――社会に広がったLGBTQという言葉。ただし、今も昔もスポーツ全般には“マッチョ”なイメージがつきまとい、その世界においてしばしば“男らしさ”が美徳とされてきた。では、“当事者”のアスリートたちは自らのセクシュアリティとどのように向き合っているのか――。
(写真/佐藤将希)
「頼むから大学に行ってボクシングを続けてほしい」
海がよく見える駐車場に止めたクルマの中で、当時、高校3年生だった君塚貴人(仮名)は、母に泣きながら懇願された。自動車整備士になりたいと、すでに専門学校への進学意思を固めていた貴人。だが、インターハイに続き、国体でもボクサーとして実績を上げた貴人のもとに、東京のいわゆる一流大学からスポーツ特待生の誘いが舞い込んだのだ。
九州の小さな街にある君塚家は、父が酒に溺れ、貧しかった。母の奮闘で自分の家が成り立ち、その愛情を一身に受けていることは貴人も十分、知っていた。
「仕方がないか」
貴人は不本意ながらも大学進学の意思を固めた。
「今となっては、大学を選んで本当に正解でしたね」
30歳を迎えた貴人は、今、東京の外資系企業で忙しい日々を過ごしている。仕事はハードだが、成果を出せば報酬は高い。自動車整備士は「子どもの頃にクルマが好きだったから」が志望理由。正直、あまり深く考えていなかった。東京に出てきて、さまざまな人と出会い、田舎とは別の世界を知ってたどり着いた今の生活。母への感謝は感じている。
ボクシングは大学卒業を機にやめた。全国上位の成績も残したが、プロやオリンピックを目指す選手たちと自分の差は、ランキングでは測れないものがあると感じた。
「例えば村田諒太のような選手って、同じ階級、同じくらいの体重なのに、パンチの威力が違いすぎるんですよ。拳が重くて一発一発のダメージが大きい。ヤバすぎて試合なんかしたくない(笑)」
さらには「センス」という天性の素養。
「井上尚弥なんかそうですけど、世界チャンピオンになれる選手って、パンチを一番効くタイミングで確実に打てる。これは磨けない力だと思います」
身長が高く、「イケメン」という言葉がよく似合う貴人。ボクシングをやめた理由をあっけらかんと話す様子からは、競技への執着は感じない。考えてみると、高校時代も母に懇願されなければ、そこで競技をやめるつもりだったのだ。
「6歳から水泳を始めて、小学校では野球もやっていました。中学は剣道部。どれも始めたのは仲のいい友達がやっていたから、くらいの理由です。ボクシングを始めたのも、剣道部時代の友達の親に『お前はボクシングに向いているから、高校の指導者を紹介してやる』と言われたのがきっかけ」
本人いわく「負けず嫌い」ではあったが、特別スポーツに思い入れがあったわけではないのかもしれない。しかし、神様は不公平なもので、軽い気持ちで始めたどの競技でも貴人はすぐに好結果を出した。根本的に運動神経が人並み以上だったのだろう。
「大学生になると、人によっては大人みたいに超楽しそうに遊んでいるわけです。それが羨ましくて。自分はといえば、苦しい減量はあるし、毎週のようにリーグ戦や大会があって、まったく遊べない。ある日、『なんでオレ、殴り合いなんかしているんだ?』とむなしくなったんですよね。自分の限界もなんとなくわかってきたし、特待生だから部活は卒業までやめないけど、ボクシングは大学までと決めました」
ただ、決断に影響を及ぼすほど「遊び」に心を惹かれたのは、ボクシングに対する情熱の薄れだけが理由ではなかった。貴人は「夜の街」で、本当の自分、ゲイである自分に気づいていたのだ。
何人もの女性と付き合い数多くの男性とも寝た
「特待生なので授業料の心配はないのですが、生活費や遊ぶお金の余裕はなかったんですよね。それで大学1年のときに、ウリ専のバイトを始めたんです」
ウリ専、すなわちゲイに体を売る男娼である。
