――社会に広がったLGBTQという言葉。ただし、今も昔もスポーツ全般には“マッチョ”なイメージがつきまとい、その世界においてしばしば“男らしさ”が美徳とされてきた。では、“当事者”のアスリートたちは自らのセクシュアリティとどのように向き合っているのか――。
(写真/佐藤将希)
「阪神、調子ええな」
「やっぱマートンと城島がデカいって」
放課後の私鉄沿線。電車の中で学校帰りの高校生たちがプロ野球の話題で盛り上がっている。丸刈りの精悍(せいかん)な体つき。校名が入ったそろいのバッグを持っている。一目で野球部とわかる集団だ。
電車がベッドタウンの駅に着いた。その集団からひとり、髪の長い少年が電車を降りていく。
「がんばってな」
「おお、ありがとう」
「あの別れる瞬間が一番つらかったですね」
関西出身とは思えない、滑らかな標準語で話すのは飯島康士(仮名)。整体師として働きつつ、週末を中心に社会人野球の硬式クラブチームでプレーを続けている29歳の現役アスリートだ。
そう聞けば、10代の頃は高校球児……とくるのが相場だが、康士に高校野球の経験はない。
「家が貧しく、高校では野球どころか部活そのものができなかったんですよ」
中学で野球に打ち込んだ康士としては、当然、不本意だった。しかし、幼少期に父が病没。必死で育ててくれた母と祖父母のことを思うと、ワガママを通すことはできなかった。野球は大好きだったが、強豪校のスポーツ特待生になれるまでの実力もなかった。
「だから、電車の中で野球部気分を味わっていたんです」
康士が通っていた高校が位置するのは、大阪市内のど真ん中。校地が限られるため、野球部の練習グラウンドは校舎から電車で遠く離れた郊外にあった。野球部の生徒たちは、授業が終わると私鉄に乗って練習に向かう。帰宅部の康士も、彼らと同じ電車に乗った。家がちょうど同じ沿線にあったのだ。
「ただ、思い返してみると、『野球部と一緒にいたい』という私の気持ちには、高校野球に対する憧れだけではなく、彼らに対する恋愛感情にも似た気持ちも、少し混じっていたのかもしれません」
そう言えるのは、今は自身がゲイだと、ポジティブに認めることができているからだ。