又吉直樹原作映画『劇場』が描く“表現者ワナビー”の痛い恋――クズ男と都合のいい女の顛末

――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

 太宰治に傾倒するお笑い芸人にして芥川賞作家、又吉直樹の恋愛小説『劇場』の映画版がヤバい。オフィシャルサイトには「切なくも心を震わせる、誰もが胸に秘める忘れられない恋を描いた」とある。が、端的に言えば本作は、文化系こじらせクソ男に振り回されて心を壊した幸薄女の被害報告、あるいは共依存カップルの地獄絵図、だ。

 主人公、永田(山﨑賢人)のクズっぷりは隙がない。彼は高校卒業後に上京して友人と劇団を立ち上げるが、客受けも評価もサッパリ。自分の才能に絶対的な自信はないが、さりとて力不足を素直に認める度量もなし。大衆に迎合しないとばかりに周囲を攻撃し、苛立ちを撒き散らす。要はイタい野郎だ。大学時代、文化系サークル界隈にひとりや2人はいた手合いである。

 永田は、肥大したプライドと秘めたる劣等感、そこからにじむ苦悩を、彼女の沙希(松岡茉優)を利用して晴らす。永田にとって沙希は「理想的な速度で歩いてくれる」女。自分より人生がうまくいっていて劣等感に苛まれたりはしない。脅威に感じるほど才気走ってはいないが、自分の言葉を理解できないほど愚鈍でもない。ちょうど良い、しかし自分よりほんの少しだけ後ろを従順についてきてくれる、超・都合のいい女なのだ。

 ゆえに永田は沙希に甘え、依存する。

 ろくに芝居を書かなくなった永田は、沙希のアパートに転がり込み、ヒモと化す。にもかかわらず、沙希が偶然同じ本を買っただけで「買うなら連絡しろ、もったいない」と怒り、沙希の母親が自分の心を傷つけたとイチャモンをつけては機嫌を損ね、沙希がほかの劇団の芝居を見に行くとキレる。沙希がディズニーランドに行きたいと言えば、「俺は(同じ作品を作る者として)ディズニーと勝負してる」などと阿呆な対抗心を燃やす。クズだ。

 しかし沙希は永田を甘やかす。脚本を書かないことを責めない。働かないことも責めない。永田の自分勝手なふるまいも、度の過ぎたおふざけも、すべてケラケラと笑い、全肯定してくれる。にもかかわらず、永田は沙希に苛立ちが止まらない。自分の劣等感が、純粋無垢な沙希と触れ合うことで際立ってしまうからだ。

 永田と共に劇団を立ち上げた野原(寛一郎)は、永田のクズっぷりを簡潔に指摘する。曰く、永田は沙希にだけは才能がないと思われたくない。もし思われたら自分が壊れる。それが嫌で、怖くて、逆に沙希を壊そうとするのだと。

 これだけ聞くと、かなり一方的かつ犯罪的な搾取だ。しかし、なぜか沙希は永田から離れようとしない。永田が沙希の承認欲求を“中途半端に”満たしてしまったからだ。

 沙希は、上京して東京の服飾学校に通いながら女優を目指していたが、諦めかけていた。そこで永田と出会い、彼の劇団で1度だけ主演を務める。無名劇団の小規模公演ではあったものの、演技の評判は良く、公演は成功。沙希はこのたった1度だけ味わった“蜜の味”を引き金として、永田から「精神的に繋がれる」ことになる。

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