実家に戻り、プロテストへ向けてアルバイトと練習に励む日々が始まる。卒業してもストイックに競技へ打ち込む日常は変わらない。とはいえ、高校までと違い、たったひとりでの戦い。時折、練習に混ぜてもらっていた社会人チームはあったが、それでも孤独が苦しくなることもある。そんなときは地元の友人と遊んで気晴らしをした。
「その流れで付き合った女の子もいたんですけど、やっぱりエッチができない。いざという場面で勃たないことが続いて。『いよいよマズいぞ』と追い込まれてきたんです」
もはや自分がゲイであることは明白。しかし、まだそれを100%受け入れられない。
「当時、受け入れることは結婚して子どもを持つという未来を失うことになると思っていて。周囲の人と違う道へ飛び込むのが、どうしても怖かった」
基本的には真面目で優等生タイプの誠。チームという枷がなくなっても最後の一歩を踏み出せなかった。直接的には関係ないはずが、「もしプロテストに受かったら」という未来も頭をよぎる。本人いわく、「もっとも葛藤に苦しんだ時期」だった。
それでも本能は抑えられない。誠はMen's Net Japanというゲイの出会い系サイトをのぞくようになり、アクセスする回数も時間も増え、ついに興味を持った男性と会う約束をした。ところが――。
「ドタキャンしちゃいました。いざ会うとなると怖くなって、待ち合わせ場所にすら行っていない」
その後も約束してはドタキャンすることを、なんと1年ほど続けてしまったという。
「ひどいといえばひどいけど、半分くらいのゲイは最初はそんな感じじゃないかな。まぁ、快楽優先であっさり飛び込めるゲイもいますけど、僕にはできなかった」
少年時代からサッカー最優先で生きてきた誠は、体育会以外の世界をあまり知らずに育った。チームのために、プロになるために自分を律し、犠牲にしたことも多い。そんな誠が快楽を優先できなかったのは、仕方がないことだったのかもしれない。
「それでも、だんだんゲイの世界に飛び込むしかないかな、という気持ちは強くなってきて。ドタキャンを繰り返すことで、ネット上ではありますが、ゲイとのコミュニケーションに慣れ、以前ほど怖くなくなったんですよ」
会ってみれば、何も怖いことはなかった。自分のことを話したら、「そんなもんだよ」と言ってもらえた。すぐに肉体関係を結ぶこともできた。幸せを感じた。ちょうどプロをあきらめかけていた時期。ゲイとして生きていく安心と覚悟を得たことが、夢の終わりを受け入れることにつながったのかはわからない。
「スポーツ好きのゲイは結構いますよ。個人的な感覚ですけど、どの競技にもゲイの選手は一定数いると思う」
誠はサッカーのためにゲイであることを自身でどう処理するか、メリットとデメリットを天秤にかけ、ある意味、ドライにとらえていた。それゆえに、ゲイとして“生きやすく”なるまで時間を要した。
話を聞いていた公園の運動場では、誠たちのチームと入れ替わりにピッチに入ってきた少年クラブの選手たちが生き生きとボールを追っている。もしかしたら、あの中にも誠のような葛藤と戦っている男子がいるのかもしれない。
(写真/佐藤将希)
前回までの連載
【第1回】“かなわぬ恋”に泣いたゲイのスプリンター
田澤健一郎(たざわ・けんいちろう)
1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスの編集者・ライターとなる。野球をはじめとするスポーツを中心に、さまざまな媒体で活動している。著書に『あと一歩!逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語』(KADOKAWA)、共著に『永遠の一球 甲子園優勝投手のその後』(河出文庫)などがある。