『アメトーーク!』仲良し芸人企画が成り立たなくなる日は近い――サンドウィッチマンが体現する“男同士のケア”

――男性は同性間で“競争”をベースにしたコミュニケーションスタイルを取ることが多いとされてきた。それによって男性同士の“ケア”が生まれず、その役割を女性に押し付けてきたことが今批判されている。男性同士のケアとは、どんな形がありうるのだろうか? ここでは芸人をモデルに考えてみたい。

ダウンタウンも今や親しさをアピールするようになっている。(スマートニュースCM「雨雲レーダー」篇YouTubeより)

 フェミニズムが盛り上がる中で、男性同士の関係性にも焦点が当たるようになっている。

 従来、男同士の友人関係といえば「いつまでも一緒にバカやってられる友人」というようなイメージが当てはめられ、さっぱりしていて楽しいものだとされることが多かった。もちろん、いい大人になれば必ずしもそうではないとわかってくるが、そのような関係が理想のひとつとされていることは確かだろう。だが、果たして本当にそれが理想なのだろうか。

 男性学の中で指摘されることのひとつとして、「男性は自分の悩みや苦しみを他人、特に同性に開示することができない」というものがある。自分のつらさを同性に語ることは男らしくない、だから語れないし、そもそも語る言葉を持っていない――日頃から男らしく振る舞うことを理想としていない男性でも、この傾向は見られる。

 さまざまな場面でジェンダー的観点からの異議申し立てが進む今、「男性はケア役割を女性に押し付けてきた」「もっと男性同士でケアをするべきだ」という声が上がっている。ここでいう「ケア」とはどんなことを指すのか。『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)などの著書を持つライターの清田隆之氏はこう解説する。

「ひとつには、家事のような生活や自分自身の面倒を見るという意味でのケアがあります。この点を妻や母といった女性に担わせてきた、という指摘ですね。もうひとつには、感情面の話です。男性同士のコミュニケーションには競争性がベースに働いていて、互いをいたわったり褒め合ったりフォローし合ったりするよりも、競い合っていじり合ってけなし合う――という点が特徴とされてきました。それゆえに話を聞いてくれて褒めてくれるような役割を、ここでも女性に押し付けてきた。たとえば『合コンのさしすせそ』なんて、男性を褒める言葉が女性に求められている象徴ですよね。そういうあり方を見直そう、という風潮は高まっています」

 中には当然「俺は友達を褒めるぞ」「家事もするぞ」という人もいるだろう。それはそれで続けていただきたい。だが、そうではない人も多いのが現実だ。たとえば、元NEWSの手越祐也が昨夏のジャニーズ事務所退所会見で語った「『銀座の創作和食で男だけで話すのもね』という配慮で『僕も女性を連れていきますので、手越さんも誰か連れてきてくださいますか』と言われた」というエピソード。これは緊急事態宣言下での不用意な会食について責められると同時に「なぜ男だけで話せないのか」「女性を媒介にするな」と批判された。手越のケースはさらに別の含みを持っていそうなのでより複雑だが、男だけで飲んでいて「女子も呼ぼうか」となる流れ自体は決して珍しくはないだろう。男同士は、互いを互いでケアすることができないのだろうか。

「富澤に食べさせてやろう」がなぜ稀有なのか

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