日本人は世界中に麻薬を供給!残された戦中・占領下(危)公文書

――敗戦前後、日本に都合の悪い大量の公文書が焼却された。だが実は、処分を免れたものも少なくなく、占領期にアメリカのある研究機関が収集していた――。先頃、そうした史料をもとに“秘史”をあぶり出した1冊の本が出版された。同書などを参照しながら、戦中・占領下の隠された危ない史実を晒していこう。

(絵/河合 寛) 

満州国の財政を支えたドラッグ事業
【1】アヘン・ビジネス
フーヴァー研究所が保存する東京裁判の判決文には、日本は満洲国の財政を支えるために、中国の抵抗力を削ぐためにアヘン取引を発展させたと書かれている。陸軍や外務省などが中国でのアヘン売買に関与し、三菱商事や三井物産が日本・満洲国・中国にイラン産アヘンを大量供給したとか。また、フーヴァー・トレジャーズ「濵田徳海文書」は関東軍がアヘン事業に深く関わっていた史実を示す。


(絵/河合 寛) 

日本初の銀行強盗を党員に指示
【2】共産党内の特高スパイ
フーヴァー・トレジャーズの「矢野文書」は特別高等警察の内部資料。そこにある日本初の銀行強盗「川崎第百銀行大森支店襲撃事件」(1932年)の調書によれば、Mと呼ばれる共産党ナンバー2だった特高のスパイが、党の財政を意図的に圧迫。資金難に陥ると、Mは資金を得る手段だと党員をそそのかし、銀行強盗を指示したのだ。この事件で共産党はさらに窮地に立たされた。


精神障害を負った兵士の病床日誌
【3】日本兵のPTSD

(絵/河合 寛) 

こちらはフーヴァー・トレジャーズではないが、日中戦争〜太平洋戦争期、精神障害を負った1万人以上の兵士が送られ、秘密裏に戦争神経症の研究を行っていた国府台陸軍病院(千葉県市川市)の病床日誌(カルテ)も残っていた。終戦後、陸軍から焼却命令が出たが、ある軍医が密かにドラム缶に入れて庭に埋めたのだ。カルテには過酷な戦場で心をむしばまれる姿が記録されており、今でいうPTSDに該当する精神疾患も散見される。


吉田茂は脅されて受け入れた!?
【4】GHQ直筆憲法

(絵/河合 寛) 

マッカーサー元帥は来日してすぐに幣原喜重郎首相に新憲法草案の提出を命令。しかし、幣原が依頼した松本烝治国務相による草案が1946年2月1日に「毎日新聞」にスクープされ、その内容に元帥は激怒。「マッカーサー・ノート」を元にGHQ草案が急遽作成され、13日、元帥の右腕ホイットニーが天皇を戦犯裁判にかける可能性を示唆しながら吉田茂外相と松本に受け入れるよう迫った。このGHQ草案の原本はフーヴァー研究所で長らく極秘扱いにされた。


撤回された天皇陛下の戦争責任
【5】東京裁判の東条英機

(絵/河合 寛) 

フーヴァー研究所には数百ページに及ぶ東京裁判の「東條英機宣誓供述書」が保管されている。その供述書にて東條は、大東亜戦争はアメリカの挑発に追い詰められて展開した「自衛戦」だったと論じ、「天皇陛下に戦争責任はない」と主張したという。しかしながら、実際の裁判で木戸幸一元内相の役割を追及されていたときに、「陛下の御意志に反して勝手に行動することはない」といった供述書と矛盾する発言をしてしまう。米政府から天皇を守るよう命令されていたキーナン検事は慌てて説得工作を行い、結局は発言が撤回された。


参考:西鋭夫・岡﨑匡史『占領神話の崩壊』(中央公論新社)、中村江里『戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館)


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