「目指すはK-POP? ジャニーズ進化論【1】」でも触れたように、ジャニー喜多川氏、メリー喜多川氏がそれぞれ鬼籍に入り、楽曲の変化、YouTubeへの参入など新たな時代に入ったジャニーズ事務所。ここでは「少年性」がキーワードとされる芸能プロとしての戦略などについて触れてみたい。
ジュリー代表を支える滝沢秀明副社長。2人には不仲説も。
藤島ジュリー景子社長、滝沢秀明副社長ら経営陣の若返りを図ることによって、人気グループの解散、脱退が続くジャニーズ事務所。かつては昭和、平成といわゆるアイドル歌謡やJ-POPを牽引してきたが、「目指すはK-POP? ジャニーズ進化論【1】」でも触れている通り、ここ最近はその風向きが変わってきている。まずは芸能プロ的な戦略を語る前に、“ジャニーズらしさ”なるものの正体を見てみたい。
そもそもジャニーズ事務所は米国生まれの日系人で米西海岸のエンターテインメントの世界に強い憧れを抱いていたジャニー喜多川氏により1962年に創業(法人登記は1975年)された。
最初の所属グループである「ジャニーズ」の前身が、米国大使館の通訳だったジャニー氏が宿舎の近所の少年たちを集めて作った野球チームだ。その野球少年たちがジャニー氏とともに鑑賞した映画『ウエスト・サイド物語』(61年)に感動し、ダンスのレッスンを始めたことがグループ結成のキッカケになったことは、ファンの間では広く知られている。
「ジャニーさんがその生涯をかけて目指したのは、米国のショービジネスの世界でも通用するような『歌って踊れるタレント』の育成。それゆえにジャニーズ事務所のタレントの多くは研修生の頃から『歌とダンス』のレッスンに励むわけですが、事務所誕生のキッカケとなった『ウエスト・サイド物語』の影響も理念として脈々と受け継がれています」(大手芸能プロ幹部)
中でも「ダンス」に対するあくなき探究は、業界ではつとに有名だ。62年の創業の際は、渡辺プロダクション(現ワタナベエンターテインメント)の系列事務所だったこともあり、68年にデビューしたフォーリーブスこそ当時隆盛を極めていたグループ・サウンズの流れに乗る形となったが、郷ひろみや川崎麻世、田原俊彦など、その後にデビューしたアーティストたちは皆、歌えるだけでなく、“踊れる”ことがアピール材料となった。芸能記者が語る。
「ジャニーズ事務所においていかに『ダンス』が重視されているのかは、日本の大衆歌謡の中でまだそれほどダンスに対する関心が集まっていなかった昭和の頃から、歌唱力同様、あるいはそれ以上にダンススキルの向上を求めていたことでもわかる。ジャニー氏が『少年隊を最高傑作』と評したのも、歌唱力に加え、ダンススキルの高さもあってのこと。またこのダンス重視の感覚については、性格、経営戦略は弟と真逆とされる実姉・メリー喜多川氏にも相通じていたようです。『週刊文春』(15年1月29日号)のインタビューの中で『SMAPは踊れないじゃないですか』と、メンバーのダンスのスキルの差を理由に嵐よりもSMAPの方が格下と言わんばかりの発言をしたことがそれを物語っています」
そして、歌唱とダンスへの切望のきっかけとなった、非行少年の悲哀を描いた『ウエスト・サイド物語』にも見られる「少年性」こそが“ジャニーズらしさ”の根源だという。
「ジャニーズの保守本流、王道路線を歩んだ郷さんや近藤真彦さん、田原さん、少年隊、光GENJI、KinKi Kids、嵐などの楽曲に『少年性』を感じさせる作品が多い。それだけ重要視していたということでしょう。ジャニーズでは異色の“不良系”KAT-TUNでさえも、デビュー曲『Real Face』の歌詞などが顕著ですが、あくまでコンセプトは不良少年であり、『少年性』は補完されています」(同)