――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地
『鬼滅の刃 1』(集英社)
――コロナ禍で苦境に陥っていた映画界にあって、空前ともいうべき大ヒットとなった『鬼滅の刃 無限列車編』。なぜ、この作品は老若男女を問わず受け入れられたのだろうか? そのほかクリストファー・ノーラン監督の『TENET』、黒沢清監督の『スパイの妻』などの作品を取り上げながら、我々が抱える社会の問題を議論する――。
神保 今日は2020年10月30日の金曜日。5回目の金曜日がある月は無料放送の特別版として、今回も映画を取り上げます。
宮台 近年、いい映画が非常に多く、そして映画のほうが深い話ができます。
神保 マル激の映画特集はネタバレありなので、ご注意ください。今回は記録的な大ヒットで今、話題になっている『鬼滅の刃 無限列車編』を中心に、最近の注目映画との共通点などを探っていきたいと思います。
『鬼滅』については、毎日新聞が(夕刊)1面で興行収入の100億円突破を報じました。その記事は、鬼滅の大ヒットがコロナ禍で不振の映画業界では異例のことだとした上で、「不条理克服、現代人に響く」などの見出しとともに大きく報じています。宮台さん、まずこの作品の基本的な内容を教えてください。
宮台 吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)さんという女性が「週刊少年ジャンプ」(集英社)に原作マンガを描いていて、連載はすでに終了しています。この原作に忠実にアニメシリーズ化されており、第1シーズンが終わったところで、第2シーズンへとつなぐエピソードとして、この映画が公開されました。
神保 第1シーズンを観ていないと、映画の意味が正しく理解できないのですか?
宮台 設定がわかりづらい可能性があります。後述しますが、特に「鬼」とは何を表現したものなのか、ということがつかめないかもしれない。
神保 登場するキャラクターも多いので、誰が誰なのかよくわからなかったり。
宮台 そうですね。本当に簡略に説明しますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼を倒すことを目的とした「鬼殺隊」に属しています。そこに最高位となる9人の「柱」のひとり、「炎柱」の煉獄杏寿郎という剣士がいて、敵方は「十二鬼月・上弦の参」という、鬼のエリート。その戦いのエピソードを膨らませて描いたのがこの映画です。これだけ話題になっていますから、みなさんだいたいおわかりでしょう。
さっそく本題に入ると、実は「鬼」というのは、設定上、もともと人間であるというだけでなく、メタファーとして「人」なんです。鬼は基本的に自己本位の上昇志向を持つ存在で、つまり現代の人間たちそのもの。鬼は人よりも強く、原則として首を切られるか、日光に当たらないと死にません。原作の設定からして、このままでは最終的に鬼が大多数になっていくということも暗示されている。
神保 つまり、現代の我々自身の姿を反映していると。
宮台 それに対して、鬼と区別される「鬼殺隊」の人間たちは、自分自身のためには何の上昇志向も持たず、仲間を守るためだけにその力を使い、強くなろうという関心を持っている。ここに、利己性と利他性という根源的な対立が、まず埋め込まれています。
煉獄は、鬼のエリートに「鬼になれば衰えることがなく、ナンバーワンになれる」という旨の勧誘を受けますが、それを迷いなく断り、「価値観の違い」を強調する。利己性か利他性かというところで決定的に生き方が違うから、「鬼になれば得をするぞ」と言われても、まったく動きません。
神保 鬼は人間を、宮台さんがよく言う「損得野郎」の方向に引っ張っていこうとするわけですね。
宮台 そう、そして煉獄は、損得で動くという価値観を真っ向から否定する。また重要なポイントとして、映画の前半はギャグタッチで、煉獄は常に物事をフラットに見て、元気いっぱいに振る舞う変な人物として描かれています。もしかしたら鬼に勝てないかもしれないが、「それがどうした」というのが煉獄の価値観であり、これは僕が映画特集で繰り返し話してきた、ギリシャ的な世界観なんです。ニーチェ的に言えば、「神に這いつくばれば救われるから這いつくばる」「罪を犯さなければ救われるから罪を犯さないでおこう」などという、“条件プログラム”を否定するもので、今から2500年前に初期ギリシャの人たちが対岸のヤハウエ信仰の持ち主たちを徹底して軽蔑し、自立した哲学とまったく同じです。
神保 つまり、打算で動くことを否定している。
宮台 そうなんです。成功するかどうかではなく、「自分は内から湧き上がる力により、ここにいる人間を誰ひとり死なせない」という意思を持って振る舞うという、主意主義を貫いている。そもそも、煉獄の一族はもともと身体能力が高いのですが、母親から「なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか。弱き人を助けるためです」「弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です」と教えられます。