郷ひろみからキンプリまで――キムタクはまだ憧れの存在か? ジャニーズ男性アイドル像の変遷

――半世紀にわたり、数々の多彩な男性アイドルたちを世に送り出してきたジャニーズ事務所。彼らは時代時代のスーパースターとなり、女性ファンの歓声を大いに浴びてきた。近年は退所のニュースが立て続いているが、今も変わらずジャニタレは“カッコいい”存在なのか――。改めて、その男性像の変遷を徹底的に分析してみたい。

郷ひろみの1stアルバム『男の子女の子』(CBSソニー/1972年)。

 ジャニーズのアイドルたちは50年以上、パフォーマンスやビジュアル、言動を通じて、“カッコいい”男性像を世間に提示してきた。それは“ジャニーズ系”という言葉でくくられ、ひとつの方向性を示しているように見えるが、時代の流れやタレントの個性により、多様な“カッコいい”を生み出している。その変遷について、著書『Hey! Say! JUMP 9つの星、それぞれの輝き』(アールズ出版)があるライターの田幸和歌子氏、『ジャニーズと日本』(講談社)を著した批評家の矢野利裕氏、ジェンダーやBL文化を研究する愛知学泉大学講師の西原麻里氏が語り合った。

70年代のキラキラが一周回って現代に

ヴァサイェガ渉は郷ひろみに似てる?  サイト「ISLAND TV」より。

――まず、最近のジャニーズタレントについて、みなさんが感じることを教えてください。

田幸 一般的に“カッコいい筆頭”とされてきた山下智久が2020年10月に退所し、今年3月いっぱいで長瀬智也(TOKIO)も退所予定で、いわゆる世間が思うキラキラジャニーズが終わってしまったと感じています。昔だったらジャニーズは、「ドラマに突然出てきた、棒読みだけどキラキラの子」という印象が世間にはあったと思うんです。でも、今テレビで一番見る若手のジャニーズはA.B.C-Zの河合郁人。ジャニーズの特別感が確実に薄れていますね。

矢野 そうですね。キラキラ感、非日常感は裏側を見せないことで成り立つもの。今みたいにYouTubeでいろんな活動が見られたり、ドキュメンタリーをたくさん放送して裏側を見せたりするようになると、必然的に特別感は薄れてしまいますね。もっとも、ここには両義的な側面があって、特別感を守るためには情報統制など芸能界の権力構造的な圧力もあったかもしれない。それが2010年代後半から通用しなくなったともいえます。

西原 主要なメディアがテレビからウェブに移行して、ほかの日本人アイドルやK-POPアイドルがたくさん情報を発信している中で、かつてのように誰が見ても「キャー」と思えるようなアイドル像は環境的にも出てきづらくなってきていると思います。

――そういった“キラキラ感”のあるジャニーズは、いつ頃から定着したのでしょうか?

矢野 64年デビューの初代ジャニーズには、いわゆる“ジャニーズ系”ではなく、角刈りのカッコ付きの“男らしい”人もいました。でも、68年にデビューしたフォーリーブスにはすでにジャニーズ系の萌芽があり、72年デビューの郷ひろみで路線が決まった。郷はデビュー曲が「男の子女の子」だったことからも象徴されるように、ジェンダーを超えていく存在でした。故・ジャニー喜多川さんはテレビ勃興期と共に歩み、当時の日本の映画俳優にはいない歌って踊れる若い男の子たちを根づかせようとした。グループのメンバーには二枚目もいれば、「この人の魅力はどこなんだろう?」と疑問に思う人もいつも含まれている。そういうメンバーを眺めているうちに世間の“カッコいい形”が更新されていきました。

田幸 ジャニーさんは、良い意味でワンパターンですよね。求める男の子にはいくつか流れがあって、堂本剛(KinKi Kids)も角刈りで演歌を歌わせられていた時期がありましたし、いわゆる“スペオキ(スペシャルお気に入り)”といわれる中山優馬は眉毛がキリッとして目力が強く、郷ひろみ的。最近では、ジャニーズJr.のヴァサイェガ渉(少年忍者)がジャニーさんご存命のときは、昔の郷ひろみヘアをさせられていました。ずっと同じことを繰り返している部分があると思います。

矢野 そうした一方、70年代はフォークソングの延長で、みなしごという不幸な生い立ちを打ち出す豊川誕がいましたし、80年代にはたのきんトリオが登場し、田原俊彦みたいに踊りがうまくて華やかな人や、近藤真彦のようにブルージーンズ、スニーカーといったジェームズ・ディーン的イメージの不良性を持った人も出てきました。その後、バク転もできてステージ映えする、ドレスアップした王子様的な少年隊によって、キラキラ感が確定されていったという印象を持っています。そこから光GENJI、SMAPへとつながっていく。ただ、SMAPはダンスがみんなうまいわけではなく、「SHAKE」(96年)のように、キラキラ路線とは違うサラリーマンの目線で歌った楽曲があるのが90年代的な変化。嵐はハイブリッドで、キラキラも等身大の目線もどちらも持っている。そうした等身大の男性像を更新したのは、デビュー曲でバラを持って登場したSexy Zoneや、King & Prince。一見、キラキラ感が復権したように思えるけれども、単純な先祖返りではなく、「なんでもできた上で、あえてキラキラしています」というメッセージを含んだ一周回っている感じ。昔ながらのアイドルとルッキズムに収まらず、キラキラに一生懸命対応しているプロフェッショナルさを感じる。そんな仕事ぶりが評価されるようになったのが10年代の特徴ではないでしょうか。

キラキラ系ジャニーズタレントの系譜。左より少年隊『デカメロン伝説』(ワーナー/1986年)、光GENJI『ガラスの十代』(ポニーキャニオン/1987年)、King & Prince『Memorial』(ユニバーサル/2018年)。

西原 KAT-TUNがデビューした06年前後は、Jr.も含めてみんな不良っぽい髪型にして悪ぶっていましたね。ああいうワルなジャニーズが好きだという人も多い。

田幸 KAT-TUNはいわゆるジャニーズ的なものとまったく違うけれど、Jr.の子たちがKAT-TUNの曲を今も歌いたがるところからしても、憧れのひとつとしてありますね。特に、歌もダンスもなんでもできた赤西仁を求めている子は、菊池風磨(Sexy Zone)をはじめとして多い。20年デビューのSixTONESはそういう方向を求められていたのだと思いますが、『私立バカレア高校』(日本テレビ系、12年)で人気沸騰したときにデビューできなかったのはもったいなかった。その間に、KAT-TUN的なものを求める人たちがLDHやBTS(防弾少年団)に流れてしまった。一方で、エイベックス的サウンドもありますね。

矢野 レーベルがエイベックスのV6が95年にデビュー会見を行ったのは、六本木のディスコ〈ヴェルファーレ〉。90年代前半、とんねるずや当時のヴェルディ川崎の選手たちと共に、ジャニーズの振付師も一緒にクラブで遊んでいたと聞いています。夜の六本木的な男性像も、ひとつの流れとしてあると思いますね。

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