(写真/佐藤将希)
「好みのタイプですか? 年上が好みなんです。見た目はハンマー投げの室伏広治さんやKing Gnuの常田(大希)さんがタイプ。でも、外見はそのとき次第。それよりも大切なのは内面で、一本、芯が通っている人が好きです」
その好みにバッチリとハマったのが、高校の陸上部の監督だった。
「先生は40代の既婚男性。普通に考えれば、絶対にかなうはずのない恋なんですけどね」
監督はいわゆる“熱血指導者”だった。生徒でもある選手たちのことを心から気にかけ、選手一人ひとりの人間性と能力を育もうと、日夜、指導に邁進していた。当然ながら、豊かな才能に恵まれた豪士のことも熱心に指導してくれた。「田舎のちょっと足の速い子」だった豪士を、全国、そして世界の舞台にステップアップさせようと、本気で向き合ってくれた。その姿勢に惹かれた。
「先生のこと、カッコいいと思いました。でも、本気で両想いの関係に持ち込みたいという感じではなくて、自分が一方的に想いを寄せていただけ。先生が僕に対して『こうなってほしい』と考えている理想の選手になりたかった。ひとつ上のレベルに到達して先生に認められたい。あれって、今思い返すと、一種の恋愛だったと思うんです」
アスリートにとって指導者の存在は大きい。指導者次第で選手やチームが驚くほど変わるのは、ちょっとスポーツに詳しい人であれば、誰もが認めることだろう。
また、理想的な指導者と選手の関係は、疑似恋愛に例えられることもある。「監督のために」「監督についていきたい」といった気持ちを、競技や練習への強いモチベーションにするわけだ。スポーツ界のセクハラ・パワハラ問題には、こうした関係性によるボタンの掛け違い、指導のいきすぎが背景というケースもある。そこまで極端な話でなくても、「監督に惚れた。この人のために優勝したいと思った」といった類いのコメントは、スポーツ界ではそれほど珍しいものではない。かつて有森裕子や高橋尚子など数々の名女性ランナーを育成したことで知られる故・小出義雄氏は、「恋愛のコツと指導のコツは似ている」と著書に記したこともある。豪士を指導した監督も、その意味では、きっと優れた指導者だったのだろう。実際、豪士はその指導を受けたからこそ、今もトップを目指すアスリートとして活躍しているのだから。
「先生とは今もLINEでやりとりはしています。もちろん、自分の気持ちに気づかれてはいないはずですよ。同級生にもまったく気づかれていなかったと思います。バレないように、慎重に隠していましたから」
優れた指導者は選手をよく観察しているものであり、勘もいい。選手のちょっとした変化やメンタルの好不調を察知するのも早い。豪士はそう思っていても、監督は彼が自分にほかの選手とは何か異なる感情を抱いていることくらいは気づいていたかもしれない。
「恋愛だったとは思いますけど、当時はそこまでの自覚があったかなぁ……難しいなぁ……。ただ、自分の中で監督が特別な存在であったことは確か。そうだったと信じたい……うーん、やっぱり、自分の中では恋愛対象だったんでしょうね」
自問自答するように豪士は当時を振り返る。
高校を卒業して間もなく、豪士は上京する新幹線の中でひとり、こっそりと泣いた。
「先生との別れがツラくて、『早く忘れてしまいたい』と思っていたら涙が出てきて」
相手が男でも女でも、片想いの切なさは同じだ。
「当時は先生が大好きだったのに、先生には自分の気持ちに気づいてほしくなかったんですよ。気づかれる、自分の想いを知られることで、今の先生との関係、状況が壊れてしまうことが怖かった。今の状況だけでも僕は十分幸せなのに、これ以上、先生に何かを望んではいけない、と」
かなわぬ恋に自分なりに区切りをつけ、豪士は東京で新たな暮らしを始めた。
人目が気になる田舎と違い、都会にはゲイとしての自分を素直に出せる世界も存在する。スプリンターとしてさらなる成長を目指す一方、心を寄せられるパートナーに出会うこともできた。
「40代で、しっかりと仕事もしていて、芯のある人。体から入るのではなく、2人でしっかりと話をして、信頼できる人だと思って、付き合い始めました。そういったプロセスを経ているから、過去の女性との付き合いとは気持ちが違う。『男が好きな自分のままでいいんだ』という安堵感があって、とにかくホッとできます」
先生のことは、今ではいい思い出になりつつある。ただ、それでも悩みは尽きない。
「満たされてはいるんですが、逆にちょっとストイックさが欠けたかな、と思うこともあって。高校時代は、かなわない気持ちを競技にぶつけ、死に物狂いで練習して、先生が理想とする選手になろうとしました。今はもう、そんな気持ちにはなれないのかなって。陸上を愛していないわけではないんですよ。今の僕をつくってくれた大切なものですから。パートナーも次の日が練習であれば、遊んでいても早めにお開きにしてくれたりと、アスリートである自分を理解して応援してくれています。そんな彼のためにもがんばりたいとは思っているんですけどね」
将来を嘱望されたアスリートといえど、まだ19歳。信頼できるパートナーと初めて交際して1年もたっていない。陸上選手としても、ひとりの人間としても、“大人”になるための経験を積んでいる真っ最中。豪士の人生は、これからが本番だ。
(写真/佐藤将希)
田澤健一郎(たざわ・けんいちろう)
1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスの編集者・ライターとなる。野球をはじめとするスポーツを中心に、さまざまな媒体で活動している。著書に『あと一歩!逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語』(KADOKAWA)、共著に『永遠の一球 甲子園優勝投手のその後』(河出文庫)などがある。