――2010年代後半、「ゴーシャ ラブチンスキー」というロシアのファッションブランドが欧米でもアジアでも大きな脚光を浴びた。しかし、いつしかその話題を耳にすることは減り、加えてロシアのウクライナ侵攻も始まった。あの頃、なぜ同ブランドは世界のファッション界で一大センセーションを巻き起こしたのか。そして今、ロシアン・ファッションはどんな状況にあり、その未来はどうなるのか――。パリ在住ジャーナリストの井上エリ氏が迫る。
2016年のパリ・ファッションウィークで行われた「ゴーシャ ラブチンスキー」のショーより。(写真/Getty Images)
貧しい90年代を経験したデザイナーの革新
ここ10年でロシアン・ファッションは大きく様変わりした。おそらく現在は、ウクライナ侵攻により思いもよらぬ方向へと進んでいるが、その点も含めてほかに例を見ない歴史を築いており、いかにファッションが政治、社会、人間心理と密接な関係であるかを象徴している。“ファッションは時代を映す鏡”だとするならば、世界に影響を及ぼすロシアン・ファッションは今、何を投影しているのか? 変遷をたどりながら、ロシアをめぐるファッション業界の未来を予見していく。
ロシアン・ファッション変革の起爆剤となったのは、ゴーシャ・ラブチンスキーだと誰もが口をそろえるだろう。1984年にモスクワで生まれ、同地で育った彼は、美容師、スタイリストを経て、2008年に自身の名を冠したブランドを立ち上げた。代表的なのは、異様なまでにビッグサイズのTシャツや、サッカーユニフォームを日常着に見立てたルック、ホワイトカラーを象徴するテーラードスーツと貴族のハンティング用防寒着に由来するローデンコートをポップカルチャーやスポーツと掛け合わせたミスマッチなスタイリング。彼独自の“ダサい”と“かっこいい”の境界線を行き来するストリートスタイルは、欧米とアジアの若者から絶大な支持を集め、「コム デ ギャルソン」から生産に関して全面的なバックアップを受けるようになり、販路を世界へと拡大していった。当時ゴーシャは自身をデザイナーではなくストーリーテラーだと呼び、自らを育んだモスクワの文化をファッションを通して語っているのだと述べている。
ゴーシャ ラブチンスキーが発表してきたアイテムたち。(写真/Getty Images)
ゴーシャと同じような価値観でファッションの世界に関与し、同時期にストリートスタイル旋風を巻き起こしたのが、「ヴェトモン」の創始者であり、現在「バレンシアガ」のクリエイティブ・ディレクターを務めるデムナ・ヴァザリアと、昨年急逝した「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー」の創始者兼「ルイ ヴィトン」メンズ・アーティスティック・ディレクターだったヴァージル・アブロー。ジョージア(旧グルジア)生まれのデムナとゴーシャの共通点といえば、旧共産圏の文化から着想を得ていることだ。ソビエト連邦崩壊直前に生まれた彼らの世代は、10代で経済的に困難な時代を経験したため、両親の洋服や古着をまとうしか選択肢がなかった。例えばオーバーサイズの洋服は、貧しくて服が買えず、親戚や兄弟のお下がりを着ていたことに由来する。ラグジュアリーブランドのロゴやモチーフをコラージュしたデザインには、当時市場にあふれていた中国製のフェイク品を反映させている。
2016年のパリ・ファッションウィークで行われた「ヴェトモン」のショーより。
社会主義文化と資本主義文化が混ざり、混沌としていた90年代の時代感を色濃く映すこの世代のスタイルは、ソ連崩壊後に生まれた“ポストソビエト・ユース”と呼ばれる新世代にとって、ロシアの音楽や映画、広告、そしてファッションを彷彿とさせる魅力的なスタイルに映った。また、政治的に自由な発言が許されていないロシアで、国を牛耳る政府や上流階級への反発として、あえて華美な装いではなくストリートウェアへと傾倒していったという背景もある。「ゴーシャ ラブチンスキー」のスタイルが、日本語でヤンキーを意味する“ゴープニク”と形容されていたことからも、ポストソ連・ロシアで新たなアイデンティティを探求する若者像が見えてくる。
2016年のパリ・ファッションウィークで行われた「オフ-ホワイト」のショーより。(写真/Getty Images)
一方で、故ヴァージル・アブローはガーナ移民としてアメリカの下流社会で育った人物。ブラックカルチャーの音楽や芸術をファッションと関連づけたスタイルで、ゴーシャとデムナと共に2010年代後半に一世を風靡した。この三者が築き上げたストリートスタイルを単なる一過性のトレンドとして切り分けることはできない。非常に高価格な彼らの商品に需要が高まり、フランスやイタリアの主要なラグジュアリーブランドへも多大な影響を及ぼしたのだから。それまでトレンドを作っていたのは、世界で限られた人間だけが購入できる、スノッブで豊かさの象徴であるラグジュアリーウェアだった。上流が打ち出したスタイルが、大衆へと広がっていくトップダウンの流れが当たり前とされており、そこには越えられない明確なヒエラルキーが存在した。しかし、ゴーシャを含む三者による下流階級から生まれたストリートスタイルは、このヒエラルキーを破壊してボトムアップを実現し、新たな価値観を芽生えさせたのだ。