――人類とは旅する動物である――あの著名人を生み出したファミリーツリーの紆余曲折、ホモ・サピエンスのクレイジージャーニーを追う!
ヴァン・ヘイレン(Van Halen)
(絵/濱口健)74~85年はクラシックな布陣でオリジナル・アルバム6枚。85~96年はサミー・ヘイガー期、4枚。96~99年はゲイリー・シェローン、1枚。03年はヘイガー、07年にデイヴが復帰、ウルフギャングが正式加入してアルバム1枚。イラストはエディ。
(絵/濱口健)
KISSのジーン・シモンズとヴァン・ヘイレンのベーシストが同一人物だという噂は本当だろうか? 『パタリロ!』第1話でパタリロ・ド・マリネール8世殿下が発する奇妙な独り言。それは78年、KISSメンバーがまだ素顔を明かしていない時代とはいえ、とてつもない珍説に見える。だが、2つのバンドの縁を知れば考えは変わるかもしれない。
その少し前の76年、ジーン・シモンズの後援&プロデュースのもと、ヴァン・ヘイレンは本格的なデモテープを作成した。仕上がった音源を手に、シモンズは身内であるKISSの事務所に売り込むが、返事は「このバンドには見込みがない」。後年、周囲の無理解を自分の非のように謝罪するシモンズだった……。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。77年、ヴァン・ヘイレンが初めて(見栄を張って)自前のローディ付きで敢行したギグを見たのが、ワーナー・ブラザース・レコード社長のモー・オースティン。彼のオファーでヴァン・ヘイレンは20年に渡るワーナーとの関係を始める。とはいえ、彼らの歴史をもっとさかのぼらねば。
ディオ、リンチ、ドッケン、ウィンガー、ボン・ジョヴィ。なぜかハードロック/ヘヴィメタル界に多いのが、リーダーの姓を名乗るバンドたちだ。肝心なのは、それらの姓が出自を表していることである。
ヴァン・ヘイレン兄弟の場合はオランダ系だ。それどころか実は生まれもオランダで、10代初めまで同国在住だった。その後、カリフォルニア州パサデナに移り住むものの、ずっと二重国籍。また重要なのは、父こそオランダ系オランダ人だが、母がインドネシア人ということ。思い返してみれば、インドネシアは小国オランダが誇る超弩級植民地だった。「野村義男は日本版エディ・ヴァン・ヘイレン」と言われるが、顔が多少なりとも似て見えるのは彼ら兄弟もアジア系だから。「白人音楽」と見なされがちなHR/HM界の意外な多様性を体現するヴァン・ヘイレン、でもある。