――安倍元首相の銃撃事件をきっかけに、自民党と統一教会の癒着が次々と明らかになっていった。近代国家では守らなければならないはずの政教分離という原則は、いったいどうなっているのか。フランスにおける政教分離の理念「ライシテ」の研究者である気鋭の宗教学者、伊達聖伸・東大教授が、宗教学の泰斗である島薗進・東大名誉教授と日本における政教分離から国葬の是非までを徹底的に論じ合う。
(写真/増田彩子)
伊達聖伸 安倍元首相の銃撃事件をきっかけに、自民党と統一教会(旧統一教会。現名称は世界平和統一家庭連合。以下、統一教会)の関係が突然誰の目にも明らかになるような形で露呈しました。宗教学者や政治について詳しい人はある程度知っていたことですが、それにしてもここまで関係が深いとは思わなかった、という声も多く聞かれました。
島薗進 同時に自民党と創価学会や日本会議など、ほかの宗教団体、あるいは宗教的な団体ともいかにつながりが深かったかがあからさまになりましたね。
伊達 個人的なエピソードをお話しすると、私は1993年に東京大学に入学したのですが、桜田淳子や山崎浩子が合同結婚式に参加して統一教会が世間を騒がせたのが前年の92年でした。入学時、原理研究会というのは統一教会系のサークルで危険だから入ってはいけないと注意されたものです。当時は民青も危ないと言われていて、当時の私は区別がよくわからず、原理にも民青にも入らなかったものの宗教学という別の怪しい世界に迷い込んでしまうわけです(笑)。
島薗 私が東京大学に入ったのは、67年ですが、当時から統一教会は活動していて、親泣かせの原理運動なんて言われていました。もっとも、当時の親はそれよりも子どもが全学連に行くことを心配していましたがね。
伊達 なんでも島薗先生は統一教会の経典である『原理講論』なども読んで、かなり統一教会についても研究したことがあるとか。
島薗 私がなぜ統一教会に興味を持ったのか説明すると、そもそも日本ではキリスト教というのは、内村鑑三(注1)といった影響力の大きい思想家も生みましたが、結局あまり庶民化しなかった。それが日本のキリスト教の弱点だったんです。それに対して、日本の庶民に広まったのは日本独自の新宗教ですね。その中で統一教会は新宗教であるがキリスト教系でしかも外来の宗教であると。ここに新しいものを感じました。そして統一教会について調べてみると、日本の新宗教は傾向として現世に対して肯定的で、この世の悪ということを強調しない。それに対して、統一教会は現世に対して否定的で、この世と緊張関係にある。それでいて『原理講論』を読むと大変論理的に書いており、これなら大学生が惹かれて入信するのもわかる気がしました。
伊達 その経典は3000万円で買わされたということはなかったのですか。
島薗 当時は安く手に入りました(笑)。
伊達 その中にも韓国はアダム国家、日本はエバ国家(注2)であり、日本は韓国に献金しなければならないと書いてあるんですか。
島薗 少なくとも私が読んだ日本語版にはそこまでは書いてなかったと思います。
自民党と宗教団体の関係は何が問題か?
