髭男とKing Gnuで考えるアイコン時代のアートワーク論

――YouTubeの日常化などによって、CDが注目されなくなり、さまざまなバンドのアートワークが「フリー素材」のようなシンプルなものになっている。もはや、ジャケットというアートワークはいらないものなのか……? そこで、美術評論家にそのアート性を聞いてみた。

長期化するコロナ禍によって、ライブやそれに伴う物販が制限され、オンライブライブ配信が一般的となった音楽業界。時代の変化の影響を大きく受けているが、そんな状況で、静かに過渡期を迎えているのがジャケット(以下、ジャケ)だ。

かつては「ジャケ買い」なる言葉があったように商品の顔だったが、配信サイトで楽曲単位で購入したり、あるいはストリーミングサイトで視聴することが増えたのが影響したのか、もはや聞かなくなって久しい。また、 MVがYouTubeにフルサイズでアップされるのが当たり前になったことで、ジャケのプライオリティが相対的に低下している印象もある。 そこで、本稿では日本のジャケが現在どのような状況に置かれており、またそもそもどのように変化してきたのかを、美術編集者・評論家で、『ロックの美術館』(シンコーミュージック・エンタテイメント)などの著作がある楠見清氏の話をもとに考えていきたい。

サブスク化でジャケがシンプルになる理由

日本のジャケを考えるうえでの前提について、楠見氏は次のように解説する。

【1】『はっぴいえんど』
(はっぴいえんど/1970年)
「春よ来い」などが収録されている、ファーストアルバム。ジャケットはイラストレーターの林静一が担当し、矢吹申彦がアート・ディレクションを手がけた。

「デザイン史の中でも評価されている欧米のジャケのデザインと比べると、日本のジャケは歴史化や文脈化がされていません。邦楽はフォーク、ニューミュージック、渋谷系という風に、時代ごとのカテゴリーでくくられる傾向が強く、デザイン的な観点から論評されることがなかったんです。とはいえ、その中でも時代ごとに歴史的なターニングポイントになるジャケは存在しています。

例えば、はっぴいえんどの「ゆでめん」こと『はっぴいえんど』【1】やYMOの『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』【2】、渋谷系でいえば、信藤三雄がアートワークを手がけたことで知られるコーネリアスの『HOLIDAYS IN THE SUN E.P.』(1993年)などです」

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2024.11.24 UP DATE

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