金メダルかじりの河村たかし市長を旭丘高校の“後輩”が批判!「あいトリ抗議は校舎建て替え反対運動の奇行がルーツ」

校門に体を鎖で縛りつけ 校舎取り壊し工事を妨害

旭丘高校のフェイスブックより。この写真の校舎は建て替えられたもの。

N 金メダルかじりは全国的・世界的に騒動となったわけだけど、僕ら世代の旭丘卒業生が河村たかしと聞いて嫌でも思い起こすのは、やっぱり校舎建て替え反対運動。旭丘の校舎は、戦前の昭和13(1938)年に建設されたRC(鉄筋コンクリート)造4階建てだったんだよね。趣のあるモダンな建物ではあったものの、老朽化が激しく、耐震的に問題があるといわれていて、2000年から取り壊して建て直す計画となっていた。ところが、河村をはじめ「伝統のある校舎を壊すな」というOBたちが集まり、「旭丘高校校舎の再生を考える会」が発足。結局は、2002年に旧校舎を模した新校舎に建て替えられたけど。

A 俺は建築家になったからわかることだけど、あれはただでさえ時間がかかる工事。反対派が滞らせたせいでさらに時間がかかり、俺らの代はプレハブの仮教室で卒業することになって、それが当時は腹立たしかった。2コ下の後輩なんかは学校生活の大半をプレハブで過ごすことになったから、余計かわいそうだったよ。

N 河村は当時を振り返り、「私は古い建物が大好きなんですよ。歴史的建造物、こういうものを簡単に壊す文化というのはとんでもないということで、実力を行使してでもそれを阻止しようということで、端的に言いますと、校門に自分の体をチェーンで結わえて、数カ月にわたって座り込みをやって、これは私は訴えられました。河村たかしは座り込みなどをして取り壊し工事を妨害してはならないとの仮処分を求めるということです。ひとりだけではありません、多いときには100人ぐらいの方が座り込んでおったと思います」(2006年5月12日国会法務委員会)と発言しているんだよね。

C ああ、思い出した。座り込みしてたね! しかし当時、なんで校門に自分を縛っていたのかナゾだった……。

D あんなの今考えても理解できんわ! 反対運動としてまったく効果的じゃないでしょ。ただ迷惑なだけ。当時は先生に「あの人に近づいたらダメ」と注意されたね。いわゆるダークヒーロー的なイメージに陶酔しとったのかな。

N 河村は「地震で壊れるというのはウソがめちゃくちゃ多いですから。逆耐震偽装みたいなもので、前にあった耐震偽装というのは弱いものを強く言うという耐震偽装ですけれど、こういうところは強いものを弱く言って壊すんですよ、とにかく」(2011年10月17日市長定例記者会見)とも発言している。

A メチャクチャなことを言っとるな(笑)。実際、建物は古かったし、後から増築した4階部分は大地震が来たら吹っ飛ぶと噂されとったから、当時の生徒で反対運動に参加したという人は聞いたことがない。反対派は単に「自分たちの思い出の校舎を残したい」とノスタルジーに浸っとっただけでしょ。在校生の安全性を考えとったとは思えん……。

B そう言えば、河村って高校のあるエリアがモロ地元で、事務所もそのへんにあったから、ときどき見かけたよね。あの頃、授業をサボって生徒に人気の「水さわ」(2014年閉店)という学校近くのラーメン屋に同級生と行ったら、河村がいたことがあったなぁ。一番奥の席に翳のあるたたずまいで座っていて、「勉強、頑張っとるか?」とか何か声をかけられてね。俺らは高校生でカネないし、当時の河村は衆議院議員だから、もしかしておごってくれるかなと期待したんだけど、おごってくれなかった……というケチくさい印象が記憶に残ってる(笑)。まあ、政治家なので、おごったらそれはそれでマズいんだけどさ。

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