日本の障害者運動の中心に「文学」があったワケ 文学者・荒井裕樹インタビュー

荒井裕樹障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ(現代書館)

「障害」から「文学」を再考し、「文学」を通じて「障害」とは何かについて問い直す――。

そんな興味深い研究を行った『障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ』(現代書館)という書籍がある。

著者は二松学舎大学文学部准教授の荒井裕樹氏。障害や病気とともに生きる人たちの自己表現活動を研究テーマに、沈黙を強いられてきた人々の生と言葉に向き合い、研究・執筆を続ける日本文学者だ。

なお同書は2011年の出版だが、荒井氏は今年3月に「第15回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞。近年の日本の“言葉が壊されつつある状況”に抗うエッセイ『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)などに綴られていた荒井氏の文章は、多くの読者から共感を呼んでいる。

そして『障害と文学』で荒井氏が提示した視点は、差別や偏見が社会の分断を進めつつある今の時代にこそ触れる意義のあるものだ。1970~80年代の障害者運動を牽引した運動家であり詩人で、荒井氏が「社会がまだ追いついていない」と評する故・横田弘氏(1933~2013)にも触れながら、「障害」と「文学」の関係について話を聞いた。

障害と文学はなぜ切り離されるのか?

――ご著書の『障害と文学』では、戦後日本の障害者運動において、文学が「中心的な役割を果たしてきたとさえ言える」と書かれていました。意外な話だと感じましたが、なぜそのような状況が生まれたのでしょうか。

荒井 まず前提として、考え方の枠組み自体を問い直す必要があります。私たちは「障害」や「障害者」と聞くと、それを医療や福祉の問題と捉えがちです。一方の「文学」は、文化や芸術分野の問題だと考えるでしょう。そうした考え方は、学問のジャンルのすみ分けでしかないのですが、「文学者は障害者の書いたものを読まない」「社会福祉の専門家も文学のことはあまり知ろうとしない」という状況は実際にあると感じています。だからこそ「障害」と「文学」の結びつきを不思議に感じる人も多いのでしょう。

しかし、一人ひとりの表現者の人生をしっかりと見ていくと、障害がありながらも(あるからこそ)文学を生きる支えにしてきた人たち、芸術や表現活動で自らを鼓舞したり支えたりしながら生きてきた人たちも確かにいるわけです。

これまでハンセン病の回復者たちや、障害者運動に取り組んでいる人たちに話をうかがってきたのですが、「若い頃は自分たちで文芸誌を作っていた」という人も少なくありませんでした。学問のジャンルでは切り離されていても、一人ひとりの人生では「障害」と「文学」が切り離されていない事例があるわけです。私はその一人ひとりの人生に寄り添って考えることが大切だと思っています。

――「何かを伝えたい・表現したい」と考えた障害者のうち、文芸に向かう人が目立ったのはなぜなのでしょうか?

荒井 これは社会福祉学者の岡知史さんの先行研究に従う話ですが、障害当事者の運動には、「語る・まじわり」と「綴る・まじわり」があるといえます。ピアカウンセリングの文化が育まれた欧米では、同じ障害を持つ人たちが、その悩みや体験を語り合い、解決策を目指していく「語る・まじわり」の文化が強いのが特色です。

一方の日本では、書かれた言葉を交わし合う「綴る・まじわり」が目立ちました。簡単に言えば、機関誌や会報を作って仲間内で読み合う文化ですね。

日本では障害者団体に限らず、何かのグループが結成されると、まず会報を作ることが多かったんです。そこに自分たちの思いを綴ってみんなで読み合い、グループの一体感をつくり上げていく文化がありました。障害者運動においても同様のことが行われていたわけです。

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