日本の文系/理系は近代化から始まった? 文理区分がもたらすジェンダー観への影響

――日本では当たり前のように受け入れられている文系・理系というカテゴリ。一方で、近年では「理系に進学する女性が少ない」といった問題が叫ばれている。そもそもこうした文理区分は我々のジェンダー観に影響を与えているのではないか? 『文系と理系はなぜ分かれたのか』(星海社新書)の著者である隠岐さや香氏に話を聞いた。

2022年4月には、日本の女子大学初の工学部が奈良女子大学に開設される。カリキュラムには専門科目のほか、リベラルアーツといった分野も盛り込まれている。(「奈良女子大学 工学部」公式HPより)

「文系と理系という分け方をするのは日本だけ」という説を聞いたことがある人も多いだろう。実際に、海外では大学受験の際には「人文科学」「社会科学」「自然科学」といった大きく3つのカテゴリ分けがなされたり、これらのカテゴリに縛られずに専攻選択が可能な仕組みが一般的とされている。また、近年では日本国内でも「文理融合」をうたうなど、旧来の文理区分にとらわれない学際的な学部の設立も目立っている。

こうした文理区分の必然性自体が問われる中で、注目を集めているのが文理区分におけるジェンダー格差だ。2021年に内閣府男女共同参画局が発表した「男女共同参画白書」によれば、「大学(学部)学生に占める女子学生の割合」は人文科学専攻が65.2%、一方の理学専攻で27.8%、工学専攻にいたっては15.7%と、圧倒的な男女差が存在している。この男女の割合は、同調査の大学院生でもほぼ似たような傾向を見せている。つまり、日本では「女性は文系学部に多く、理系学部には少ない」という結果が如実に表れているのだ。こうしたデータをもって、「女性は理系に向いていない」と考える向きもあるだろうが、果たして本当なのだろうか? 本稿では、日本における文理区分の歴史から、この二分法が日本のジェンダー観に与える影響について見ていく。

「日本で文理区分という考えが最初に生まれたのは明治時代。日本が近代化していく際に、急ピッチで中等・高等教育や官僚制度を整えていく過程で登場したと考えられています。1918年に公布された『第二次高等学校令』の中には『文科』『理科』という区分が明記され、以降は文理で分かれる試験制度が整備されていきました。

ただ、こうした文理区分の導入は同時期の中国にも見られるなど、東アジアで急速に近代化した国の特徴とも言えます。また当時、高等学校(大学)まで進学できたのはほぼエリートの男性に限られており、そうした学生たちにとっては“文理が分かれていても学問はひとつ”という気持ちは強かったようです。

その後、日本では高度経済成長期の60年〜70年代に進学率の増加とともに受験戦争が激化。大学が大衆化する中で、文理分けされた入試に対応したカリキュラムが高校で発達し、人々の中に文系・理系といった感覚が定着していきました」

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