――社会に広がったLGBTQという言葉。ただし、今も昔もスポーツ全般には“マッチョ”なイメージがつきまとい、その世界においてしばしば“男らしさ”が美徳とされてきた。では、“当事者”のアスリートたちは自らのセクシュアリティとどのように向き合っているのか――。
(写真/佐藤将希)
フィギュアスケートは、日本が世界トップを争うスポーツ。冬季北京五輪でも男女とも当たり前のようにメダルが期待されている。
優美な衣装を身にまとった選手たちが氷上で軽やかに舞う。そんな印象ゆえに、ゴリゴリの「体育会」から離れた競技に感じる人も多いだろう。
「ところが、フィギュアも内実はバリバリの体育会って感じなんですよ。ザ・年功序列みたいな文化は色濃く残っているし、僕が中高生の頃は体罰もバリバリ。ちょっと上の世代はヤンキーみたいなタイプも結構いました」と語るのは緑川冬馬(仮名)。現在29歳、かつてはフィギュアスケート選手として国際大会にも出場する実力者だったが、限界を感じて大学卒業を機に引退。現在は、競技の第一線からは退き、一般の会社員として働いている。
「だから、男子のフィギュア選手というと『オカマとかオネエとか多いんじゃない?』みたいな印象を持たれがちだと思いますけど、そんなことはない。ほかのスポーツと一緒ですよ」
その実情は冬馬が一番よく知っている。彼はゲイとして男子フィギュア界を生き抜いてきたからだ。
ゲイだと自覚しても悩むことはなかった
「フィギュアを始めたのは中学1年生。ちょっと遅いスタートでした。というのも、小さい頃から体を動かすのは好きだけど、やりたいと強く思う競技がなくて、ずっと特定のスポーツをしていなかったから。そんなときテレビでトリノ五輪(2006年)のフィギュアスケートを見て、『僕がやりたいのはこれだ!』と感じたんです」
フィギュアに惹かれたのは、芸術性の高さだった。
「スポーツも好きだけど、アーティスティックなものも大好き。フィギュアは両方満たされるスポーツだったんですよ」
好きこそものの上手なれ。運良く近所にあったスケートリンクのクラブに所属した冬馬の上達スピードは早かった。元来、運動好きであったように、身体能力も高かったのであろう。周囲の選手よりスタートは遅かったが、あっという間に全国を狙える選手に成長する。
自身がゲイであることに気づいたのも、ちょうどこの頃だった。
「自覚したときのことは、はっきり憶えています。中学1年生でした。それくらいの年頃って、性に興味を持ち始めたり、好きな異性ができたりする時期ですよね。女子と付き合い始める友達もいましたが、僕は女子より男子に目がいって、クラスメイトの男子が好きになってしまった。そのとき『どうして?』と思うよりも『こっちだ!』と感じたんです。そしたら過去のいろいろな違和感がつながったんですよ」
冬馬は幼い頃から男友達より女の子のほうが「絡みやすかった」という。
「例えば小学生の頃、女の子の間で大きな筆箱をギャルっぽくデコって、匂いのするものとか、いろいろなペンを入れるのが流行っていたんですけど、僕も男子と遊ぶより、それと同じことをするのが楽しかった。仮面ライダーや戦隊モノも好きだったけど、周囲のようにヒーローに憧れるのではなく、俳優さんにキュンキュンしていた感じ」
「つながった」とは、そうした自分の趣向に納得がいったということである。ゲイだと気づくと同時にそれを認めたくないと悩む人もいるが、冬馬はそうではなかった。
「つながってスッキリした感覚がうれしかったのか、特に深くは悩みませんでしたね。さすがにカミングアウトするまでは振り切れなかったので、男友達にいろいろ合わせることは多かったですけど」
「男子ノリ」にも表面上は合わせて、みんなと盛り上がることを楽しむ。「もともと前向きな性格」という彼は、そんなふうに何事もポジティブにとらえることにした。恋愛に関しては、ある意味、フィギュアが代替物となった。
「中学だと、恋愛の話題で盛り上がるのは学校内や部活内が多いじゃないですか。僕は学校の部活に入らずに、学外のクラブでフィギュアをしていたので、結果的にそういった話題とは一線を引いた場所にいて、あまり気になりませんでした。フィギュアのクラブもロッカールームで『あの子がかわいい』みたいな話はしますけど、その程度で、選手は競技が第一。僕自身、本気で五輪を目指していたので、遊んでいるヒマもない。ただでさえ僕はスタートが遅く経験不足ですから、練習をサボれば誰かに抜かれるだけ」
実際、クラブのレベルは高かった。冬馬とともに練習に励んでいた選手の中には、のちの日本代表選手が複数いる環境。
「先生の指導も厳しくて、ときにはキツく叱られることもありました。だけど叱られるのは、思うように演技できずイライラしてふてくされるなど、練習態度や競技に向かう姿勢が悪いときだけ。自分が悪いとはわかっていたから、心底イヤにはならなかった。まあ、当時は本当にストイックだったんですよ。だから、彼氏が欲しいと思うこともなかった。学校にちょっと好きな男子はいたけど、たまに話ができれば十分で。ただ、高3のときかな? いつかは子どもが欲しいから、試しに女の子と付き合おうとしたんです。あるフィギュアの女子選手から告白されたのをきっかけに。でも、付き合っているうちに『やっぱり違う』と感じることが多くて。ああ、これは無理だなとあきらめました。今は、将来的にパートナーと結婚して、養子を取るか代理母出産で子どもを授かる方法を考えています」
高校卒業後は3人の男性と交際した。その中にフィギュア選手はいなかったのか。
「いなかったですね。正直なところフィギュア選手にタイプの人があまりいなくて。僕のタイプはぐっさん(山口智充)や照英さんなんです」
