンネルをやってるからね。こっちではみんな普通にYouTube見てるんだけど、家族系の面白いチャンネルってことで有名でさ。
――人気チャンネルですよね。
A そうそう。でも、MUNARI君って家庭だけじゃなくて、音楽とかストリートの顔もある。実際、知り合いにラッパーもいるし、ストリートの活動もしてて、「俺、本当はそういう面もあるんだよね」って言ってたんだよね。そこで、あのYouTubeが始まったわけ。そうしたら、ドッカンドッカンいった! まあ、見てる8、9割は日本のオーディエンスなんだけど、英語のサブタイトル(字幕)を付けたりしたから、アメリカ、メキシコ、韓国……とか全体の10%くらいはインターナショナルみたいで、僕はやりがいがあるですよ!
――あのチャンネルでA-THUGさんのシリーズが始まり、日本では瞬く間に多くのヘッズの注目を集めた感があります。
A Thanks men! 日本のみなさん、愛してします!
――ただ、昔からA-THUGさんとMUNARIさんの音楽をずっと聴いてきたヘッズはお2人の関係をある程度把握しているでしょうけど、若い視聴者はあまり知らなかったりするかもしれません。そこで改めて聞きたいのですが、最初にMUNARIさんと出会ったのはいつ頃ですか?
A えっと、自分がSCARSのアルバム(『THE ALBUM』2006年)を出す前かな? 出した後かな? 2006、7年くらいだと思う。じゃあ、それから15年は経ってるのか。長い付き合いだねぇ。
――お2人の出会いを振り返る動画もありましたが、そこでA-THUGさんが名前を挙げていた「フジオカ君」とは?
A 藤岡君(G.O.K)は昔、渋谷で〈HIDE OUT〉っていう洋服屋をやっていた人で、ヒップホップが好きでさ。自分の友達もNYのカルチャーとかヒップホップとかモロ好きで、近くで〈Baby Blue〉っていう洋服屋をやっててね。その頃の渋谷は〈GROWAROUND〉とか〈BOOT STREET〉とかもあって、NYのカルチャーがごった返してたんだよ。で、藤岡君は毎月のようにNYに洋服の買い付けに行ってて、MUNARI君とはすでに友達だった。俺も、刑務所にいなかったり、調子が良かったりするときはNYによく行ってたから、藤岡君と合流することもあって、その流れでMUNARI君と知り合ったというか。
ただ、俺はもともとNYで日本人の友達なんて別にいらないって思ってて。現地で仲良くなったヤツが何人かいたんで。でも、MUNARI君と会ってみたら、下克上NYCっていう日本人のスクワッドを持ってて、結構悪い系のハーレムのラッパーたちともつるんでたから、「あ、お互いヤベェじゃん」みたいになって。そこから音楽を一緒に作り出した感じ。
――そういう経緯だったんですね。MUNARIさんが2008年にリリースした『下克上THE ALBUM』にはA-THUGさんだけでなく、〈BOOT STREET〉をプロデュースしていたD.Oさんなども参加しています。
A D.O君、PIT-GOb君とかとNYで合流して、曲を作ったね。そんなDJ MUNARI『下克上THE ALBUM』は、よく考えたら超ドープだよ。
――当時、勢いのあった日本のラッパーたちはNYのカルチャーとの関係が濃く、現地に行って音楽を作る動きもあったということですよね。
A ウータン・クラン、モブ・ディープ、バスタ・ライムス、フージーズ、キャムロン、ナズ、ア・トライブ・コールド・クエスト、ビッグ・パン、ダス・エフェックス、ザ ・ロックス……そういうNYのラッパーたちの音楽はものすごいパワーがあって、全部チェックしてた。今でも俺からしたら神のような存在だし、こっちだと芸能人級。俺らの世代より先輩だけど、あの時代にNYで頑張ってた人たちのDNAをいただいているから、そのパワーが俺にはある。
――そうしたことを踏まえてA-THUGさんの動画や曲に触れると、また深みは増すかもしれませんね。ここで話を戻すと、YouTubeが評判になるのと並行してEPを制作る動きになっていきました。それは、どういう経緯だったんですか?
A NYに来てからMUNARI君とYouTubeやる前も、曲は出していたんだよ。簡単な単語を使ってるんだけど、英語がメインの曲とかね。それも結構ドープだからcheck it out!
ただ、やっぱりMUNARIさんとつるんでやったほうがパワーになるというか。1本の矢より2本の矢のほうが強いじゃん。2人の良いところを合わせてね。あと、YouTubeの動画があって、同時進行で曲を作るから、俺もしっかりやらなきゃって。あんまり放置できない、責任感みたいなのが生まれてきた。
「A-THUGニューアルバム特別セット」の予約販売は11月30日まで!
A-THUG
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