――社会に広がったLGBTQという言葉。ただし、今も昔もスポーツ全般には“マッチョ”なイメージがつきまとい、その世界においてしばしば“男らしさ”が美徳とされてきた。では、“当事者”のアスリートたちは自らのセクシュアリティとどのように向き合っているのか――。
(写真/佐藤将希)
「あの子、男好きだよね」
宮田香奈子(仮名)は、中学生になった頃からクラスでそんな陰口を叩かれるようになった。自分自身の振る舞い、友達付き合いは、小学生の頃と何ひとつ変わっていない。なのに、なぜ? 疑問を感じた香奈子だが、陰口を叩くのはみな中学で初めて同じ学校になった女子ばかり。同じ小学校出身のクラスメイトにとって、香奈子が大勢の男子と親しくしているのは、幼い頃から目にしていた光景。今さら奇異に映る話ではなかった。
「自我が目覚めたときには、親から女の子だからとスカートをはかせられるのが嫌で。幼稚園は制服があったけど、私服のズボンをはいて通っていました。遊びも女の子より男の子とボールを蹴って走り回ったりしていることが圧倒的に多くて。だから、自分としては男子の中にいるのは普通のこと。髪も短髪だったし、女の子のグループにいたことなんて、ほぼなかったですからね」
胸が大きくなる第二次性徴前は、海パンで泳ぎに行ったこともある。
「だって、周りの男子がみんな海パンで、自分だけ女子用の水着って嫌じゃないですか。その頃はガリガリだったし。アハハハ」
しかし中学生になると、冒頭のように周囲が「常識的な」視線を突き刺してくるようになる。
「嫌々ながら女子とも遊ぶようになりましたよ。『男子の誰が好き?』なんて話も一緒に盛り上がったフリをして合わせたり。面倒でしたけど、しょうがないかって。当時は人の目も気になったので」
香奈子は今も自分の性について「よくわからない」と言う。
「トランスジェンダーだと思われることが多いですが、私としては違う。男になりたい願望はないんですよ。恋愛対象はあくまで女性だから、レズビアンだと思うんです。でも、自覚する前は男性と付き合ったこともあるし、セックスもできました。そんな話をすると純粋な……といえばいいのかな? レズビアンの人からは『男とヤレる時点でレズじゃない』と言われる。ならばバイかもしれないけど、男に対して恋愛感情はないからしっくりこない。そういう意味ではQ(クィア)ってことになるんですかね」
性別関係なく、素直に自分の感情や好みに従って生きていた幼少時代の香奈子。幸いなことに両親もそれを尊重してくれた。「男勝りな元気のいい女の子」として小学生時代は楽しく過ごせた。しかし、年齢を重ねていくと、社会がそれを許してくれなくなる。香奈子は何も変わっていないのに。それでも彼女は、抑圧に耐えられなくなるといったことはなかった。
「アハハ。私、我慢強いのかもしれませんね。剣道って基本的に楽しくない練習が多いから、忍耐力が養われるんですよ(笑)」
彼女のもうひとつの顔は、剣道の有段者。幼い頃から剣の道の「修行」に励み、高校、大学も剣道の腕を買われて進学を決めた。そんな体育会の世界は、Q寄りのレズビアンだった彼女にとって、厳しくも心地よい時間を過ごせる思い出として残っている。
陰険な「シゴキ」もあった 剣道強豪校の厳しい「修行」
「剣道を始めたのは小1。ぜんそく持ちだったんですが、近所に剣道を始めてから症状が良くなった子がいて。それで始めてみたら向いてみたいで、試合でもけっこう勝てたんです。九州の大きな街の育ちなんですが、市内大会でも上位に入って。もちろん、ぜんそくも良くなりましたよ」
もともと男子と活発に遊んでいた香奈子は運動神経も良く、メキメキと腕を上げていった。だが、中学では剣道部に入部せず、ソフトボール部を選ぶ。