確かにその2人とも、現在の一般的な男子フィギュア選手のイメージとは重なりにくい。
ただ、冬馬の話を聞くと、それが男子フィギュアの「課題」にもつながっている気がした。
「あの選手はゲイじゃない?」誤った視線を乗り越えるために
(写真/佐藤将希)
男子フィギュアに向けられる世間の目の中には、「あの選手はオカマっぽくない?」といった下卑た視線もあるだろう。競技の特性上なのか、確かに男子の演技でも表面上はわかりやすいマッチョな「男らしさ」は薄く、中性的、あるいはフェミニンな印象を受けることがある。
「フィギュアって実際は、強靱なフィジカルと高度な技術がないとトップレベルにはなれません。ただ、それをいかに隠して、当たり前のように華麗に演技できるかがポイントだから、トップ選手になればなるほど、男性的なたくましさが見えにくい。さらに、普段は一般的な男性と何も変わらないのに、いざ演技となると女性的な雰囲気を出せる、出てしまう選手がいるんです。一種の表現力なんでしょうね。そういった表現力の豊かさ、幅の広さも評価の対象だから、誤解する人もいるのでしょう。だから、例えば野球部やラグビー部のストレートの男子選手たちだって、フィギュアをさせてみたら、何人かはそういう雰囲気が出る子がいると思いますよ」
そんな実情をわかってもらうことが、簡単でないことはわかっている。
「そもそもフィギュア界の中でも、そんな視線はありますからね。男子の選手がちょっと女性っぽい演技をすると『あいつ、やっぱりゲイ?』とか、ふざけ気味に言う関係者もいますから。正直に言えば、過去に僕もそういった発言やノリに同調してしまったこともあります。ゲイであることを隠すために合わせちゃったという言い訳もあるのですが、今、思うと本当に恥ずかしい。僕からすれば、フィギュアだってストレートがマジョリティの体育会の世界。ゲイがやりやすいスポーツと思われるかもしれませんが、そんなことはありません」
冬馬はそんな経験を通して、フィギュアの競技内容や種目の幅が今より広がってもいいのでは、と思っている。事実、現状の男子フィギュアにマッチョイズムを前面に押し出すような演技は少ない。ジャンプなど男子ならではのダイナミックさが出ることはあるが、演技全体では「華麗な美」といった言葉が似合いそうなタイプが多くを占める。
「羽生結弦選手の活躍もあり、男子フィギュアも人気はアップしています。でも、競技人口は増えるどころか減っているんです」
もちろん、ほかのスポーツと同じく少子化の影響はあるだろう。また、経済的な理由も考えられる。ただ、それだけではないかもしれない。
「男子フィギュアに対する一部の誤った見方も関係していると思うんですよ。ストレートの男子が『ゲイじゃないか?』なんて視線を受けるのは気の毒だし、そんなイメージを嫌がる子どももいるでしょうから。だから、個人的には非公式でもいいので、フィギュアに男子ならではのフィジカル、力強さ、身体能力にフォーカスを当てた種目や大会、イベントがあったらいいのに、と思います。そしたら『やってみたい』という男子が増えるかもしれない」
ゲイ同士、レズビアン同士のペア競技が生まれたら……
現役生活において、冬馬はゲイであることが演技に影響する可能性を感じることもあった。
「自分としては競技は競技、セクシュアリティはセクシュアリティと割り切って取り組んでいました。それでも、意識しないところで僕がゲイであることが芸術性の表現に表れていたのかも、と感じます。だから、もしペアの選手がゲイやレズだったら苦労する点があるかもしれない」
男女が組んで競技をするペアでは、男女間の心の機微をうまく表現することが芸術性の高さにつながるときがある。その場合、演技中は選手同士が一種の疑似恋愛のような状態になることも選手やケースによっては必要とされている。芸術性が重視されるフィギュアならではの特徴だろう。翻ってゲイの男性とストレートの女性のペアだと、表現が困難になる可能性があるという話だ。
「だから、たまに考えるんですよ。ペアを同性と組めないかなって。ゲイ同士、レズ同士なら芸術性の表現もスムーズにしやすいでしょうからね。それが男子ペアであれば今までのフィギュアにはない、芸術性も高い上にダイナミックでアクロバティックな技だって生まれそう」
フィギュアは競技人口の少なさもあってか、閉鎖的な部分もあったという。もし、冬馬の提案のような取り組みが実現すれば、日本のフィギュア界がより自由に、より強く、より魅力的な競技になるための起爆剤となるだろうか。
*本稿は実話をもとにしていますが、プライバシー保護のため一部脚色しています。
田澤健一郎(たざわ・けんいちろう)
1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスの編集者・ライターとなる。野球をはじめとするスポーツを中心に、さまざまな媒体で活動している。著書に『あと一歩!逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語』(KADOKAWA)、共著に『永遠の一球 甲子園優勝投手のその後』(河出文庫)などがある。
前回までの連載
【第1回】“かなわぬ恋”に泣いたゲイのスプリンター
【第2回】サッカー強豪校でカミングアウトを封じた少年
【第3回】“見世物のゲイ”にはならないプロレスラーの誇りと覚悟
【第4回】童貞とバカにされながら野球に没頭した専門学校の部員
【第5回】男性として生きるために引退を決めた女子野球選手の葛藤
【第6回】「ウリ専」のバイトでゲイを自覚した一流大学のボクサー