――ダンスフロアからの新たな刺客。DARUMAとJOMMYの画期的音楽探究。
(写真/岩澤高雄[The VOICE])
今月のゲストは、泣くB-BOYも黙る気鋭のプロデューサー・KM氏。LEXをはじめ、BAD HOP、ANARCHY、(sic)boyなどのプロデュースを手がけ、今やヒップホップの垣根を越えて活躍の場を広げている彼は、なかなか風変わりな経歴の持ち主でした。
DJ DARUMA(以下、D) 来ていただき光栄です。
JOMMY(以下、J) KMくんとは結構長い付き合いになるんだけど、それこそクラブでレジデントをやってた頃からになるよね。
D それはヒップホップ?
KM(以下、K) EDMです。
D え――――!(笑)
K 西麻布にある、いわゆるチャラ箱の頂点のようなクラブで金土のレジデントをやってました。
D ちょっと待って、そこに辿り着いた経緯を知りたい。
K 中学のときにDJが流行っていて、ギターを買ってバンドやろうぜという空気よりも、「タンテ(ターンテーブル)っしょ!」みたいな時代だったんですよね。それから「クラブでDJをやりたい」と思い、当時mixiで先輩に相談して、16歳か17歳くらいのときに西麻布の『328』という小箱でレジデントをやらせてもらいました。
J 出身が六本木なんだっけ?
K 出身は神奈川で、そのあと広尾に引っ越して遊ぶのは六本木や西麻布でした。
J 完全に環境だよね。
D 最初からヒップホップだったの?
K 328は客層が20~40代の音楽好きの人たちで、ヒップホップやレゲエ、ロックもかけるオールミックスの箱だったんですけど、僕自身はハウスが好きでしたね。もちろん、ヒップホップもプレイしてたんですけど、エレクトロとかのいわゆるダンスミュージックをよくプレイしてました。
J そこはどのくらい続けたの?
K もう閉店してるんですけど、2000年から10年くらいは続けてたと思います。給料はなかったんですけど、ドリンクもタダだったので、いい経験になりました。後半はほかのクラブでもDJをしつつ、その頃からロジックを使って制作やエディットも始めてたと思います。
D 音楽理論はどこで学んだの?
K ミクスチャーにハマったことでギターをやったこともあるんですけど、基本は独学ですね。2010年になる前くらい、DARUMAさんやJOMMYさんがエレクトロやバイレファンキのムーブメントを紹介してくれていたこともあって、かなり楽しく聴いてたんですけど、結構僕の中ではそれがキーポイントになってるんですよね。A・トラックの『Dirty South Dance』(07年)を聴いたときも衝撃で、「自分の好きなラッパーがハウスのトラックに乗ってる!」って。そのほかにもクンビアベースやムーンバートンとか全部面白くって、制作でもいろいろトライしてました。
D そこからどうチャラ箱のレジデントにつながるの?
K 328と比べて女の子のお客さんが多くて、その頃にはEDMの波も来ていたんで、みんな踊って盛り上がってるんですよ。なので自然に入り浸ってしまい。
J 確かそこのクラブは「タイムカード制」だったんだよね?
K やってました。遅刻したら怒られるし……って当たり前なんですけど(笑)、退勤のときは泥酔で押してました。その頃ですよね、JOMMYさんの連載に対談で呼んでもらい、「EDMは仕事として割り切ってるんですけどー」と見栄を張った記憶があるんですが……思い返せばあの時間は好きでした(笑)。
D 良い意味で修業だもんね。