「実は剣道と同時に男子に混ざって野球もしていたんです。そっちも楽しかったし、中学の剣道部はできたばかりで人数が少なく、熱心に活動していなかったから、ソフトボール部を選びました。今だったら女子野球チームを探していたかも」
だが、香奈子が剣道の強者であることは、地元では有名な話。弱小の剣道部は、香奈子が3年生になると人数不足ということもあり、最後の大会まで試合だけでいいから来てほしいと懇願してきた。稽古の厳しさはつらかったが、剣道自体は好きだった香奈子は申し入れを受け入れる。そうやって大会に出場すると、香奈子はあっさり地区予選を勝ち抜いてしまう。さらに「助っ人」参加にもかかわらず、大会を終えると複数の剣道強豪校からスカウトの声もかかった。
「結局、その中から特待生の条件が良い高校に進学することにしました。家が特別裕福でもなかったから、お金がかからないのはありがたいし、勉強も苦手だったので、入試もなくていいかなあと」
その高校は体育コースがあり、剣道以外のスポーツも盛んだった。実際、香奈子の同級生にも野球やサッカーをはじめとして、プロや将来のオリンピック出場を志して入学してきた生徒が多かった。当然、練習は厳しく、上下関係はもっと厳しかった。
「最初はギャップもありましたよ。中学は上下関係が緩かったから大変。剣道部は助っ人参加だったので、高校には先輩はおろか同級生にも見知った子がいない。最初は何度も辞めようと思いました」
いわゆる「シゴキ」もあった。
「掛かり稽古という剣道では定番の練習があって。受け手に打ち手がひたすら剣を打ち込んでいくのですが、先輩が受け手になると、永遠に終わらないんじゃないかというくらい打ち込みをさせられる。バテて動きが鈍くなると、受け手や周囲の先輩たちにハッパをかけられたり、背中を押されたり。しかも陰険で、先生がいるときはそんなことやらないんですよ」
それでも辞めなかったのは、親に「もうちょっとがんばってみたら」と励まされたのと、剣道自体は好きだったから。そんな生活にも慣れ、上級生になると、香奈子は大会でも活躍する。最終的には九州大会にも進出するなど、きっちりと結果を残した。それを手土産に、香奈子は大学にも剣道のスポーツ推薦で進学する。ただし、バリバリの強豪ではなく、高校と比較するといくぶんレベルが低く、部の雰囲気も緩い大学だった。
練習がハードな高校時代はなぜラクに思えたのか?
(写真/佐藤将希)
「教師か警察官になりたかったので、教員免許を取得しやすい大学を選んだんです。教師は部活、警察官は訓練で、剣道に関わっていける道もありますから。それに高校がハードすぎたので(笑)、ガチガチではない大学がよかった」
何がなんでも上を目指すというよりも、剣道を楽しくできればいいというタイプだった香奈子にとって、進学した大学の剣道部は水が合った。一人暮らしを始め、コンパなど高校では縁がなかった遊びにも足を運べるようになる。すると、あることに気づいた。
「部活が緩いから、私と同じように強豪校から来た選手の中には大学デビューみたいな感じで、どんどんキラキラしていく女子が増えたんですよ」
そして、中学進学直後の、あの「合わせる」感じを再び強いられる場面が増えた。
「今、思えば高校時代の部活はめちゃくちゃしんどかったけど、わかりやすい女っぽさを求められなかったので、そこはラクだったんだなあ、と。体育コースって、良くも悪くも男女の垣根が低いんです。男子はクラスの女子を誰も女の子扱いしてくれませんからね(笑)。モテる男子、遊び好きの男子もいましたけど、彼女はほとんど他校の子だったし。体育コースの女子はバリバリのアスリートですから、男子から見たら同じ環境にいる同性に近い感覚だったんじゃないですかね」