「バイトに選んだ深い理由はなくて、単に高収入バイトを探していたら出てきた感じ。エッチするだけでお金もらえるならラクでいいじゃん、くらいのノリでした。オジさんにチューするのだけは、最初は嫌だったけど」
とはいえ、当時の貴人にゲイという自覚はない。イケメンでスポーツ万能、当然ながら中高時代はモテるほうで、何人もの女性と付き合い、セックスもした。初体験は中2である。ある意味、普通の恋愛と性の経験を歩んできたにもかかわらず、「ウリ」に抵抗感がなかったというのは驚きである。
「今思えば、高校のときもお風呂で男のチンチンに目がいってしまうとか、ゲイっぽい兆候もあったんですけどね」
だからこそ、すんなりと「ウリ」もできてしまったのだろうか。
「バイトをするうちに(新宿)2丁目の知り合いもできて、よく飲みにいくようになったんです。それがすごく楽しくて、『男とも付き合えるんじゃないの?』なんて言われるようになりました。その気になったらだんだん男がかわいく見えてきて、好みのタイプもできて、『あ、オレいけるじゃん』と思えてきたんですよね。それではっきり自分がゲイだと認識しました」
中高と何人もの彼女がいた貴人だが、「好き」という本気の恋愛感情を抱くことはまれ。「大体3カ月くらいで飽きて別れて、別の人と付き合う」ことを繰り返していたという。それも本質がゲイゆえだったのか。
「男に関しても最初は同じだったんですよ。大学2年のとき、初めて彼氏ができたけど、どこで知り合ったかも忘れてしまいました。若くて性欲も強かったから、ヤリすぎて覚えていないんですよ。とにかく気持ちよくて楽しかった。女の子と遊ぶのとは違い、デートしてゴハン食べて……なんて面倒くささはなくて、『とりあえずしよう』みたいなノリもラクだったし。だから、家族や友達にカミングアウトすることに葛藤はあっても、自分がゲイであること自体には葛藤はありませんでした」
今はそんな時代を過ぎ、「本当に好きな人」と付き合い、愛を深める充実感も知った。
「今のパートナーも、見た目はまったく好みではないですからね。でも、一緒にいて落ち着くんです」
「仕事に性は関係ない」と、会社ではゲイであることを公にしていない。母など家族にもカミングアウトはまだだ。
「子どものこともありますからね……子どもは欲しいんですよ。いわゆる“おこげ(男性同性愛者と親密な関係を持とうとする女性異性愛者)〟”友達が多くて、『ゲイしか無理』ってコもいるから、『偽装結婚して子ども産んでよ』なんて冗談で話したりしますけどね。今も女性とエッチするだけなら、できるから」
そんなことを話す貴人には、どこか根っからの遊び人のような痛快さも感じる。ゲイであることに最初からそれほど悩まず、洒脱に楽しめるマインド。これまで取材してきたゲイのアスリートたちは、自分をゲイと認めること自体に深く悩んでいたケースも少なくなかった。遊ぶどころか、男性のパートナーや性交を求めるようになるまでも、かなりの時間を要したアスリートもいた。貴人のようなケースは珍しい部類に入るのではないだろうか。
ゲイビデオ出演が発覚し消えたボクシング部員
(写真/佐藤将希)
しかし、こうした貴人であっても、ボクシング部を中心とした大学の友人たちにはゲイであることを秘密にしていた。
「やっぱり不安があったんですよね。そのことでからかわれたり、引かれたりするのは嫌だから。当時、並行して彼女もいたから、黙っていれば疑われることもなかったですし」
実は貴人が在学中、ボクシング部で、ある部員がゲイビデオに出演していたことがバレるという出来事があった。貴人によれば「そいつをからかう、いじめるみたいなことは、それほどなかった」そうだが、それでも「アイツ、なんでそんなことしたんだよ」と訝しむ視線は部内に生まれた。当該部員もいつしか練習に顔を出さなくなり、そのままフェードアウトしていったという。それを目の当たりにした貴人が慎重になるのも無理はない。
