――2022年2月1日、鬼籍に入った石原慎太郎。東京都知事時代は保守層に支持される一方、しばしばその差別発言が物議を醸したが、1950年代に芥川賞受賞作『太陽の季節』で太陽族のムーブメントを巻き起こし、亡くなるまで小説をはじめ膨大な著作を残した作家でもある。そんな氏が追求した「文学」とは、結局なんだったのか――。批評家の藤田直哉氏が「死」をキーワードにして全3回にわたり徹底解剖する!
石原慎太郎の死と文学世界(1) いい女とのSEX、死の極限……「絶頂」を求めて「保守」政治家になった作家
写真/Getty Images
生と死の極限における「神」
石原は、(弟・裕次郎の)臨終に際しての生と死の狭間、死線を越える瞬間がわかるという発言をしているが、そこで、海でヨットを操っているときの風向きや海の様子の比喩を使っている。彼は、社会や、大衆の求めていること、時代の流れなどの風向きを読むのが恐ろしくうまく、天才的にヒット作を多く出した。その「読み」の能力とは一体なんだったのだろうか。
『弟』(幻冬舎文庫)
彼は原体験のひとつとして、ヨットを操って危うく沈没しかけ、死にかけたが、なんとか操作する方法をその場で会得したことを語る。「あの時に得た安堵と満足の味を忘れることが出来ない」、そして「あれは、夏の陽のきらめく海の上で行われた、私と海との完全な結婚だった」(『弟』p.73)とも。一体感を得る対象が、日本ではなく海という違いはあるが、しかし最初に言ったように、死のギリギリにまで接近する経験の中で「一体」の感覚を得る経験としては共通性がある。そして、そこで「極意の会得」があった。
つまり、生きるか死ぬかの状態で、脳は生きるために限界を超えて働こうとする。死を避けるために、さまざまな情報を急速に収集し、意識や言語的思考より早く、無意識の中で計算が行われ、その結果の行動を起こす。「反転」のやり方を知らないまま、沖にひとりいて、沈みかけたヨットを取り回さなければいけなかった彼の脳は、そうやって「反転」の方法を「会得」した。それは同時に、生きるか死ぬかの状況に自分を追い込むことで、周辺の情報を大量に呼び込み、無意識のレベルで高度な思考や計算を行い、そして最善の行動をアウトプットするという性質に彼を導きはしなかったか。彼の「読み」の能力の高さは、そういうところから来ているのではないか。
弟である裕次郎の死に際して、祈祷師を呼んで「霊波」を送らせたようなスピリチュアルな傾向の始まりは、小樽で過ごした幼少期に裕次郎が病気にかかった際に父が呼んだ、霊感のあるとされる老女の影響であるという。そのような、拝み屋やイタコたちの、トランス状態における情報収集と思考の動き方と、石原が死に接近しながら「読み」のアンテナの感度を高めていく作業が、どこか似たもののようにも想像される。そのときに覚醒した脳が見る世界――それは、特攻隊が見たと彼が考える世界であり、戦争中には皆がこの状態でいたのではないかと夢想される世界だろうが――を、彼は求め続けたように思われる。思えば、石原が愛する音楽のジャズも、その瞬間瞬間に覚醒し、即興的に何かに応答し続ける音楽だが、そのような「この瞬間」に最高度に意識と気を張り覚醒しきった境地をこそ彼は求めたのではないか。そしてクラシック音楽のように一人ひとりが感情を抑え機械のように動く議会政治の中で、ジャズ的な政治を彼は行おうとした。
先んじて結論をいうが、ジャズ的、勢いと衝動重視の作風を、日本の霊性と接続し、「つぎつぎとなりゆくいきほひ」(丸山眞男「『歴史意識』の古層」)を無意識レベルで重視する政治的な風土を持っている日本社会に適合させる。それが、石原が保守政治家になる過程で行った「作風」の転換であったのでないか。
生きるか死ぬか、生死を分ける「死線」に近づきながら判断する、その瞬間に「神」が影響を与えていると石原は考えている。その瞬間は、自然や宇宙、世界と一体となるような感覚になる。