剣道は楽しくできるが、別のストレスもあった大学時代。日本の体育会は、いまだマチズモ的価値観が色濃く、女子部であっても似た雰囲気が生まれることが少なくない。それがゲイのアスリートにとって苦痛になることもあると過去の取材で聞いたこともある。だが、Q寄りのレズビアンである香奈子にとっては、一線級の選手だったゆえに、凝り固まった女性像を押しつけられることから逃れられる場所になった。これが、「献身的」という言葉でマチズモ的価値観における従来的な女性像を求められる「女子マネ」だったら話は別だったのだろうが。「性の多様性」という観点では、なんとも考えさせられる話である。
無理に「合わせる」必要がないパートナーとの幸せな暮らし
ただ、大学の剣道部は高校時代ほど時間的拘束はない。心身に余裕が生まれた香奈子は、かねてより疑問を感じていた自分の性についてネットで調べるようになった。そして自分はレズビアンかもしれない、という結論に至る。
「中学でも高校でも、男子と付き合ったことはあるんですよ。『合わせる』一環というか、そうしなきゃいけないのかな、みたいな感じで。だから、自分としては友達付き合いの延長のようなもの。恋愛感情もなかった」
そこで、レズビアンが集うネットの掲示板を利用して、なんとなく好印象を抱いた女性と連絡を取り、会ってみることにした。すると、今までにない感情が自分の中に生まれた。
「会う日までのドキドキする具合が、男子と付き合ったときと全然違うんですよ。これが恋愛か! と種類の違う満足感が得られて。思い返してみれば、中学でも高校でもドキッとした女子はいたんですよね。『この子、かわいい!』とときめいたり。でも、恋愛的な行動に移すことはなかった。友達として好きなんだ、と勝手に思い込もうとしていたような気がします」
それもまた、剣道の「修行」で培った忍耐力、自制心がそうさせたのか。
「キレイ系よりもカワイイ系、清楚な感じがする女性が好みなんです。芸能人なら宮﨑あおいとか」
現れた相手は、まさにそんなタイプの、年下の女性だった。香奈子は一瞬で恋に落ちた。相手も香奈子のようなボーイッシュな女性が好みだった。以来、10年以上、2人はパートナーとして同じ時間を過ごしている。
「一緒に暮らし始めてずいぶん時間が経ったし、もう添い遂げられたら、という気持ちですね。彼女と付き合うようになってから、周囲に合わせるため、無理をしてかわいらしい服を着ることもほとんどなくなりました。だから自分の好きな男っぽい格好になっちゃうんですけど、彼女もそれが好みだから」
剣道も趣味として、たまに竹刀を振る程度には続けている。頼まれて地域の小学生のコーチを務めた時期もあった。大学卒業後、縁あってサービス業に就いたため、教師や警察官として剣道を続ける道はなくなった。だが、今くらいの距離感のほうが剣道を嫌いにならないで済むと感じている。得意の忍耐力を発揮しなくてもいい暮らしを、香奈子は手に入れたのだ。
*本稿は実話をもとにしていますが、プライバシー保護のため一部脚色しています。
田澤健一郎(たざわ・けんいちろう)
1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスの編集者・ライターとなる。野球をはじめとするスポーツを中心に、さまざまな媒体で活動している。著書に『あと一歩!逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語』(KADOKAWA)、共著に『永遠の一球 甲子園優勝投手のその後』(河出文庫)などがある。
前回までの連載
【第1回】“かなわぬ恋”に泣いたゲイのスプリンター
【第2回】サッカー強豪校でカミングアウトを封じた少年
【第3回】“見世物のゲイ”にはならないプロレスラーの誇りと覚悟
【第4回】童貞とバカにされながら野球に没頭した専門学校の部員
【第5回】男性として生きるために引退を決めた女子野球選手の葛藤
【第6回】「ウリ専」のバイトでゲイを自覚した一流大学のボクサー
【第7回】男子フィギュアスケーターがゲイを隠すために同調した“誤解”