「僕はスポーツ推薦の特待生。ゲイであることが原因で退学となるのは避けたかったですから。バレること自体を怖いと感じたこともありますが、それよりもむしろ、いろいろ面倒くさいって感じ」
かつて、大学野球界で「上位指名でプロ入り間違いなし」と評価されていた選手が、ドラフト直前、ゲイビデオに出演していたと週刊誌にスキャンダラスに報じられたことがあった。結果的にその選手はドラフト指名漏れとなったが、ゲイビデオの件と指名見送りをはっきりと結びつける報道はなく、選手としてのコンディション不良などが理由とも伝えられた。ただ、この一件が指名の有無に何かしら影響を与えたと世間一般にはとらえられた感があり、のちにその選手は自身がゲイであることを否定したのだった。あれからずいぶん時間は経ったが、LGBTQをめぐる歯切れの悪い社会の空気は今も時折、顔をのぞかせる。
だが、貴人の場合は唯一、同じ大学の寮で暮らしていたある親友にはカミングアウトをした。
「ボクシング部だけでなく一般の学生も暮らしていた寮で、その友達も別の部活。信頼できる親友だったから平気かなって。実際、驚きはされたけど、『そうなんだ。じゃあ、今度2丁目連れてってよ!』と結構普通の反応でした」
すでにゲイのタレントが当たり前のようにメディアに出始めた時代。貴人が女性だけでなく男性からも遊び仲間として好かれる快活なキャラクターだったことも、その反応を後押ししたのだろう。勇気をもらった貴人は卒業後、大学時代のほかの友人にもゲイであることを少しずつ伝え始める。
「そしたら、ある友達に『なんとなく大学の頃からわかってたよ』と言われたんです。詳しく聞くと、ボクシング部の仲間も何人かは気づいていたらしくて。もう、なんか『マジかよ』って超恥ずかしくなりました」
同時に、性の面ではマッチョイズムに満ちて保守的なイメージの強い日本の体育会でも、今はきちんとカミングアウトして真摯に説明すれば、多くは受け入れてくれるのではないか、とも感じた。
「高校時代の友達に言うのは、田舎だから周囲の目もあるし、まだちょっと怖いけど、東京みたいな都会の大学生になら、今は言ってもわりと理解されるんじゃないですかね。田舎以外の、いろいろな人に出会って、価値観も多様になっているだろうし」
ただし、貴人が通っていたのは世間的には一流といわれる都内の高偏差値の大学だったことも忘れてはいけないだろう。学業に優れ、世の中の動きにも敏感で、新たな時代の価値観にもついていけるリテラシーのある学生が比較的多いからでは、という話である。
「僕も田舎では、この先もカミングアウトするかはわかりません。仲の良かった地元の友達にはひとりだけ、伝えましたけど。体育会って特殊なところがありますからね……」
世の中のLGBTQに対する理解が進んでいるのは確かだ。ただ、日本にはまだまだ閉鎖的な「ムラ」が残っている。体育会が、その「ムラ」を完全に抜け出す日はいつなのか――。
*本稿は実話をもとにしていますが、プライバシー保護のため一部脚色しています。
田澤健一郎(たざわ・けんいちろう)
1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスの編集者・ライターとなる。野球をはじめとするスポーツを中心に、さまざまな媒体で活動している。著書に『あと一歩!逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語』(KADOKAWA)、共著に『永遠の一球 甲子園優勝投手のその後』(河出文庫)などがある。
前回までの連載
【第1回】“かなわぬ恋”に泣いたゲイのスプリンター
【第2回】サッカー強豪校でカミングアウトを封じた少年
【第3回】“見世物のゲイ”にはならないプロレスラーの誇りと覚悟
【第4回】童貞とバカにされながら野球に没頭した専門学校の部員
【第5回】男性として生きるために引退を決めた女子野球選手の葛藤