伊達 島薗先生が大学に入ったのが67年ということですが、統一教会が韓国でできたのは54年。日本統一教会が創立されたのが59年ですが、教祖の文鮮明と安倍元首相の祖父である岸信介が会ったのが67年。反共産主義の政治団体である国際勝共連合(注3)を設立したのが68年ですね。
島薗 その頃は民青すなわち共産党系の学生運動と、非共産党系の新左翼の学生運動が競い合っていたわけですが、それに対して右派では、左派に対抗するように統一教会と生長の家が出てきた。そして70年代になると、極左は内ゲバとかテロ的な活動に突き進んで崩壊していき、その間に右派は着実に勢力を伸ばしていきました。統一教会もその中の一勢力です。
伊達 68年は世界的に左派の学生運動が盛り上がった年ですが、日本の場合は同時に右派的な運動も生まれているのが特徴ですね。
島薗 統一教会は、世界平和教授アカデミーという学者の組織も運営しており、私が宗教学者になった頃にはよくお誘いがありました。しかし、私が98年に統一教会批判を明確にした論文を書いてからは、ぱったりと誘いがなくなりました。
伊達 統一教会批判の論文というのは、どういうことを書いたのですか。
島薗 当時はオウム事件が大変な騒動になっていたので、その関連でマインドコントロールについて書いたものですね。信教の自由があるといっても、統一教会ではその人が自律的な判断ができないようにされそこに問題があり、マインドコントロールという概念だけでは不十分ということを書いたものですね。
そしてオウム事件の後、いわゆるカルトによる過激な宗教活動は世間の批判にさらされ難しくなったと一般的には思われていた。しかし目立たなかっただけで問題のある活動は続いており、それが今回一気に露呈した。さかのぼると、統一教会が霊感商法的なことを始めたのは70年代の後半ですね。統一教会系の組織の中に壺を作る企業があったが、普通の値段では売れなかった。これに宗教的な価値を付けて非常に高い値段で売るようになったそうです。80年代は日本は経済的に非常に好調な時期で、対して韓国は民主化したばかりでまだ経済的には厳しかったですから、その時期に日本から収奪するという考えができたのではないか。
伊達 日本の新宗教の特徴は庶民的であるという話がありましたが、それに対して統一教会は若いエリート候補に狙いを定めつつ、そこからも庶民からもお金をふんだくるようなところがありますね。
島薗 70年代以降に広がる新宗教の特徴として、外界から隔離して閉ざされた仲間だけで生活をさせるというものがあった。統一教会も学歴の高い人たちを親から引き離して、共同生活をさせる。さらに「マイクロ隊」といって、マイクロバスに乗せてその中で寝るなど過酷な生活をさせて、全国で珍味や朝鮮人参などを売らせる。一般社会から隔離して特異な世界観を鼓吹したのです。
伊達 社会から隔離するというのも特徴ですし、先祖の祟りがあるというのを強調して信者からお金を巻き上げる一方で、現世の権力者には積極的に取り入ってきたわけですよね。
島薗 要するに統一教会はこの世の悪ということを非常に強調する。「この世に悪がはびこっているのはサタンの働きである。世界の中で敵味方をはっきり分けて攻撃的に戦う」という性格がありますね。このあたりが、適当に妥協する日本の文化風土に不満を感じていた人たちをひきつけたという一面がある。
伊達 あと統一教会でポイントになるのは先祖祭祀。本来キリスト教は先祖祭祀は重んじないはず。ところが統一教会は先祖というものを非常に強調する。
島薗 そういうさまざまな要素を持って日本に入ってきた統一教会が、当時の学生に非常にインパクトを与え、勝共連合という政治的な主張をする運動になった。それによって政治的な保護も得た。そして70年代には諸外国と比べて、日本における布教は圧倒的な成功を収めます。つまり多くの人とお金を集めて、それによって政治を動かし、社会に影響力を持つというスタイルができあがる。それがまた信者に対する収奪を正当化し、強めていったわけです。
伊達 そもそも自民党はどうして統一教会以外にも、神社本庁や日本会議など、宗教団体と密接な関係を持っているのでしょう。
島薗 神道の神社本庁と、生長の家にルーツがある日本会議、そして公明党の母体である創価学会と、この3つの団体が自公政権を支える大きな役割を果たしている。その意味で、今の政権は宗教政党的であるともいえますよね。これに似た傾向は世界にもあって、アメリカのトランプ大統領などもかなり“宗教を”利用していましたよね。
伊達 政党にとって宗教団体と連携することにはどんなメリットがあるとお思いですか。
島薗 まずは集票力。そしてリーダーの言うことに従ってついていくというメンタリティ。伝統的家族関係を重んじるという共通項。家父長制に郷愁があって、夫婦別姓や同性婚には反対というのも共通です。それらの根底には、民主主義に対する失望や反感があると思います。もっとも創価学会は少し違う。聖教新聞にはLGBTQに関する記事も結構出ているので、単純に同性愛嫌悪とも言い切れませんが、創価学会のリーダーの下に一丸となって働くという性格が自民党と波長が合っていることは間違いないですね。
伊達 自民党中心の政治体制というのは、55年以来基本的に崩れていないわけですけど、70年代には保守と革新の勢力が伯仲した頃がありました。その頃から宗教団体の票田化が進んでいったみたいですね。