――韓国の映像コンテンツにおいて、分断された南北朝鮮はたびたび主題として描かれてきた。その描かれ方は、時代によって変わっていっている。歴代政権の対北姿勢と照らし合わせながら、その変化をたどってみたい。
『韓国映画で学ぶ韓国の社会と歴史』(キネマ旬報ムック)
韓国の映像作品の歴史を語る上で、必ず登場するのが1999年の映画『シュリ』だ。韓国諜報部員と北朝鮮女性工作員の悲恋を描いたアクション映画として人気を博し、観客動員数621万人とそれまでの記録を塗り替え、語り継がれる名作になっている。
韓国映画には、同国の政治経済の動き、社会の変革が色濃く反映される。『シュリ』の前年、金大中政権が発足。武力を用いず、人道援助や観光事業、交流事業を活発化させることで南北統一への足がかりをつくろうとする「太陽政策」を打ち出した。2000年には、1948年の南北分断以降、初となる首脳会談が平壌で開催。経済協力事業で合意を果たし、共同宣言を出すに至った。
南北融和ムードが盛り上がる中、00年に再び南北映画のヒット作が生まれる。『JSA』だ。北朝鮮兵士と韓国軍兵士が38度線の共同警備に当たる中で友情を育むが、人民軍の上司に発覚して銃撃戦に発展する──というストーリーで、『シュリ』を上回るヒットとなった。
「2作に共通するのは、生まれた場所が38度線を挟む2つの国だっただけで、人を愛し友情を感じる個人の内面は北朝鮮の人物であろうと大差ない、という描き方です。これは軍事政権下では考えられないものでした」(映画サイト編集者)
87年までの軍事政権下では、物語の中の北朝鮮の人々は共産思想を持つ絶対悪として描かれるか、圧政による貧困に苦しむ人民として描かれていた。映画は反共政策の一環であり、韓国のアカデミー賞といわれる大鐘賞映画祭では、66年から87年まで「反共映画部門」が設けられていた。検閲は厳しく、北朝鮮を好意的に描こうものなら「共産思想の容認」と見なされたという。