――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地
[今月のゲスト]
伊藤雄馬(いとう・ゆうま)
[言語学者、横浜市立大学客員研究員]
1986年、島根県生まれ。2010年、富山大学人文学部卒業。16年京都大学大学院文学研究科研究指導認定退学。日本学術振興会特別研究員(PD)、富山国際大学現代社会学部講師、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員などを経て、20年より独立研究に入る。
タイとラオスの国境沿いで狩猟生活を送る遊動民ムラブリ。そんな彼らを取り上げたドキュメンタリー映画が『森のムラブリ』だ。森で自然に生えている芋を掘り、木の実を取り、小動物を捕まえて食べて生きているムラブリが、なぜ、我々が「モラル」や「倫理」と考えるような規範を持つようになったのか──同作の主人公・伊藤雄馬氏とともに考えてみたい。
神保 本日は月に5回目の金曜日なので、恒例の「5金」映画特集をお送りします。今回取り上げる映画は、これまでマル激で取り上げてきたものとはちょっと違う、特別な作品ですね。
宮台 そうですね。我々は国民国家を営むようになってから、長く見て200年。主権国家というものを知ったのも1648年のウェストファリアからだから、それから数えてもまだ400年も経っていません。その中で、言葉と法と損得の奴隷になりきって戦争をしていて、プロパガンダによってインチキの物語を刷り込まれている。
今回取り上げる金子遊監督の『森のムラブリ』は、そんな中で皆さんに観ていただきたい自由への映画です。
神保 早速ですが、ゲストは今名前が出てきた『森のムラブリ』の主人公であり、言語学者で独立研究者でもある伊藤雄馬さんです。宮台さんから簡単に映画と伊藤さんをご紹介いただけますか。
宮台 まず、『森のムラブリ』は映像人類学の分野の作品で、簡単にいうとドキュメンタリーです。
神保 単なるドキュメンタリーではなく、人類が初めて撮影に成功した貴重な映像も含まれている作品ですね。
宮台 この映画に、なんの説明もなく素敵なお兄ちゃんが出てきて、彼はいろんな言語を操りながらフラフラとしていて、何の研究をしているかもよくわからないんです。それがすごくいい感じで、この人は誰なのかと思っていたら、僕のゼミにたまたま知り合いがいて、「これは伊藤雄馬さんですよ」と。日本にいながら定住していない、とてもおもしろい方です。
神保 映画に出てくる「ムラブリ」という人たちも定住民ではないのですが、伊藤さんは日本でも定住せずに転々としていると。
宮台 それも、同年代の人が血眼になってアカデミックポストを探しているときに、自由を求めて大学を辞めてしまったと。そんなケースは聞いたことがありません。
神保 この映画のテーマは我々にとって、非常に重要な示唆を含んでおり、伊藤さんはその主人公と言っていいかもしれませんが、案内役のような形で登場します。ご本人の口から、どんな映画なのかご紹介いただけますか。
伊藤 タイとラオスの狩猟採集民である「ムラブリ」という方々がいます。その地域では唯一の狩猟採集民で、他の民族は農耕をやっています。僕はそんなムラブリの言語を研究しているのですが、彼らは400人くらいで、少なくとも3つのグループに分かれており、別のところに住んでいます。それが互いにいがみ合っており、あるグループは別のグループを「人食いだ」として恐れている。
映画ではタイとラオスに住む3つのグループを訪ねていくのですが、特にラオスは彼らと会えるかどうかわからないけれど、金子監督と一緒に現地に行ってみたんです。そうしたらなんと遊動生活をしているムラブリに会えた、というのが先ほどおっしゃった、世界初の映像です。ムラブリはタイ側では定住しているのですが、ラオス側は森の中を遊動しているので、会えるかどうかはちょっと賭けでしたね。
宮台 そもそもムラブリ研究をしていた伊藤さんと金子監督が会ったのもまったくの偶然で、その2人で歩いていたら、これも偶然、ラオス側の山から降りてきたムラブリに出会ったという、神様が作ったような作品です。
伊藤 標高1000メートルから1500メートルくらいの山間部で、さまざまな少数民族がいる地域なのですが、ムラブリはもともと、そこでもっとも小さい狩猟採集民として遊動生活をしていました。タイ側は国の政策で定住しましたが、ラオス側はまだ森の中で移動生活をしているので、どこにいるか誰もわからない。たまに村に降りてきてお米をもらったり、物々交換でタバコを持って帰ったりして、また別の場所に移るという生活をしているんです。
神保 普段は狩猟採集したものを食べて生きているということですか?
伊藤 そうですね。自然の芋を掘ったり、川や池の魚を獲ったり。動物も獲りますが小さいものがほとんどで、モグラやネズミが多いようです。