石原慎太郎の死と文学世界(1) いい女とのSEX、死の極限……「絶頂」を求めて「保守」政治家になった作家

――2022年2月1日、鬼籍に入った石原慎太郎。東京都知事時代は保守層に支持される一方、しばしばその差別発言が物議を醸したが、1950年代に芥川賞受賞作『太陽の季節』で太陽族のムーブメントを巻き起こし、亡くなるまで小説をはじめ膨大な著作を残した作家でもある。そんな氏が追求した「文学」とは、結局なんだったのか――。批評家の藤田直哉氏が、「死」をキーワードにして全3回にわたり徹底解剖する!

写真/Getty Images
「文藝春秋」(文藝春秋)2022年4月号

「死、そんなものなどありはしない。ただこの俺だけが死んでいくのだ」――アンドレ・マルロー『王道』

絶筆「死への道程」に、膵臓がんで余命3カ月を宣告されるシーンがある。そこで石原はこのように書いている。

「以来果てしもない私自身の『死』をからめてあらゆる思索の手掛かりとなりはてて頭の中ががんじがらめとなり思考の半ば停止が茶飯となり、私の文学の主題でもあった『死』はより身近なものとなりおおせた」(「文藝春秋」2022年4月号Kindle版、p.71)と。


『太陽の季節』(新潮文庫)

石原慎太郎といえば『太陽の季節』の「太陽族」的な、ヤンチャで無軌道な若者の代表のイメージか、差別発言ばかりをする保守政治家のイメージでばかり語られがちである。しかしながら、晩年の20~30年近くは、ほとんど「死」に近接する主題ばかり書いていることに気がつく。そしてそれを読んでいると、従来の石原慎太郎イメージとは違う姿も、確かに見えてくる。

本稿は――決して石原の全作品を通覧できたわけではないと正直に述べておくが――「死」を手がかりに、石原慎太郎の文学世界の一端を明らかにすることを目指すものである。 


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